2021陶芸財団展 その2
2021-6-23, 27
初日と最終日に2回訪れました。初日は中学高校の同期の方が2名見に来てくれました。
当方の作品は壁に掛けられず、寝かして置いてあり、これがとってもがっかりでした。
海物というのはなにを描いているかわからない方が少なくない。馴染み無いから、イメージが広がってゆかないのです。 寝かしておいてあると、見もしない方が多い。壁につるしてあると、否が応でも目に飛び込んでくるのですが。国立新美術館は平面作品をワイヤーで壁につるすのですが、後述の絵画展ではとても大きな絵がつるしてあり、少なくとも30kgはつるせると思います。陶器は大きな作品を壁につることが慣れていないので恐ろしかったのでしょう。
これは当方の小ぶりの陶絵画です。これも壁に飾ってくれなかった。机においても意味ないです。これでは、まるでバカです。つるしてバラバラになるのが怖かったのでしょうか?
入り口側から見ると、この列の一番奥に当方の作品が寝ているので、最初どこにも飾られていないとショックを受けたのです。 この写真は会場の半分です。
この2枚の写真の作家さんは同じ方で、当方が通っていた白金陶芸教室のスタッフをやりながら、ここを作成場所としていた若い作家さん、腰越さんです。上のシリーズはとても人気があり、デーパートやネットでよく売れる人気作家さんなのです。さらに下の写真のような超絶実写作品を作り続けています。この展示会ではこの作家さんが最も存在価値があると思います。現代は抽象より超具象が受けることと、アニメ的感覚が無意識にアートに侵入しているという流れを感じます。
この作家さん以外の作品はほとんど、未来の展開が見えません。
以下、前衛部門の作品をいくつか載せますが、よくできてますね、頑張ってますねという印象だけで、突き抜ける先が見えてこない。言い過ぎかな? 皆、大化けする可能性は秘めていると思いますよ。
以下の作品は当方の作品の横にならんでいて、関係者がいっぱい訪ねて来て、記念写真を撮ってわいわいしています。こういう方は当方の作品なぞ完全に無視です。一瞥もしない。
これも近くにあって、全く同じ。いっぱい関係者が訪ねて来て記念写真をとり、当方の作品は一瞥もしない。
実用食器部門は、当然ながら女性に人気です。
当方は陶絵画と銘打った作品を作っているのですが、以下の作品は正に陶絵画で、陶版に色付けした陶絵画です。この手の作品がかなりの数、展示されていました。どこかの教室の生徒さんが多量に応募したのでしょう。以前はこの手の作品は殆ど無かった。新しい流れかもしれません。 陶器で作る必然性があるのかな? とにかく、当方の陶絵画の方向とは全く異なる世界です。
インテリア部門の作品は結構多く、当方は以下の作品が気に入っています。
従来型の陶芸作品はどちらかというと以前より数が減ってきたかもしれませ
ん。皆さんロクロワークに反発するようになったのかもしれません。これは意外でした。
典型的大皿作品は本当に少なくなりました。
壺はまだまだ主流でありますが、みなさん色々新しい試みをしており、苦心の跡がありありと見えます。
茶器部門もかなりの数の作品が出ており、典型的作品に交じって、新しい試みをしている作品がちらほら見えます。もともと楽茶碗は前衛作家さんの好む対象なのです。
