2021 陶芸財団展
2021-6-23~27 国立新美術館 展示室3Bで陶芸財団展が開かれます。
当方は3点出展して(今回初めて公募展に出品したのです)、3点とも入選の通知がきているので、展示されるはずです。
コロナで危なかったのですが、開催されそうです?
海のデッサンー1
海のデッサンー2
海のデッサンー3
海のデッサンー1は80cm四方、30kgある大作で、賞狙いでしたが、何の賞も通知に書いてなかったので、外れのようです。あとの2点は海のデッサンー1のための予行演習作品で大した作品ではありません。30~40cm四方の小さなものです。ただ海のデッサンー3はガラスブロックが2つ入った、陶器とガラスのハイブリッドです。このようなハイブリッドが陶芸財団展で受け入れてもらえるかを試してみたわけです。
ちなみに2016年の受賞作品がネットに出ていました(なんで2016年なのかな、 2021年の間違いじゃないか??)。とにかくこんな感じのものが大賞をとるようです。 39種も賞があるのだから、どっかに引っかかっても良さそうなのですが? お呼びでなかった。
文部科学大臣賞
時空の膜~ブレーン宇宙論~ 上野昌則
陶芸大賞 伝統部門
山里の春 宮代房子
陶芸大賞 前衛部門
転生 大国成子
当方の海のデザインー1は作品応募日、前日に完成した状態で、メインパーツ2つはばっつり割れたのをつないであるし、全てのパーツが歪んでガタガタ状態、満身創痍なのです。作り直す時間があれば賞をとれるはずなのですが????
全部で12個のパーツをコンパネに上に集合しているのです。主要パーツは素焼き、本焼き、上絵、ガラス、上絵修正と少なくとも5回窯を出入りしています。30kgの作品を一人で、添え木をあてて、40本くらいのビスでネジ止めしているのです。
現在来年用の作品を作っています。同じ感じで、また30kgと格闘中です。また同じように割れて、作り直しの繰り返し。本当に大変。
当方は今回インテリア部門に出品しましたが、伝統部門、茶器部門以外に前衛部門、実用食器、人形もあり、陶芸財団展は間口の広い公募展であることが特徴です。当方のような純粋芸術的アプローチも受け入れられるかもしれないと思って出しているのですが、ガタガタ状態だから落ちたのか、丸いロクロワークでないと受からないのかわかりません。当方が審査員だったら、このガタガタ状態の作品に賞を与えることは展示会の品格を落とすと思って、まずありえない。しかし、当方のアプローチは<陶絵画>と銘打って、かなりユニークと思うのですがいかがでしょうか?
賞を取る作品は、よく見ると立派なものなのですが、ちっとも面白くない。伝統だの前衛だのいっても毎年似たり寄ったりの作品ばかりで、当方の<陶絵画>は面白いと思うのですが???
さて、当方がずっと言ってきたこと、日本伝統工芸と西洋発アートの分断についてです。
日本伝統工芸は実用品から発生し、応用芸術から純粋芸術まで広がっています。展示会に出てくる大きな壺や皿は、使おうと思えば使えますが、実際は鑑賞用で、純粋芸術といえます。西洋発アート、絵画・彫刻は鑑賞することが目的の純粋芸術です。発祥は、宗教的あるいは為政者の為の実用的存在であったものが、早い時期に純粋芸術に変身していったと思われます。
誰もそのような差別を主張していないのに、日本人一般の日本伝統工芸と西洋発アートに対する受け取り方が、片方は応用芸術、片方は純粋芸術と何故かばっつりと2分されているのです。
陶芸を例にしますと、美大の陶芸科を卒業した方は、美大で純粋芸術としての陶芸を学びますが、卒業してからそのままでは食べていけないので、もう一度窯元に修行に出てロクロを学び、陶芸教室を開くしかないのです。一般の人は陶芸とはロクロで丸いお皿や茶碗を作り、料理を入れて楽しむものと決めてかかっているのです。
間口を広げて、陶芸振興を図る陶芸財団展ですら水がもれる使えない器はあり得ないのです。一般の方が陶器を買う場合でも、傷があったり歪んでいたりすれば売れないのです。工芸の字のごとく技術がまず第一です。一方、純粋芸術、西洋発アートはまず作者の主張・感性が第一です。技術が無くてもいいということではありませんが、二番目です。極端な例ですがニキ・ド・サンファルは壁にぶら下げたペンキ缶をライフルで打ち抜き、流れるペンキを芸術としたわけです。最初からそうであったわけでなく、そのようにアートを変革していったのです。
