飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

人生の不思議なめぐり合わせ…。

2017-07-26 16:51:16 | 自作飛行機(homebuild airplane )
私は子供のころから飛行機が大好き!数えきれないくらいの模型飛行機を作っていた。

そんな中、今はほとんど見なくなったが、ワイヤー二本でエンジン付の模型飛行機を操作するUコンというものに、私はおおいにハマった。

当時、そのUコンの全日本チャンピオンを毎年のように勝ち取る方がいらっしゃり、子供のころの私の憧れだった。

佐々木正司氏という方だ。

佐々木さんは、大学時代にグライダーのライセンスを取得し、のちに鳥人間大会の滑空機部門の有力選手となった。



私が中学生になるころ、テレビで「びっくり日本新記録」とう番組が始まり、この企画の一つとして、琵琶湖で自作の飛行機の競技が開催された。

これが今の鳥人間大会の前身となった。

中学生だった私ではあったが、この競技に大いに興奮し、そして、夢中になった。

第一回目の優勝者は、ハンググライダーのベテランパイロットだった岡良樹氏であったが、この機体を設計者は、かつて一式陸攻を手がけた本庄氏であった。


時は進み、私が高校2年の時、雑誌に鳥人間大会の記録が、とうとう100メートルを超えたという記事が掲載された。

私はまたも大いに興奮した。

この記録を出したのは、鈴木正人氏であり、当時は日大理工学部の学生であったが、のちに、鳥人間大会での人力飛行機を大きく進歩させることになるエアロセプシーを設

立することになる。



「鳥人間で100メートルを超えた!」

この出来事に、私はたまらず次の年に、実際に琵琶湖へと足を運んだ。

少ない小遣いを握りしめ、各駅列車にのり、はるばる琵琶湖へとたどり着いた。

当日は残念ながら雨であったが、それでも、競技は行われた。

この年は悪条件もあり、新記録は出ず、ハンググライダーを改造した機体で参加した菊池守男氏がその優勝を勝ち取った。


高校卒業後、航空関係の学校へと進んだ私は、とうとう機体の設計者としてこの大会に参加した…。



あの頃はすべてのことが刺激的で、そして、楽しかった。

夢中になってやっているうちに、いろいろなことをどんどん吸収し、みるみる成長していった。


そんな青春時代を経験し、そして、30年の月日がたった。

第一回目の優勝者だった岡良樹氏は、長年鳥人間大会の審査員をされていたが、そろそろ引退したいということで、その後継者に

抜擢された。

そして、私はJHF(日本ハング・パラグライディング連盟)の代表として、鳥人間の審査員を仰せつかった。

実は、JHFにはもう一人鳥人間大会の審査員の方がいらっしゃるのであるが、その方は、私が初めて琵琶湖へと行った時の、雨の大会での優勝者である菊池守男氏なのである。

そして、そんな審査員の方たちの中に、子供のころUコン日本チャンピオンだった佐々木正司氏が、現在プラットフォームでの最終検査員としていらっしゃる。

また、100メートルを最初に超え、エアロセプシーを設立した鈴木正人氏が、大会全体の解説者としていらっしゃる。

私は今、私自身の人生に影響を与えた、このような方々と共に、鳥人間大会で仕事をしている…。


このことは、今さらではあるが、とても不思議な出来事のように感じるのである。


私は、鳥人間は「王道を行く大人の遊び」と考えている。

過去、この「遊び」にハマった若者たちの多くは、そののち世の中の第一線をいく技術者へと成長している。

鳥人間で極限設計を学んだことが、大きな経験となっているからだ。

いま、私のもとへ、昔の私と同じように、この鳥人間大会に夢中になっている若者が訪ねて来てくれる。

彼らは、一人一人、大きな可能性を秘めていると私は思っている。

私がかかわる若者たちは、まず間違いなく次の日本を背負うような素晴らしい技術者となっていくであろう。

だからこそ、そんな若者一人一人を大切にしなければいけないと私は考えている。

彼らもまた、若い時の私と同じように、様々なことに挑戦し、そして、多くの人生を変えるような素晴らしい方と巡り合うことだろう。

時がたち、そんな若者たちがそれぞれの人生を歩み、その結果、どれだけ大きくなっていってくれるか。それが楽しみである。



さて、明後日から第40回鳥人間大会が今年も琵琶湖で開催される。

今年も、頑張って自分に与えられた仕事をこなしたい!