全体に、ロクロ離れ、伝統離れの流れではありながら、これまでの形から脱することが出来ない、どっちつかずの状態で、結局数年前の陶芸財団展より進歩しているとはいいがたい。しかし、この状態はある意味過渡期なのでしょう。これを受け入れている陶芸財団展は存在価値があると思います。
国立新美術館はいつも特別展以外に、いくつかの公募展が同時に開催されているので、ふらっと梯子するのも楽しいことです。全く異なるジャンルの展覧会に入り込んで、新しい発見をすることもあります。だいたい陶財団展も三宅一生の特別展を見たついでによって、面白そうだと思ってそれから数年後に応募したのです。
一階で2つの展覧会を見ました。ほんのちょっとだけ展示作品を載せておきます・
第60回記念 蒼騎展
第36回 日本水墨院展
さて、陶芸財団展の話に戻って。
見に来てくれた中高の同級生は、みな形にはまって面白くない、君の作品の満身創痍なところがいい、きれいにすることはない、そのままでいい。この展示会はやめて他の展示会に出した方がいい。ここは君の作品とは違う場所だよ。といいました。
家内は、ここの作品はみな破綻しないことを目指している。こじんまりしている。と同じようなことを言っていました。
当方は、こう思います。アートは心が先にあります。絵画は心に従って何度でも描き直すことができます。 陶芸は、一発勝負です。破綻しないようにという心と、伝統という心が付きまといます。
アートは心を表現することが目的でしょ。この展覧会の作品は作品を作るが目的になっている。
当方は何度も表現を変化させることを陶芸に盛り込んでいます。釉薬も何種類も使い、焼成温度を変えて重層しています。ガラス技法も使い、入れ替えることが出来るようにブロック集合を使います。表現したい心は自然の実体にあります。まだ始まったばかりです。残りの時間はわずかですが、ただただ意欲が消えないことを祈るだけです。
腰越さんの作品は、陶芸大賞でした。賞の格の2番目です。一番目が文部科学大臣賞ですから、陶芸大賞は実質トップの賞でした。これを知らずに、当方は腰越さん以外は見てもしょうがないと上に書きました。ということはこの展示会の審査員は見るところは見ているのだなと思う次第です。しかし、見方によれば、これが陶芸財団展のトップですかということもできます。
さて、来年はまた陶芸財団展に応募するか、他の公募展にするか? まずは作品を何点か作ってから考えましょう。とにかくちょっと軽くすることとシッカリ壊れないように作ることを考えないと、壁に飾ってくれません。
2021-6-23, 27
初日と最終日に2回訪れました。初日は中学高校の同期の方が2名見に来てくれました。
当方の作品は壁に掛けられず、寝かして置いてあり、これがとってもがっかりでした。
海物というのはなにを描いているかわからない方が少なくない。馴染み無いから、イメージが広がってゆかないのです。 寝かしておいてあると、見もしない方が多い。壁につるしてあると、否が応でも目に飛び込んでくるのですが。国立新美術館は平面作品をワイヤーで壁につるすのですが、後述の絵画展ではとても大きな絵がつるしてあり、少なくとも30kgはつるせると思います。陶器は大きな作品を壁につることが慣れていないので恐ろしかったのでしょう。
これは当方の小ぶりの陶絵画です。これも壁に飾ってくれなかった。机においても意味ないです。これでは、まるでバカです。つるしてバラバラになるのが怖かったのでしょうか?