日曜美術館で倉敷の大原美術館(西洋アートを日本に紹介する為に作られた草分け的美術館)をある女優が紹介しているのですが、西洋アートの棟と別に日本工芸の棟があって(これもはっきり2分されている証です)、ここの陶磁器を見て、わたしはこれが好き、陶磁器を見るときはいつも、これに料理をのせたらどうなかイメージしながら見ると言っていました。日曜美術館で、西洋発アートを紹介する時に、使ったときのイメージで見るなどという言は聞いたことが無い。
日本伝統工芸と西洋発アートの分断は日本人全体が暗黙のうちに作り上げているのです。そして、西洋発アートはマイナーであり食べて行けない。
西洋発アートの美術館はいっぱいあり、多くの人が見に行くではないか。でも西洋発アートは一般の人の生活の中には入り込んでいないのです。だから西洋発アートでは食べて行けない。
当方の陶絵画は純粋芸術を目指しています。日本伝統工芸の流れで陶絵画を作っているわけではありません。西洋発アートの流れにたまたま陶芸技術を利用しているのです、だからガラス工芸技術の利用もしている。これが陶芸財団展に理解されるか否かはわかりません。だめなら、ほかの展示会を探します。それでもだめでも、同じ方向で作り続けるでしょう。
別に賞の為に作っているのではありません。賞をもらったと書かないと買ってくれないと思うからです。買ってくれないと30kgがどんどんたまって、家が傾いてしまう。誰かが買ってくれるなら全然問題ないのです。
ちなみに、海のデッサンー1が5万円、2が2万円、3が3万円(ガラスは原価が高い)で売りに出しています。海のデッサンー1が満身創痍でなければ、5万円ならメチャクチャ安いと思うのですが??
しかし、少なくとも満身創痍の作品ではどうしようもない。なんとかちゃんと作り上げなければ。ほんとこの歳で大変なのです。3階の3畳の部屋でパーツを作り、駐車場の窯で焼いて、行ったり来たりを繰り返し、リビングルームで30kgを組み立てる。展覧会用搬入所に車で運んで、また撤収する。何度も何度も。
2021-6-23~27 国立新美術館 展示室3Bで陶芸財団展が開かれます。
当方は3点出展して(今回初めて公募展に出品したのです)、3点とも入選の通知がきているので、展示されるはずです。
コロナで危なかったのですが、開催されそうです?
海のデッサンー1
海のデッサンー2
海のデッサンー3
海のデッサンー1は80cm四方、30kgある大作で、賞狙いでしたが、何の賞も通知に書いてなかったので、外れのようです。あとの2点は海のデッサンー1のための予行演習作品で大した作品ではありません。30~40cm四方の小さなものです。ただ海のデッサンー3はガラスブロックが2つ入った、陶器とガラスのハイブリッドです。このようなハイブリッドが陶芸財団展で受け入れてもらえるかを試してみたわけです。
ちなみに2016年の受賞作品がネットに出ていました(なんで2016年なのかな、 2021年の間違いじゃないか??)。とにかくこんな感じのものが大賞をとるようです。 39種も賞があるのだから、どっかに引っかかっても良さそうなのですが? お呼びでなかった。
文部科学大臣賞
時空の膜~ブレーン宇宙論~ 上野昌則
陶芸大賞 伝統部門
山里の春 宮代房子
陶芸大賞 前衛部門
転生 大国成子
当方の海のデザインー1は作品応募日、前日に完成した状態で、メインパーツ2つはばっつり割れたのをつないであるし、全てのパーツが歪んでガタガタ状態、満身創痍なのです。作り直す時間があれば賞をとれるはずなのですが????
全部で12個のパーツをコンパネに上に集合しているのです。主要パーツは素焼き、本焼き、上絵、ガラス、上絵修正と少なくとも5回窯を出入りしています。30kgの作品を一人で、添え木をあてて、40本くらいのビスでネジ止めしているのです。
現在来年用の作品を作っています。同じ感じで、また30kgと格闘中です。また同じように割れて、作り直しの繰り返し。本当に大変。
当方は今回インテリア部門に出品しましたが、伝統部門、茶器部門以外に前衛部門、実用食器、人形もあり、陶芸財団展は間口の広い公募展であることが特徴です。当方のような純粋芸術的アプローチも受け入れられるかもしれないと思って出しているのですが、ガタガタ状態だから落ちたのか、丸いロクロワークでないと受からないのかわかりません。当方が審査員だったら、このガタガタ状態の作品に賞を与えることは展示会の品格を落とすと思って、まずありえない。しかし、当方のアプローチは<陶絵画>と銘打って、かなりユニークと思うのですがいかがでしょうか?
