飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

再び深谷ねぎさん来訪!

2015-01-28 21:34:19 | 旅(freedom person)
昨年暮れに、車中泊で日本一周を終えた深谷ねぎさんが、先日再び我が家に遊びに来てくださいました。

日本一周を終えた今も、ブログの更新を続けられています。→日本一周たそがれの旅

深谷ねぎさんにお会いするのはこれで3回目。

もともとハンググライダーのパイロットでもあったので、旅の話を含めて私とは共通の話題が多いのです。

深谷ねぎさんはわざわざお土産に、文字通り「深谷ねぎ」と、先日自ら釣り上げたニジマスを燻製にしてくださったもの(日本一周たそがれの

旅最新版参照)を持って来てくださいました。



深谷ねぎはネタかな?と思いましたが、実は今が一番の旬だそうで、食べてみるとまるで果物のような甘さ!

こんな甘いネギは食べたことがありません!

燻製の方もとても丁寧に作られていて美味でした。

深谷ねぎさんありがとうございました!

お会いした当日は天気も良く、ちょうどちかくのハンググライダーエリア「足尾」で、たくさんのハンググライダーやパラグライダーが飛んで

いたので、ご案内いたしました。

深谷ねぎさんは、昔はハンググライダーをかなり熱心にやられていたので、現地で居合わせたフライヤーともすぐに話があい、とても楽しそう

にされていました。

ひとしきりハンググライダーを眺めた後は再び我が家に戻り、薪ストーブの炎を眺めながら、お互い今年やってみたいことなどの話で大盛り上

がり…。

深谷ねぎさんは日本一周の旅を終えた今も旅に出たくて仕方ないそうです(笑)。

とりあえず、温かくなったら「北」を目指すそうで、できれば昨年見ることができなかった「ねぶた」を見てみたいとのこと…。

その頃は、おそらく我が家も「北」を目指して移動しそうで…。


今度は北の大地で深谷ねぎさんと再びお会いしそうです!


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街に隠された滑走路と失われた「秋水」の格納庫

2015-01-22 21:52:34 | 日記(diary)
先日、太平洋戦争中の歴史や資料を残す活動をされている屋口正一氏にお会いし、かつて日本海軍が開発した特攻

グライダー神竜
について、その詳細を教えていただくことが出来ました。

この神竜については、既に知る方もほとんどおられなくなり、このままではその記録も残せないまま神竜自体が忘れ去られるのではという危機

感もあったので、私にとって屋口氏にお会いできたことはとても幸運なことでした。

屋口氏は神竜についての話をされていく中で、その他にも太平洋戦争中の出来事についていろいろと話して頂けましたが、その中にはとても私

自身驚いたこともありました。

その一つが、かつて茨城県の石岡市には海軍の飛行場があったこと。

みなさん。下の地図は現在の石岡市のものですが、不自然な直線道路が3本ありませんか?

実はこれがかつての海軍の石岡航空基地のなごりなんだそうです。



もともと霞ケ浦周辺には海軍の施設が多く存在しており、当時は軍事的に重要な場所だったそうです。

土浦には予科練の訓練所、軍用機の修理工場。鹿島には海軍の重要な飛行場があり、ここから桜花などの特攻機が一式陸攻の腹に抱かれて出撃

していました。

アメリカ本土に爆弾を落とすための「風船爆弾」などもここから飛ばされています。

そして、友部には予科練の分校。

前回ご紹介した大日本飛行協会中央滑空訓練所も軍事的目的でした。

今回ご紹介する石岡航空基地は、これらの飛行場が叩かれた時の予備的な目的で作られたのだそうです。

大戦末期の物質のないときに作られたため、その設備も粗末だったそうですが、

零戦六二型 9機
零戦五二型 1機
零戦二二型 1機
九九艦爆二二型1機
九九艦爆一一型1機
白菊 1機

が置かれていたそうです。



そしてもう一つ、度肝を抜くような事実を屋口氏は教えてくれました。

それは、石岡航空基地の北2キロほどに位置する小高い山「龍神山」に、かつて秋水の格納庫と発射台があったそうです。

秋水とはB29を迎撃するために作られたロケット戦闘機です。



ロケットエンジンのためどんなに高いところでも飛べ、速度も圧倒的に早かったためB29の迎撃にはうってつけだったのです。

この秋水は大戦には間に合わず開発のみで終わりましたが、私が住んでいるすぐ近くにそのようなものがあったという事実に驚いてしまいまし

た。

確かに考えてみれば、土浦周辺は軍事的に重要な設備が多く存在し、B29の爆撃目的になったしまうため、それを迎え撃つ「秋水」が配備される

のもうなずけます。

この秋水の格納庫は、大戦末期で物資がなかったため重機も使わずに手で掘りぬいたそうですが、現在同場所は採石場となって崩されてし

まったため現存はしていません。




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特攻グライダー「神竜」と頓所好勝氏。その詳細について分かりました。