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ストーブトップのガスケット化

2017-07-16 17:27:41 | 薪ストーブってどんなもの?(what's woodstove)
もう6シーズン使った我が家の薪ストーブ「アクレイム」。

昨年は、とうとう薪ストーブのオーバーホールを自分で行ってみました。

自分で全部バラしてみると、いろいろなことが分かってくるもんです。

そんななかでも、今後のメンテナンス性を向上させるため、ストーブトップをガスケット化する改造を、是非試してみたくなりました。

このストーブトップのガスケット化は、いつも薪ストーブでお世話になっている薪焚亭さんがあみ出した手法です。

本来、我が家の薪ストーブのメーカー、バーモントキャスティングス社の薪ストーブは、ストーブトップ部分が「耐熱セメント」で接着されています。

しかし、ストーブトップ部分がセメントで固定されていると、いちいちこのセメントを壊してトップを外す必要があり、メンテナンスがとても面倒で、コストがかかるものになってしまうんです。

ストーブトップをガスケット化しておけば、比較的簡単にこの部分を外すことができ、メンテナンス性がグッと向上するんです!


さて、薪ストーブをバラす前に、まずは煤や灰で回りが汚れないように、炉台周りを養生しておきます。



我が家の「アクレイム」は、板状の鋳物を耐熱セメントで接着することで組み立てられています。

ストーブトップはストーブの底板と、長いボルト「タイロッド」で4辺つなぎ留められており、ストーブトップを外すには、ストーブ底板のボルトを外せば良いのですが…。

そのままこのボルトを外してしまうと、部品の重み等で、他の耐熱セメントが割れてしまうので、ベルトでしっかりと耐熱セメントが割れないように縛っておかないといけません。

その時、今回の作業で外す予定の「タイロッド」は、かわすようにその内側にベルトを通しておきます。



そんな前作業をして置いた後、いよいよストーブ底部のボルトを全部緩めて、ストーブトップを外します。



ちなみに、このとき、ドアやサイドパネルも外しておきますが、アクレイムの場合、左側のサイドパネルが、ストーブトップを外さないと取れてくれない構造になっているため、その部分はサイドパネルの内側にベルトを通して、余計な耐熱セメントが

壊れないようにしておく必要があります。



さて、とれたストーブトップについている、耐熱セメントを全部きれいにはがして、いよいよガスケットを貼り付けます。

このガスケットは、薪焚亭さんに教えてもらい、7/16サイズのものを使用しましたが、ピッタリな感じでとてもしっくりきました。



目的のストーブトップのガスケット化も終わり、ついでにストーブ内部を一通り点検。

トップローディングのガスケットが痛んでいたんで、これも交換しておきました。

今回は他のガスケットは交換しませんでしたが、次のシーズンでは、内部のガスケットはすべて交換しなければいけないでしょう。

ストーブトップを取り付けて、ボルトを締めて固定。このとき、やはり気密を保つためにも車のホイールと同じように、対角線でボルトを締めていったほうが良いと思います。

また、締め付けトルクも、ほどほどにしておいたほうが良いと思います。

基本的には、ガスケットや耐熱セメントで気密を保ってくれるはずです。



組みあがった我が家の「アクレイム」。

半日ほどで作業は終了しました。

さて、これでこのシーズンのストーブメンテナンスも終了。

次のストーブシーズンが楽しみです!




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どんな形の飛行機でも飛ぶんです! その18

2017-07-08 17:57:46 | 自作飛行機(homebuild airplane )
前回はライト兄弟の飛行機について御紹介しましたが、みなさんは、ライト兄弟が飛んだ同じアメリカで、ライト兄弟よりも早く飛行機を飛ばした人がいたことをご存知でしょうか?

グスターヴ ホワイトヘッドという方です。



この方、その飛行に関し、写真を撮るなどの「証拠」を残さなかったため、ずっと歴史の闇に埋もれていた方です。

もともとはドイツ人で、グライダーの父と言われる、あのリリエンタールにも会ったことがあるようです。

また、はっきりしないのですが、ライト兄弟が自分たちの飛行機のエンジンを作るときに、その技術をグスターヴに教えてもらいにきたという話もあります。

いろんなことがはっきりとせず、グスターヴが飛んだことも目撃者の証言でしか残ってないのです。


彼の飛行機は、プロペラが二つあり、飛行方向の変更は、二つのプロペラに推力差を作ることにより行っていました。

旋回するときは、曲がりたい方の翼をたわませ、そして、同時に体重移動を行うことにより曲がっていたようです。

また、プロペラ以外にも車輪にもエンジンをつけていたという特徴もあります。


本当にこのグスターヴが飛行機で飛んだのか?