賞を取る作品は、よく見ると立派なものなのですが、ちっとも面白くない。伝統だの前衛だのいっても毎年似たり寄ったりの作品ばかりで、当方の<陶絵画>は面白いと思うのですが???
さて、当方がずっと言ってきたこと、日本伝統工芸と西洋発アートの分断についてです。
日本伝統工芸は実用品から発生し、応用芸術から純粋芸術まで広がっています。展示会に出てくる大きな壺や皿は、使おうと思えば使えますが、実際は鑑賞用で、純粋芸術といえます。西洋発アート、絵画・彫刻は鑑賞することが目的の純粋芸術です。発祥は、宗教的あるいは為政者の為の実用的存在であったものが、早い時期に純粋芸術に変身していったと思われます。
誰もそのような差別を主張していないのに、日本人一般の日本伝統工芸と西洋発アートに対する受け取り方が、片方は応用芸術、片方は純粋芸術と何故かばっつりと2分されているのです。
陶芸を例にしますと、美大の陶芸科を卒業した方は、美大で純粋芸術としての陶芸を学びますが、卒業してからそのままでは食べていけないので、もう一度窯元に修行に出てロクロを学び、陶芸教室を開くしかないのです。一般の人は陶芸とはロクロで丸いお皿や茶碗を作り、料理を入れて楽しむものと決めてかかっているのです。
間口を広げて、陶芸振興を図る陶芸財団展ですら水がもれる使えない器はあり得ないのです。一般の方が陶器を買う場合でも、傷があったり歪んでいたりすれば売れないのです。工芸の字のごとく技術がまず第一です。一方、純粋芸術、西洋発アートはまず作者の主張・感性が第一です。技術が無くてもいいということではありませんが、二番目です。極端な例ですがニキ・ド・サンファルは壁にぶら下げたペンキ缶をライフルで打ち抜き、流れるペンキを芸術としたわけです。最初からそうであったわけでなく、そのようにアートを変革していったのです。
日曜美術館で倉敷の大原美術館(西洋アートを日本に紹介する為に作られた草分け的美術館)をある女優が紹介しているのですが、西洋アートの棟と別に日本工芸の棟があって(これもはっきり2分されている証です)、ここの陶磁器を見て、わたしはこれが好き、陶磁器を見るときはいつも、これに料理をのせたらどうなかイメージしながら見ると言っていました。日曜美術館で、西洋発アートを紹介する時に、使ったときのイメージで見るなどという言は聞いたことが無い。
日本伝統工芸と西洋発アートの分断は日本人全体が暗黙のうちに作り上げているのです。そして、西洋発アートはマイナーであり食べて行けない。
西洋発アートの美術館はいっぱいあり、多くの人が見に行くではないか。でも西洋発アートは一般の人の生活の中には入り込んでいないのです。だから西洋発アートでは食べて行けない。
当方の陶絵画は純粋芸術を目指しています。日本伝統工芸の流れで陶絵画を作っているわけではありません。西洋発アートの流れにたまたま陶芸技術を利用しているのです、だからガラス工芸技術の利用もしている。これが陶芸財団展に理解されるか否かはわかりません。だめなら、ほかの展示会を探します。それでもだめでも、同じ方向で作り続けるでしょう。
別に賞の為に作っているのではありません。賞をもらったと書かないと買ってくれないと思うからです。買ってくれないと30kgがどんどんたまって、家が傾いてしまう。誰かが買ってくれるなら全然問題ないのです。
ちなみに、海のデッサンー1が5万円、2が2万円、3が3万円(ガラスは原価が高い)で売りに出しています。海のデッサンー1が満身創痍でなければ、5万円ならメチャクチャ安いと思うのですが??
しかし、少なくとも満身創痍の作品ではどうしようもない。なんとかちゃんと作り上げなければ。ほんとこの歳で大変なのです。3階の3畳の部屋でパーツを作り、駐車場の窯で焼いて、行ったり来たりを繰り返し、リビングルームで30kgを組み立てる。展覧会用搬入所に車で運んで、また撤収する。何度も何度も。