2015-01-18 18:26:30 | 日記(diary)
頓所好勝氏…。



この方、戦前にわずか18才で世界的にも最高レベルのハンググライダーを作られた方です。

下がその時に作った「頓所1号」の三面図です。



この方については以前このブログでもご紹介しましたが、実はこの頓所氏、太平洋戦争中に特攻グライダー神竜という兵器

の開発を、海軍の要請で手掛けています。

この神竜は、太平洋戦争末期アメリカ軍が日本に上陸することを想定して、波打ち際で特攻攻撃しその上陸を阻止することを目的として開発

されていたもので、幸い使用される前に終戦を迎えたため、この神竜の犠牲者はいませんでした。



当時戦局が悪化した日本は、みなさんもご承知のように特攻が盛んにおこなわれ、パイロットのほとんどが戦死してしまっていたため、パイ

ロット予備軍となっていたまだ年若い予科練生を特攻人員としてつかうことが考えられました。

そこで考案されたのがこの神竜なのです。

予科練生はそのほとんどがグライダーが操縦できたため、そのグライダーに固体燃料のロケットエンジンを積み、100キロ爆弾とともに敵に体

当たりさせるという今では考えられない非人道的兵器でした。

…。と、ここまでは頓所好勝氏の人生を紹介した書籍、佐野寿人著「マイウイング」に書かれているのですが、それでは実際にその特攻グラ

イダー神竜がどこで誰が作り、そしてテストされていたのかなどの詳細までは分からなくなっていました…。

このことについて、わたしはとても心に引っかかるものを感じてましたが、先ごろ本当に偶然にもそして幸運にもこの「神竜」について

ご存知の方にお会いすることが出来ました。

その方のお名前は屋口正一氏

現在石岡市在住。

昭和5年生まれ。学徒動員で土浦で海軍の戦闘機の修理を手掛けられ、戦後は戦中の資料などを集め保存する活動をされています。



この屋口氏より特攻グライダー神竜についてさらに詳しいお話を伺うことが出来たのでご紹介いたします。

この神竜。海軍の要請で逓信省が開発していますが、そこで実際に設計にあたったのが18才で世界最高レベルのハンググライダーを作った頓所

好勝氏。

そして、この神竜がテストされたのが、茨城県石岡市の半ノ木地区にあった大日本飛行協会中央滑空訓練場であったことが、今回屋口氏とのお

話で確認出来ました。

ここは戦中盛んにグライダーが飛ばされ、パイロットの養成や社会に対するデモンストレーション、そして、グライダーの開発も目的として

運用されていた滑空場です

当時は多くの練習用グライダーなどがおかれていましたが、その中にはグライダーの本場ドイツより輸入した高性能機「オリンピアマイゼン」

が2機(登録番号001および003)おかれており、華々しく飛行していたそうです。

そして、神竜が製作されたのは、現在石岡市の府中中学校がある場所。

ここには当時美津濃グライダー製作所(あのスポーツ用品メーカーの美津濃のグライダー製作部門だそうです。)があり、国産の数多くのグライ

ダーが製作されていましたが、そのなかで神竜も製作されたそうです。



写真Aの場所が美津濃グライダー製作所(現府中中学校)。そして、Bの場所が大日本飛行協会中央滑空訓練場(現帝京大学グラウンド)になりま

す。


神竜はこの場所で開発された後、鹿島の海岸に配備される予定だったそうで、屋口氏の話では後に実際に特攻攻撃が予定されていたその鹿島で

も飛行がおこなわれたそうです。

その飛行について、実際にロケットエンジンを点火しての飛行だったかただの滑空テストだけだったかは屋口氏はご存知なく、それについて

知っていた方は既に他界されているとのことでしたので、現在は確かめることができませんが、わたしが考えるに滑空テストではかえってウイ

ンチやゴム索などの設備が必要なため、ロケットエンジン点火での飛行だった確率が高いと思います。



今回幸運にも屋口氏に出会え、特攻グライダー神竜のその詳細についてお話を伺うことができましたが、話の中でさらに興味深いことを屋口氏

よりお伺いすることが出来ましたので、それについては次回ご紹介致します。



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トミーさん再び来訪!

2015-01-11 18:54:40 | 旅(freedom person)
昨日、現在日本一周ブログ村ランキングNo,1のトミーさんが我が家に再び遊びに来てくださいました。

今回は女房の強い希望で、トミーさんがほとんど毎日食しているメニュー「マーボー豆腐」とビールをトミーさんにリクエストしたところ、

さすがは心の広いトミーさん、喜んでそれを持って来て頂けました!




実はこのマーボー豆腐のメニュー、トミーさんのブログにはしょっちゅう登場しているもので、日本一周ブログ界ではちょっと有名なメニュー

なのです(笑)


その夜はトミーさんが直接作ってくださった日本一周ブログ界噂のマーボー豆腐を肴に我が家で宴会となりました。

酒を飲みながら、日本各地の面白い場所、面白かった話や、いろいろな旅の情報なども交換し合います。

そして、酒が入ってくると旅の話も好調となり、いろいろな裏話も飛び出してきました。

しまいには、生き方や人生論などの話も酔いが進むと飛び出してきて、なかなか楽しい飲み会となりました。



現在トミーさんは日本一周を終えられ、とりあえず旅は休止状態で「充電中」なのですが、既に「日本二周目」に向かって具体的に準備をされ

ているそうです。

だいたいのプランも既に出来上がっており、どうやら今年の後半から「実行」しそうな感じです。

トミーさんが日本一周をともにしたスーパーカブ110もその走行距離が80000キロを超え、ますます旅人として気合が入ってきたように感じられました。

本人曰く、「このカブは200000キロでも300000キロでも走ってやる!」という気合の入ったお言葉‥。

是非、日本中を走りまくって愛車のカブを乗りたおして欲しい!!

そして、影ながら私もそれを応援いたします!


コメント (3)
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