飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

いよいよ薪ストーブの活躍!

2022-11-28 17:18:52 | 薪ストーブってどんなもの?(what's woodstove)

あっという間に11月も終わりそう…。

でも…。

これからが、本格的な薪ストーブの季節です!

我が家の薪ストーブは、バーモントキャスティングス社のアクレイムという機種です。

このシーズンで、12年目に入ります。

これだけ焚いても、まだまだ勉強!

ここ近年は、薪の置き方などを工夫して、燃焼がどうなるか試しています。

理想的な薪の太さは「牛乳パックの大きさ」と言われています。

薪は、細すぎると早く燃えてしまいます。

太すぎるとストーブの温度を下げてしまい、理想的な燃焼が得られません。

だから、おのずと理想的な太さがあるのですが…。

その太さが、牛乳パックになるわけですね!

我が家の薪ストーブ「アクレイム」の火室は、この牛乳パックが二本入る奥行き寸法になっています。

この奥行きが、とても使いやすい!

薪を二本で、より、理想的な燃焼が作りやすいようです。

薪ストーブは、よく考えられて、設計されているんですね!

 

既に我が家は、1立方メートル(重さで500キロくらい)ほどの薪をこのシーズン焚いてしまいました。

でも…。

本格的に薪ストーブを焚くのはこれから…。

毎年、8~9立方メートルほど薪を、我が家では消費するので…。

これからの季節、薪づくりも進めていかなければいけませんね!

 

紅葉が終わって…。

葉が落ちて…。

森の木はこれから「休眠状態」に入り、水を吸うのをやめます。

だから、木の含水量が少なくなり、薪作りには良い状態になるのです。

季節の変化を感じながら…。

その時その時のやるべきことを進めていく…。

私は、こんな里山の中での生活が、大好きなんです…。

 

 

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またまた「舞い上がれ!」に驚き!

2022-11-22 19:46:44 | 日記(diary)

いつも楽しみにしている、現在放映中のNHK朝の連ドラ「舞い上がれ!」

当然私は毎回欠かさず見ているのですが…。

今朝の同番組の放映で驚き!!!

何に驚いたかって?

それは…。

「都築ポイント」!

これ、皆さんは、番組を面白くするために、フィクションで設定しているものだとお思いでしょうが…。

 

私が通っていた航空学校でも、実際にコレありました!!!

 

結構エライ先生になると、日ごろの生徒の素行を観察して、その人間性を見ようとしているんです!

やはり、将来、航空関係の仕事を目指すものを要請している学校側としては…。

言い方は悪いのですが、信頼ができない人間を、航空関係の仕事に従事させるわけにはいかないんですよね!

 

航空関係の仕事に従事する者は、多くの方の命を背負うことになります。

だからこそ、学校の成績だけで、その生徒のすべてを判断するわけにはいかないんです!!!!!!!!!!

 

だから、学業にいそしむ生徒が気づかぬように、ちゃんとその生徒について、学業意外で問題がないか見張っているんですよね!

…。

私がこのことに気が付いたのは、航空学校を卒業する直前でした!

学科長(つまり、生徒を監視しているエライ先生)が、ある日、私を呼び出して…。

「君は将来どんな仕事に就きたい?」と、随分といろいろと聞いてくれたのです。

そして、この学校では、一番といっていいほどの、いろいろないい就職先を勧めてくれました…。

私の周りには、私なんかより、ずっと頭が良い人間がたくさんいたのにも関わらずです!

どうやらこの学科長、私が飛行機大好きで、いろいろなものに取り組んでいるところを評価してくださったようなんです…。

 

まあ、そんな学科長の期待を裏切るような人生を、現在、私は歩んでいるのですが…。

(それはそれとして、本人は結構楽しい人生を歩んでいるつもり!)

 

朝の連ドラが、まさか、ところまで調べ上げているとは…。

このドラマの作者、そして、番組制作スタッフの方々のリアリティーの追及には、本当、驚かせられますね!

 

 

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能登から岐阜への旅…。その5

2022-11-16 21:03:28 | 旅(freedom person)

道の駅みのかもで目覚めた朝…。

私は帰路へとつきますが、今回はちょっと遠回りをして帰ります…。

 

旧中山道を走りながら、途中で中央アルプスを横切り、長野県は飯田の方へ進みます。

この道を走ってたどり着いたのが…。

ファイアーサイド本社。

私が愛用している薪ストーブ「アクレイム」を、かつて輸入していた会社です。

一度来たいと思っていました!

ここには、ショールーム「ズクショップ」というものがあり、様々な薪ストーブや薪ストーブグッズを見ることが出来ま

す。

最近では、この会社、キャンプ用品なんかにも力を入れており、なかなか興味深い商品を見ることが出来ました!

