「冷たい音」。「氷をザクザクと掘るような音」。
今夜の所属オケの弦分奏練習で盛んにトレーナーから発せられました。
曲がフィンランドの作曲家シベリウスだからというのは一見短絡的です。
当然のことながら曲の中では「暖かい音」、「春の訪れの喜びを感じる音」が必要な部分もあります。
フォルテで音を外側に向けて開放せず我慢するという意のことも言われました。
勿論、トレーナーからはそれらの弾き方も具体的に指導がありましたが、それが出来る出来ない以上にその気持ちで弾くことで音が変わることを実感しました。
アレグロでフォルテとなるとどうしても発散系の音になりがちです。
さらに言えば、普段から音符を認識するのは正確に弾けるかはともかく最低限として、強弱記号はまさに強弱の認識に止まりがちです。
クレッシェンドの文字を見れば音は大きくなり、ディミヌエンドの文字が見えれば音が小さくなるその加減は「見たらすぐ」になりがちです。
表情記号は見れば大概の日本語訳は想起しますが、それをどう弾くかは時に指板近くで弓を倒して圧力をかけずに・・・とハウツーに偏りがちです。
「がち」「がち」「がち」と書き連ねましたが、とどのつまりは楽譜に書かれている記号のルールに従った音出しをどれだけ超えられるか。
毎度のことですが、演奏会まで1カ月を切って、ココからその正念場になります。
正誤の世界では無く、どこまで想いを深められるか。
2年半前には同じシベリウスをこれでもかと熱くコッテリ演奏しました。
今度のシベリウスはどんなシベリウスになるでしょうか。
今夜の所属オケの弦分奏練習で盛んにトレーナーから発せられました。
曲がフィンランドの作曲家シベリウスだからというのは一見短絡的です。
当然のことながら曲の中では「暖かい音」、「春の訪れの喜びを感じる音」が必要な部分もあります。
フォルテで音を外側に向けて開放せず我慢するという意のことも言われました。
勿論、トレーナーからはそれらの弾き方も具体的に指導がありましたが、それが出来る出来ない以上にその気持ちで弾くことで音が変わることを実感しました。
アレグロでフォルテとなるとどうしても発散系の音になりがちです。
さらに言えば、普段から音符を認識するのは正確に弾けるかはともかく最低限として、強弱記号はまさに強弱の認識に止まりがちです。
クレッシェンドの文字を見れば音は大きくなり、ディミヌエンドの文字が見えれば音が小さくなるその加減は「見たらすぐ」になりがちです。
表情記号は見れば大概の日本語訳は想起しますが、それをどう弾くかは時に指板近くで弓を倒して圧力をかけずに・・・とハウツーに偏りがちです。
「がち」「がち」「がち」と書き連ねましたが、とどのつまりは楽譜に書かれている記号のルールに従った音出しをどれだけ超えられるか。
毎度のことですが、演奏会まで1カ月を切って、ココからその正念場になります。
正誤の世界では無く、どこまで想いを深められるか。
2年半前には同じシベリウスをこれでもかと熱くコッテリ演奏しました。
今度のシベリウスはどんなシベリウスになるでしょうか。