飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

今年も北海道!

2023-07-26 08:41:10 | 旅(freedom person)

今年も毎年恒例の鳥人間大会が、琵琶湖で開催されます。

この週末の7月29日、30日、彦根市の松原水泳場にて…。

これが終わると…。

…。

私は北海道に旅立ちます。

出発は7月31日を予定しています。

また、リアルタイムでこのブログを更新していく予定です。

 

とりあえず今年は、まずは、知床を目指して移動。

その後は、大好きな道東、それに、道北を主に回ろうかと考えています。

既に旅仲間は北海道を回っています…。

こちらの方は↓

なんとなくなんですが、お盆前くらいに知床に来る予感がしているので…。

出来ればお会いしたいと思っています。

ブログ→青の風に吹かれてを書かれています。

私の出発は31日ですが、知床なんて、茨城からならば、下道でも3日あればいけますので(私基準)、お盆前には

着くでしょう!

また、この方も↓

どこかでお会いしそうな…。

ブログ→スーパーカブ110で行く日本一周の旅を書かれています。

 

その他にも、かつてお会いしたことのある方々が、既に数名旅しています。

どこかで、偶然お会いしそうな…。

 

誰に合うかわからない、何が起こるかわからない…。

それも、旅のだいご味と言えます。

今からワクワクが止まりません!

 

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通潤橋のスゴさ!

2023-07-19 15:37:18 | 日記(diary)

先ごろ、熊本県の「通潤橋」が国宝に指定されたそうで…。

私は、この通潤橋って、モノスゴいと思っているのですが、そのことが、今一つ世の中に知られていなかったよう

な気が、ずっとしていました!

今回の国宝指定は、個人的には当然!もっともなことだと思っています。

さて、それではこの通潤橋、どのくらいスゴいものなのか…。

今夜はそんなお話です。

 

この通潤橋は、今から170年前の江戸時代に作られた水道橋です。

谷を挟んで、反対側の土地に、水を運ぶために作られたものです。

驚くのはその原理…。

逆サイフォンの原理を使って、高いところから、通潤橋の位置で一度下がり…。

再び押し上げて、反対側の土地に水を運んでいます。

この逆サイフォンの原理は、既にこの時代、江戸の町の水道や、兼六園の噴水など、多所に渡り使われていました

が…。

それらと比べ、この通潤橋の工事は、はるかに難易度が高いものなのです。

その理由は…。

強力な水圧に、通潤橋が耐えなければならないからなのです!

水圧は、10メートル下がると、1平方センチあたり1キログラムの力になります。

つまり、上図で言うと、通潤橋の水路の高低差は7.5メートルあるわけですから…。

1平方センチあたり、0.75キログラムの水圧がかかるわけですね!

これ、1平方メートルあたりに換算すると、7.5トンもの水圧で通潤橋を押し広げることになります。

水圧ってものすごいんですね!

通潤橋では、この強烈な水圧に耐える構造として…。

くり抜いた石を並べて接続し、水路としているのです!

石と石の接続は、漆喰を使い、更に、水が漏れないように、内部は特別な漆を使っていたみたいですね!

更に…。

石造りのアーチ橋の形式を持つ、この通潤橋。

実は、あの黒部第4ダム、通称黒4ダムと同じ原理で、その姿を保っているんです!

え!黒部ダムはダムでしょ!通潤橋は橋じゃん!

…。

そんな声が聞こえてきそうですが…。

まあまあ。私の話を聞いてください。

 

黒4ダムは、よくアーチ式ダムなんて言われいますが…。

これ、はっきり言って間違いです!

黒4ダムは、正確には、アーチ式と重力式の複合ダムなんです!

これ、どういうことかというと…。

アーチ式って、アーチ型にすることにより、水圧を圧縮の力に変えて、コンクリートの負担を少なくすることで、

コンクリートの量を節約でき、経費が安くできるメリットがあります。

しかし…。

アーチ式ダムの場合、水圧が、ダム両端の地盤に、どうしても集中してしまうため、地盤が崩れやすくなるんです

ね!

この欠点を補うため、黒4ダムでは、アーチ式ダムの両端を、重力式に切り替えることにより…。

コンクリートの重さで、アーチ式ダムから伝わる水圧を分散することにより、地盤への負担を軽減しているので

す!

これと同じ原理が、実は、通潤橋にも使われているんです!

アーチを描く通潤橋は、その両側に石の重さが伝わっていきます。

つまり…。

通潤橋の両側は、大変な力で地盤を押すことになるわけですね!

