平成最後の日。
さて、平成最初の日はどう過ごしていたのだろうと記憶をたどると・・・
結構鮮明に覚えているのは、朝寝床でラジオニュースで流れる昭和天皇崩御の報を聞いたこと。
当時は長女が産まれて間もなくで、まだ嫁どもども実家にいて単身状態でした。
前年の秋に初めての転勤で初めての営業の仕事に携わり、ぶっちゃけ営業に向いていないと悩み始めていた時代でした。
その後なんだかんだあって、結局営業が前職で3分の2を占めるキャリアとなり、そのおかげで今の仕事の御縁があります。
ついでに、その頃はまだ東京育ちのオヤジはまさか終の棲家を関西に構えるとは思っていませんでした。
これについてもなんだかんだありましたが、平成最初の日も最後の日も住んでいる場所こそ違えど同じ市内、今や我が街西宮です。
30年と約4か月、長いようで短い、短いようで長い。
マスコミを始めちょっと騒ぎ過ぎじゃないのと天邪鬼オヤジは顔を顰めておりますが(笑)、時代の流れを感じる良い機会になったのだと思います。
さて、平成最初の日はどう過ごしていたのだろうと記憶をたどると・・・
結構鮮明に覚えているのは、朝寝床でラジオニュースで流れる昭和天皇崩御の報を聞いたこと。
当時は長女が産まれて間もなくで、まだ嫁どもども実家にいて単身状態でした。
前年の秋に初めての転勤で初めての営業の仕事に携わり、ぶっちゃけ営業に向いていないと悩み始めていた時代でした。
その後なんだかんだあって、結局営業が前職で3分の2を占めるキャリアとなり、そのおかげで今の仕事の御縁があります。
ついでに、その頃はまだ東京育ちのオヤジはまさか終の棲家を関西に構えるとは思っていませんでした。
これについてもなんだかんだありましたが、平成最初の日も最後の日も住んでいる場所こそ違えど同じ市内、今や我が街西宮です。
30年と約4か月、長いようで短い、短いようで長い。
マスコミを始めちょっと騒ぎ過ぎじゃないのと天邪鬼オヤジは顔を顰めておりますが(笑)、時代の流れを感じる良い機会になったのだと思います。