これについてはいまだに論争となっているようで、その証拠の少なさから「否定論」もあるようです。

私もネットでグスターヴについて調べてみましたが、見つけた写真は地上で写された2枚だけでした。


で、実際にこのグスターヴの飛行機が飛んだかどうかの私なりの意見なのですが…。

これ、はっきり言って飛ぶと私は思います。

もっとも、その飛行に際し、飛行に耐えられる強度と剛性を持っているという条件付きなのですが…。

まず彼は、リリエンタールの教えからグライダーでの実験を行っており、そのグライダーはちゃんと飛んでいたことから、動力のついた飛行機でも十分な強度と剛性があったと思われます。

エンジン馬力的には20馬力と非力ではありますが、ライト兄弟は12馬力で飛行に成功しています。

そして、何よりも飛行に必要な自立安定性がありそうなのです。

まず、翼に上反角があることから、ロールの安定はあったでしょう。

そして、垂直尾翼がないのですが、主翼と水平尾翼の取り付け角から、重心位置が結構前に位置していたことが予想され、その場合、重心より後ろの抵抗が増えるため、それなりに方向安定もあったと思います。

(これについては一番怪しいところではありますが…。)

そして、ピッチの安定なのですが、写真をみると、上に書いたように主翼と水平尾翼の取り付け角が、いつも私が申し上げているように浅い逆ハの字の関係がきちんと保たれてます。

つまり、むしろ、ライト兄弟の飛行機よりも安定して飛んだのでは?と、思えるところもあるのです。

ただ、グスターヴの場合、ピッチ、ロール、ヨー。3軸の姿勢の制御がまだしっかりとしておらず、その辺はライト兄弟の方に軍配が上がると思います。

でも、ただ飛行するだけならば、グスターヴの飛行機でもなんとか飛べたのでは?と、私は思います。




飛行機って、このブログで何度も申し上げているように、実は、決まった要点だけをしっかり押さえていれば、とりあえず飛ぶことが出来ます。

その要点とは…。

機体を浮かせる揚力が発生すること。

自立安定性を持っていること

上記の二つが維持できる、強度と剛性を持っていること

この三つです。

更に、「自立安定性」について、

ロールは上反角、あるいは、後退角があること

ヨーは垂直尾翼を持つか、重心より後ろの抵抗が大きいこと

そして、ピッチについては前後の翼の取り付け角の関係が



これだけ保たれていれば、どんな形の飛行機でも飛んでしまうんです!


今回ご紹介しているグスターヴの飛行機は、ちゃんと上記の飛行機が飛ぶ重要な要素が備えられているのです。

だから、私はグスターヴの飛行機は、ライト兄弟の飛行機よりも前に、おそらく、飛んでいたと思います。



某、自作人力飛行機で飛距離を競う番組の出場機を選定する「書類選考会」では、形だけ「飛行機らしい」形の図面を提出し、実は、本当に飛行機が飛ぶことに必要な上記の要素の記述が見当たらないものを多く見受けます。

特に、ピッチの安定性に重要な「翼の取り付け角の関係」の記述がない物が多く、正直、安全に飛べるかどうか、その判定が出来ないものがあります。

と、言うか…。

その記述がないということは、飛行機がなぜ飛ぶか、設計者はそれを理解していないという判定になり、大きな減点対象になります。


飛行機って、その形がどうのこうのという以前に、実は、上記の飛行に必要な要素が備わっているかどうか?ということのほうが、よっぽど大事なんです!



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どんな形の飛行機でも飛ぶんです! その17

2017-07-01 18:54:48 | 自作飛行機(homebuild airplane )
皆さんもよく知るライト兄弟の飛行機。実は、とんでもなく操縦が難しい飛行機だったってご存知でした?今回はそんなお話です。



ライト兄弟の飛行機は写真を見ても分かるように、水平尾翼が前にある先尾翼という、現在はあまり一般的ではない形式でした。

なぜこの形式をライト兄弟が選んだのか?