そうなると、両側の地盤は押しつぶされてしまい、通潤橋自体も崩れてしまうことになるのですが…。

そうならないように、通潤橋の両側は、「張り出し」を持った、しっかりした土台が設けられているのです。

つまり、その土台の重さで、通潤橋を支えているのです!

上の写真で、その土台の張り出し部分を見ることが出来ますね!

この考え方が、まさに黒4ダムと、まったく同じなんです!

…。

170年も前に作った通潤橋が、実は、黒4ダムと同じ構造だなんて、スゴいと思いません?

繰り返しますが…。

170年前の土木技術でありながら、最新式の土木技術にも引けを取らない、素晴らしい技術が使われていたんです

ね!

 

だから、国宝となってしかるべきと、私は思っているのですが…。

少々不満なのは…。

これだけの技術が使われている通潤橋が、やっと国宝になれたなんて…。

その素晴らしさに気付くのが、ちょっと遅かったんじゃないかな?

 

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御前崎から木喰の里へ…。

2023-07-13 09:09:43 | 旅(freedom person)

御前崎の駐車場で目覚めた朝…。

静かな場所で、夜は波の音しか聞こえませんでした。

ゆっくり朝食を済ませて、時間をかけて、食後のコーヒーを淹れます…。

 

今日は、以前から行きたかった場所を目指します。

身延町にある、「木喰の里微笑館」です。

ここは、木喰上人が彫った仏様の資料館です。

木喰上人とは、こんな仏様を彫っていた↓人物です。

とても穏やかな笑みを浮かべられた仏様です。

写実的な彫り物から逸脱し…。

少しデフォルメされたその表情から…。

とても穏やかな、人の心が表現されていると思います。

 

人の心は、時として乱されることもあるもの…。

しかし、笑顔をもって、相手の心を探れば、おのずと相手の心を知れる…。

そのような寛大さをもってすれば、物事のわだかまりはなくなるもの…。

 

にこやかに笑う、この仏様の表情から、そんなことを教えられたような気になりました…。

木喰上人の仏様は、ずっと見ていても飽きることはありません。

その笑みの中から、多くのものを教えて頂ける気がします…。

 

この木喰上人、人としても興味深いものがありました。

ある日、「野良(畑)に行く。」と言い残して、そのままこの地より江戸へと旅立ち…。

手広く商売を手掛けて成功もしたようですが、50を過ぎてから仏門に入ったようです。

それからは、木喰という、五穀を絶って、木の実や草の根だけを食べる修行に入り、仏様を彫ったようです。

木喰上人の名は、ここからついたんですね!

 

微笑館を振り返って…。

相当な山の中にあります。

後ろに見える山は「毛無山」といいます。

実は昔、この山の上を、ハンググライダーで飛びまくっていました!

こんな近くに、これほど興味深い場所があったなんて…。

あの頃は、全く知りませんでした…。

 

この微笑館を後にして、個人的に興味深いものを見つけました!

国道300号に、相当珍しい「ループトンネル」があったことです!

ループトンネルとは、ぐるっと360度回って、先に進むトンネルのことです。

私はもともと、ループ橋を見つけると、妙に興奮するタチで…。

ループ橋とは、高速道路のインターチェンジにある、あの、ぐるっと回る橋ですが…。

私が興味をそそられるのは、無料で通れるループ橋…。

断崖などで、相当高低差がある場所に、やむを得なく設置される橋なんです。

私だけかと思っていたら、ちゃんとこんなサイトがあるんですね!→ループ橋

しかし…。

それがトンネルの形で存在していたなんて…。

ひょっとして、日本ではここだけ?

 

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紀伊半島を回って浜松エアパークへ…。

2023-07-08 08:04:53 | 旅(freedom person)

ご先祖様のお墓参りを終えた私は…。

紀伊半島をぐるっと回って、一気に浜松市の航空自衛隊エアパークを目指したのでした。

 

途中、串本の橋杭岩にて…。

う~ん。素人の仕事じゃないですね…。

かなり出来が良いです。

雰囲気からして、長期滞在者ですね!

お話ししたかったのですが、結局出てきませんでした…。

 

この後、ビューンと一気に走って…。

浜松エアパーク!

ここは、以前から来たいと思っていた場所です。

今まで、上手くタイミングが合わず、来たことがなかったんです!

無料で入れますが、かなり、充実した内容でした。

中は…。

歴代の航空自衛隊で使用された航空機が展示されています。

手前から…。

F86、F104、F1、そして、F4ですね!

