後光のさす後輪は、知恵と洞察と慈愛の象徴。
遍路を往くなかで、とことん疲れじっと手を見ることもある。
「せがれ、その手が宝物」
なんでしんどいとわかっていることにでも、人は果敢に身を投じてしまうのか。
遍路を積み重ねることで、少しずつ実感する事がある。
労力をかけなければわからないことがある。
労力を節約する機械や装置や方法や言い訳は掃いて捨てるほどあるが、安易に節約してはいけないものがあるということ。
「思考を節約する」装置はもちろんのこと、「仕事を節約する」「愛を節約する」装置はいまだ誰も発明していないのは、それが一人一人に違う「宝物」だからだ。
知恵や慈愛や洞察の象徴だからだ。
菩薩の顔はまだ拝めないが、いいたいことはわかる。
「せがれその手が、たからもの」