それについては、私はよく分からないのですが…。

もともと先尾翼の飛行機というものは、あんまり安定が良くないものなんです。

それは、重心位置よりも前に水平尾翼がある関係上、抵抗になるものが前にあることにより、結果的にその飛行が不安定になりがちになってしまうんです。

そして、何よりも、ライト兄弟の飛行機には致命的な欠陥があったんです。

それは…。

水平尾翼が全部舵として動く、今で言う「フライングテール」という形式だったことです。

この、水平尾翼が全部動くフライングテールという形式。その角度の管理が難しく、基本的には水平尾翼としてしっかりと固定されていないと、とてもピッチの安定を取ることが出来ないものなのです。

基本的には、飛行機は主翼と尾翼の取り付け角の関係が、このブログで何度もご紹介しているように



この関係がないと、ピッチの安定がとれません。

フライングテールの機体の場合も、基本的にはこの関係を保っていないと、飛行機は安定して飛ぶことが出来ないんです。

で…。

ライト兄弟の飛行機をもう一度よく見てみると…。

水平尾翼は、特に決まったポジィションに固定されているわけでもなく、単純に人が持つ操縦桿に直結されているだけだったのです。

これでは水平飛行が安定して行えるはずがありません。

更に…。

ライト兄弟が最初に作った飛行機は、水平尾翼の面積、そして、重心位置からの距離がとても少なく(この両者の積が飛行機のピッチの安定性を決める水平尾翼容積という特別な言い方をする)、もともととてもピッチの安定が悪

いシロモノだったのです。


本来ならば…。

水平尾翼全体が動くフライングテールにするのではなく、安定板をある程度設けた、一般的な飛行機が採用し

ている形式にすべきだったと思います。




余談ですが、某自作飛行機の競技を行うテレビ番組では、このフライングテールを採用している機体は、その機体の水平尾翼が、電気的に動く、しっか

りとしたサーボで、頑丈に固定されてでもしていない限り、単純にワイヤーなどで操縦桿に直結されている機

体では、ピッチの安定がとれず、その飛行に危険があるものと判断され、大きな減点対象になっています。


でも…。

それでも…。

ライト兄弟の飛行機は見事に飛ぶことが出来ました。

これは、ライト兄弟が人一倍その飛行を訓練し、神業的なピッチコントロールの技術を習得することに成功していたこ

とに他ならないからなんです。


正直、ライト兄弟が最初に飛ばした飛行機は、ちょっとその飛行には問題があったのですが、彼らは操縦の努力でそれを補って見事に飛んでしまったの

です。


こんなことはあり得ないことですが…。

もし、私がライト兄弟の最初の飛行に立ち会ったとして…。

そして、もし、私が彼らの飛行機に乗ることになったとしたら…。

おそらく、次のような改造をしたでしょう。

それは…。

まずパイロットの位置を彼らが決めた位置よりも少し前に変更、つまり、重心位置を前に変更し、そして、水平尾翼を大きめの取り付け角に

設定して、完全に固定してしまったと思います。


このほうが、かえってピッチの安定が出て飛びやすくなったと思います。

水平尾翼が完全に固定されても、もともとピッチは不安定な機体であったため、前後の体重移動だけで十分コントロールは出来た

と思います。

…。

…。

なんだかんだと大先輩のライト兄弟の揚げ足取りのようなことを書いてしまいましたが…。

翼をねじってバンクをかけ、世界で初めて安定した飛行機の旋回を成功させたことは、後々の飛行機の発展に大きな功績を、ライト兄弟は残

したことは間違いありません。


このアイデアは、やはり、彼らの本業が「自転車屋さん」だったからに他ならないと私は思います。

自転車はバンクをかけなければ曲がりません。

ライト兄弟は、鳥の飛行を観察しているうちに、鳥が旋回している時は、自転車と同じようにバンクをかけている事実に、自転車屋さんだったからこそ

気づくことが出来たのだと思います。


ライト兄弟は、飛行機を飛ばした後は、その特許権がなかなか認められず、苦労しながら細々と飛行機や飛行機のエンジンを作る会社を立ち上げて、少

ない収入を得る生活を続けることとなります。

そして、あまりパッとしない人生を過ごすことになるのですが…。

実は、先ごろ日本に導入が決まった最新鋭戦闘機のF35



この飛行機を作ったロッキード・マーチン社という会社は、その歴史をたどっていくと、驚くことに、このときライト兄

弟が起こした会社に行きつくのです。


そういった意味でも、ライト兄弟が残した功績は、やはり大きなものであったと言えます。


こんな航空界の歴史の中で、ライト兄弟よりも先に、同じアメリカで、飛行機の安定した飛行を成功させていた人物がいたことはあまり知られていませ

ん。

次回はその人物をご紹介いたしましょう!






コメント (4)
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