 

このお店を後にし、あとは茨城の家に帰るだけ…。

帰路を走りながら、この道を走るのは初めてかな?と、思っていたら…。

思い出しました!

ちょうど30年前、自分にとって、人生の岐路となったとき…。

一部上場企業を退職し、自分の力量一つで生きていく決心をしたとき…。

期待と不安の中で、かつて、この道を走ったことを思い出しました!

あの時は、これから自分は一体どうなるんだろうかと、不安に思っていたのですが…。

もしこの時、今の私がここにいたら、かつて、ここを走っていた自分に言ってやりたい!

お前はこの後すぐ、素晴らしい仲間たちに出会うことになるよ。

そして、意外と頑張ることになるんだよ!

更に、まだ若いお前だけど、20年たったら、思いもよらない名誉ある仕事を手掛けることになるから…。

その名誉ある仕事の中で、日本を代表するような、素晴らしい技術者の方たちとの出会いも待っているよ…。

…。

おそらく、その時の私は、未来の私が言ったその言葉を聞いたとしたら、目を輝かせたと思います…。

 

いろいろと、私の人生ありましたが、この時の若かった私は、今の私を見て、もし、自分の将来に点数をつけたとした

ら…。

80点以上は付けたんじゃないかな…。

 

私が大好きな景色、杖突峠より、雄大な景色を望みます。

正面に見えるのが蓼科。右には八ヶ岳が見え、左には霧ケ峰が見えています。

 

この後少し走って…。

白樺湖です。正面に、先ほどの蓼科が大きく見えます。

このすぐ近くに「車山」がありますが…。

この山は、かつて、ハンググライダーの大会で毎年のように訪れていました。

一度、この大会で準優勝したことがありましたが…。

実は、後になって、オフィシャルの計算間違いが発覚!

本当は、私が優勝していたのだそうです…。

それを聞いたときは、「なにそれ?」と思いましたが…。

そんなことも、今となっては楽し思い出ですね!

 

この夜は、ヘルシーテラス佐久南で車中泊しましたが…。

やっぱり長野は寒い!氷点下まで下がってしまいました!

これだったら、もう少し走って群馬で車中泊すればよかった…。

少しの距離ですが、この間の気温差って、結構大きい…。

 

私の能登、岐阜の旅にお付き合いいただき、ありがとうございました!

次の旅は正月になるかな?

 

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能登から岐阜への旅…。その4

2022-11-16 20:23:02 | 旅(freedom person)

杉原千畝記念館を堪能した私は、次に、個人的に大事なところを訪れてみました…。

母校の航空学校です。

40年ほど前、私はこの学校に通っていました。

なかなか面白かった学校です。

 

「技術者である前に人間であれ!」それが、この学校の校風でした。

私はこの学校で、アビオニクス(航空電子工学)を学びましたが…。

せっかくこんな学校にいるのに、もったいないと思い、飛行機の設計やジェットエンジン、その他、本来ならば自分の学

科では学ばない、飛行機に関わるあらゆる知識を、何でもかんでも勉強してやりました!

学校から帰ってきたら、帰ってきたで…。

4畳半の下宿部屋の中に、無理やり入れたバイクを整備したりと…。

とにかく、寝る時間も惜しんで、いろいろと興味あることに挑戦していました!

他にも、カートを作ったり、ホバークラフトを作ったり、そして、鳥人間に挑戦してみたりと…。

考えてみれば…。

この時代のこんな生活が、今の私を作ったように思えます。

別に、無理に勉強していたなんて思いは、全くありませんでした。

とにかく、毎日が楽しくて楽しくて…。

飛行機に関することを勉強することが、面白すぎると感じていた時代でした。

(そういいながら、しっかり合コンなんかにも出席したりして…。)

 

懐かしい母校を後にして、ちょっと時間が出来たので、やってきた場所が…。

円空記念館!

修理中ではありますが、ちゃんと営業していました。

円空とは、江戸時代初期に実在した僧で、おびただしい数の仏様を彫った人物です。

最後は即身仏となったので、「上人」という位の高い僧になっています。

ここを訪れるのは、確か3回目だったと思いますが…。

受付のお母さんが、とにかく円空大好き!

私が日本中の円空佛を見て回っていると言ったら、話が長い長い!

でも、他の場所の円空佛の紹介などもしていただき、有意義な時間を過ごすことが出来ました!

 

とても楽しい一日を過ごした後は…。

道の駅みのかもで車中泊です!

ここもお風呂併設なのですが、とにかくこのお風呂がイイ!