ちょっと切れていますが、手前にあるエンジンが、J79-GE-17。

シンプルな一軸エンジン(現在は、ほとんど2軸)の傑作と言われており、写真にあるF104とF4に載せられていま

す。

そして、正面に吊るされているのは、零戦52型の本物。

ジャングルで発見された機体を修復したものです。

この機体、私が学生時代に、三菱重工の小牧工場にお邪魔したとき…。

その工場の片隅で、作業員の方たちが復元していたのを見た記憶があります。

ちょっと茶目っ気を出して、操縦席に座らせていただきました!

これはT4ですね!

現在ブルーインパルスが使用している機体です。

よく、飛行機のコクピットはオーバーデコレーション…。なんてコメントを聞きますが…。

とんでもないです!これ、どう考えても必要最小限!

無いと困るものばかりです。

ちなみに…。

この計器の配列には決まりがあり…。

右側はエンジンの状態、中央は機体の姿勢に関するもの、そして、左側はその他の機体の状態(高度や上昇率な

ど)を表示するものが配置されています。

基本的には、航空自衛隊で使用される機体は、みんな統一されているのだそうです。

 

その他にも、F1戦闘機の詳細を説明したコーナーなどもありましたが…。

相当勉強になりました!

普通、飛行機の胴体って、がらんどうなのですが、戦闘機は、火器管制装置やら慣性航法装置やらがびっしり詰ま

っており、かなり複雑なんです。

一つ一つの装置を見ていくと、かなり面白かったです。

 

エアパークを後にした私は、この後、御前崎にて車中泊…。

翌日は、もう一か所行きたかったところへと向かいました!

 

 

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コレヒドール島の叔父さん…。

2023-07-03 20:35:36 | 日記(diary)

つい先日、仕事で実家の近くに行ったので、ご先祖様のお墓にお参りしたのですが…。

ずっと気になっていたことがあるんです。

それは…。

墓石に、私のおじさんにあたる方が、「コレヒドール島にて戦死」と、書かれていることなんです…。

このことが、どういうことを意味しているのか…。

恥ずかしながら、私は結構大人になるまで、全く知りませんでした。

そのことが…。

ここに眠るおじさんに対して、本当に申し訳なく感じているのです…。

 

そもそもコレヒドール島とは何なのか…。

この島は、ヒィリピンのマニラ沖にある島のことです。

太平洋戦争時、この島は、アメリカ軍との壮絶な奪い合いがあった場所なのです。

ご存じのように、太平洋戦争は、環太平洋の島々が、日本軍とアメリカ軍との奪い合いになった戦争なのです

が…。

この奪い合いの中で、とりわけ、ヒィリピンのマニラは重要な場所とされていました。

そのマニラを守るためには、その玄関口に位置していた、このコレヒドール島を押さえることが、とても重要とさ

れていたのです。

そのため、太平洋戦争開戦早々、このコレヒドール島の壮絶な奪い合いが、日本軍とアメリカ軍との間で繰り広げ

られたのです。

 

もともと、戦争が始まる前は、このコレヒドール島は、アメリカ軍の支配下にありましたが、太平洋戦争開戦早々

に、日本軍がこの島を占領します。

しかし、戦局が悪化していく中で、終戦前には、再びアメリカ軍がこの島を奪い返すことになりますが…。

その間、大変な戦闘が、この島で繰り返されたのだそうです。

 

日本軍、アメリカ軍。お互い相手にこの島だけは渡してはなるものかと、激しい戦闘が繰り広げられました。

私の叔父さんは、この戦闘の中で戦死したのです。

一体どのような気持ちで、この戦闘に、叔父さんは参加していたのか…。

どんな不安の中で戦っていたのか…。

どんな苦しい思いをしていたのか…。

そして、どんな辛い思いをしていたのか…。

今の私には、とても想像が出来ない世界だと思います。

そんな、私の叔父さんがつらい思いをしていたことを、ずっと大人になるまで知らなかった私自身が、正直、私は

恥ずかしく思っているのです。

 

私の父親は、この戦死した叔父さんの弟にあたりますが…。

父親は、戦死した叔父さんのことについては、一切口に出したことがありません。

だから、私もこの事実については、ずっと知らなかったわけですが…。

おそらく…。

私の父親も、戦争については、語りたくはなかったのでしょう。

ただ、私の父親は、テレビなどで太平洋戦争の映像などが流れたときは、何も言わずに悲しそうな目でその映像を

見ていたことだけは覚えています。

 

今は、私は実家から遠く離れた場所で生活する身となりましたが…。

せめて、実家の近くに行った時くらい、このお墓にお参りする…。

そんなことくらいしか、今の私には、出来ないと思います…。

 

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