入り口側から見ると、この列の一番奥に当方の作品が寝ているので、最初どこにも飾られていないとショックを受けたのです。 この写真は会場の半分です。
この2枚の写真の作家さんは同じ方で、当方が通っていた白金陶芸教室のスタッフをやりながら、ここを作成場所としていた若い作家さん、腰越さんです。上のシリーズはとても人気があり、デーパートやネットでよく売れる人気作家さんなのです。さらに下の写真のような超絶実写作品を作り続けています。この展示会ではこの作家さんが最も存在価値があると思います。現代は抽象より超具象が受けることと、アニメ的感覚が無意識にアートに侵入しているという流れを感じます。
この作家さん以外の作品はほとんど、未来の展開が見えません。
以下、前衛部門の作品をいくつか載せますが、よくできてますね、頑張ってますねという印象だけで、突き抜ける先が見えてこない。言い過ぎかな? 皆、大化けする可能性は秘めていると思いますよ。
以下の作品は当方の作品の横にならんでいて、関係者がいっぱい訪ねて来て、記念写真を撮ってわいわいしています。こういう方は当方の作品なぞ完全に無視です。一瞥もしない。
これも近くにあって、全く同じ。いっぱい関係者が訪ねて来て記念写真をとり、当方の作品は一瞥もしない。
実用食器部門は、当然ながら女性に人気です。
当方は陶絵画と銘打った作品を作っているのですが、以下の作品は正に陶絵画で、陶版に色付けした陶絵画です。この手の作品がかなりの数、展示されていました。どこかの教室の生徒さんが多量に応募したのでしょう。以前はこの手の作品は殆ど無かった。新しい流れかもしれません。 陶器で作る必然性があるのかな? とにかく、当方の陶絵画の方向とは全く異なる世界です。
インテリア部門の作品は結構多く、当方は以下の作品が気に入っています。
従来型の陶芸作品はどちらかというと以前より数が減ってきたかもしれませ
ん。皆さんロクロワークに反発するようになったのかもしれません。これは意外でした。
典型的大皿作品は本当に少なくなりました。
壺はまだまだ主流でありますが、みなさん色々新しい試みをしており、苦心の跡がありありと見えます。
茶器部門もかなりの数の作品が出ており、典型的作品に交じって、新しい試みをしている作品がちらほら見えます。もともと楽茶碗は前衛作家さんの好む対象なのです。
全体に、ロクロ離れ、伝統離れの流れではありながら、これまでの形から脱することが出来ない、どっちつかずの状態で、結局数年前の陶芸財団展より進歩しているとはいいがたい。しかし、この状態はある意味過渡期なのでしょう。これを受け入れている陶芸財団展は存在価値があると思います。
国立新美術館はいつも特別展以外に、いくつかの公募展が同時に開催されているので、ふらっと梯子するのも楽しいことです。全く異なるジャンルの展覧会に入り込んで、新しい発見をすることもあります。だいたい陶財団展も三宅一生の特別展を見たついでによって、面白そうだと思ってそれから数年後に応募したのです。
一階で2つの展覧会を見ました。ほんのちょっとだけ展示作品を載せておきます・
第60回記念 蒼騎展
第36回 日本水墨院展
さて、陶芸財団展の話に戻って。
見に来てくれた中高の同級生は、みな形にはまって面白くない、君の作品の満身創痍なところがいい、きれいにすることはない、そのままでいい。この展示会はやめて他の展示会に出した方がいい。ここは君の作品とは違う場所だよ。といいました。
家内は、ここの作品はみな破綻しないことを目指している。こじんまりしている。と同じようなことを言っていました。
当方は、こう思います。アートは心が先にあります。絵画は心に従って何度でも描き直すことができます。 陶芸は、一発勝負です。破綻しないようにという心と、伝統という心が付きまといます。
アートは心を表現することが目的でしょ。この展覧会の作品は作品を作るが目的になっている。
当方は何度も表現を変化させることを陶芸に盛り込んでいます。釉薬も何種類も使い、焼成温度を変えて重層しています。ガラス技法も使い、入れ替えることが出来るようにブロック集合を使います。表現したい心は自然の実体にあります。まだ始まったばかりです。残りの時間はわずかですが、ただただ意欲が消えないことを祈るだけです。
腰越さんの作品は、陶芸大賞でした。賞の格の2番目です。一番目が文部科学大臣賞ですから、陶芸大賞は実質トップの賞でした。これを知らずに、当方は腰越さん以外は見てもしょうがないと上に書きました。ということはこの展示会の審査員は見るところは見ているのだなと思う次第です。しかし、見方によれば、これが陶芸財団展のトップですかということもできます。
さて、来年はまた陶芸財団展に応募するか、他の公募展にするか? まずは作品を何点か作ってから考えましょう。とにかくちょっと軽くすることとシッカリ壊れないように作ることを考えないと、壁に飾ってくれません。
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