露天風呂が最高に良い。特に、これからの季節は、モミジを楽しみながら入ることが出来ます!

 

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能登から岐阜への旅…。その3

2022-11-15 20:36:56 | 旅(freedom person)

昨夜は、郡上市の山の上にある和良の道の駅での宿泊…。

只今、改装工事中!

ここはとにかく水がキレイ!

道の駅の案内図を見てみると、オオサンショウウオの生息地らしいです!

どおりで水がキレイなはずです。

すごく興味がわいたので、ちょっと近くの川に、オオサンショウウオを探しに行こうか!と、思ったのですが…。

今の季節に、両生類がノコノコ歩いているはずがないことに気が付きます。

あ~危なかった。もうちょっとで、バカ丸出しするところだった!

 

今朝、一番で来たのが…。

金山巨石群!

ここは、こちらの方のブログで知りました!→正しい道を司る

物凄く興味が湧いたため、今回訪れてみました。

何気なく置かれた巨石ですが、実は…。

正確に正面が南を向いており、中央、左右の巨石のおかれている角度は…。

これまた正確に、冬至の前後60日になると、洞穴の中に日が差すものになっています!

更に…。

右側の巨石の背面の角度が、正確に春分の日、秋分の日、の日の光の角度に合致しています。

更に更に…。

冬至、夏至の日も正確に分かるように、他にも巨石が並べられ…。

更に更に更に、うるう年まで正確に計測できる巨石の並びもあります。

この巨石群が作られたのは、紀元前500~1000年前の縄文時代後期。

こんな昔に、これだけ正確な暦があったことが驚きです!

縄文時代後期というと、そろそろ農耕が行われていた時代です。

焼き畑農法による稲作も、既にこのころに始まっていました。

おそらく、金山巨石群の近くに、縄文時代に大きな集落があったに違いありません。

で、なければ、これだけ大きな巨石を動かせるはずがありません。

調べてみると、乙原という集落が、この巨石群の川下にありました。

現在は、ダムでかなり沈んでいますが…。

この乙原集落あたりは、なだらかな谷になっており、良い集落ができそうな場所です。

ここにもし、縄文時代の大集落があったとしたら…。

ここの住人は、季節ごとに変化する、谷の中の山影、日の照り方などを観察していたはずです。

そんなことから、農耕では、正確な暦が欠かせないため、太陽観測を正確に行うようになり…。

岩屋巨石群を、後世への財産として作ったんじゃないか…。

そんなことを私は考えながら、この巨石群を眺めていました。

 

金山巨石群を後にして、次にやってきたのは…。

杉原千畝記念館!

この方、6000人ものユダヤ人の命を救った方です。

ここも、上にご紹介した「正しい道を司る」というブログで知りました!

第二次大戦時、その命が危なかったため、ユダヤ人はポーランドに逃れていましたが…。

ソ連の進行とともに、いよいよポーランドも危うくなりました。

ユダヤ人の方々が生き延びる方法は、ただ一つ、リトアニアよりヨーロッパを脱出し、日本を経由。

ユダヤ人を受け入れてくれる、中国やアメリカ、オーストラリアなどの国に逃れるしかありません。

そのためには…。

まず、リトアニアの日本領事館で、ビザを発給してもらう必要があったのです。

その時に、ビザの発給にあたったのが、杉原千畝氏だったのです。

杉原氏は、日本の外務省に、ユダヤ人のビザ発給の許可を取ろうとしますが…。

しかし、外務省はそれを許可しません。

職務をとるか、人道愛をとるか…。

杉原氏は悩みますが、しかし、人道愛をとったのです!

日本の外務省の指示を無視し、杉原氏はとにかくユダヤ人を助けるために、ビザを発給し続けます。

当然、杉原氏は日本の外務省の指示で、その職を追われますが、その間作成したビザが約6000人分!

その方たちは、杉原氏のこの行為により、生き延びることが出来たのです。

 

もう、この杉原千畝記念館に入ってから、目頭が熱くなりっぱなし!

これほどの感動を味わったのは、何年振りでしょうか?

じっくりと記念館の資料を見ていきます。

小さな記念館で、300円で入館できますが、大きな感動を得ることが出来る場所だと思います。

ここは、是非皆さんも行ってみてください。

ちなみに…。

杉原千畝氏は、最終的には鎌倉に住みますが、実は、私も鎌倉に住んでいた時期があり…。

杉原氏の年表を見てみると、約2年間ですが、意外と近くに住まわれていたことが分かりました!

なんか、凄くうれしかった…。

 

この日はほかにも回りましたが、長くなったので、また次回!

 

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