再び台湾の旅 その2
さて高雄の朝、バスで台南まで走って、高鉄に乗ります。
バスからの高雄の街の光景
高雄医学大学は台湾医学系大学の中でもランクの高い大学のようです。この影響もあるのか高雄には何故か病院、クリニックの多い気がします。やたら看板が目につきます。
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扱っている病気が羅列していますが、これがどんな病気か、これはクイズです。
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日本企業の痕跡が随所に見られます。
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このバスから撮った写真、ぱっと看板をみてどんなお店か判断できるかクイズです。このようにわかるようでわからない看板がずっと続くと、これまた何か不思議な欲求不満に陥る。
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高雄の郊外にでると、工場地帯が続きます。
台湾の産業構造は、農業などの第一次産業の率は1.6%と低く、農産物は輸入に頼る。70%を占めるのが第3次産業(サービス産業:商業、飲食、金融etc)で一見先進国の様相ですが、最近はTSMCに代表されるように製造業が拡大傾向にあるそうです。台湾積体電路製造(TSMCは世界最大の半導体受注生産会社、世界の半導体の半分以上を生産)で、拠点は新竹市(桃園市の西となり)にありますが拡大中、高雄にも進出中であり、なんと日本の熊本にも進出中です。日本は大慌てで、つい最近半導体の新会社を政府肝いりで作りました。このツアーに参加している女性は旦那がビジネスの関係で高雄に赴任していたという。高雄は昔も今も日本との関係が深いようです。
台南市に近づくと道々からはヤシの木が生えた、あるいはバナナ畑のある農地と工場のミックスした風景が続きます。
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高雄からでなく台南から新幹線に乗ります。理由は良くわかりませんが、バス移動で渋滞すると、新幹線に乗り遅れたらえらいことになるので、バッファーを設ける必要があるのだと当方は解釈しています。実際、高雄市内は朝から渋滞していました。
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こんなところが台南市の街の風景でしょう。
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台湾では、なにか香港的な時代物の集合住宅が密集するのが特徴です。畑の間際まで古げな集合住宅が迫っていて、台湾は土地がないから集合しなければという概念がしみ込んでいるようです。
ほらこのバスの窓の傷、ひどいものです。
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朝食は外で、バイクが必需品というのが、台湾流。バイク王国です。
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台湾は10人に6人はバイクを持っているそうで、元は本田技研のバイクでしたが、現在は本田技研と提携している台湾の企業、2社が作っているそうです。車も日本車が多く(70%以上)、自家用車のメーカーの比率は日本とそっくり、レクサスから本田、スバルまで色々、フォルクスワーゲン、BMWも走っています。中国本土の自動車は現状EVバスが中心で拡大中。台湾の自動車メーカーは裕隆汽車など、韓国ヒュンダイも走っているそうですが、 自家用車は日本車が中心で、日本そっくり。
台南では市内観光と称して孔子廟によります。
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孔子の好きな家内が記念写真を所望。
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孔子廟の参道のような、観光客目当ての道にはいりますが、朝早いのでお店が全て閉まっていて、なにやら実態はわからず。
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早々に台南新幹線駅に着きます。台南の市内観光と言っても、新幹線時間に遅れない為のバッファーという位置付けで、台南市内の様子もよくわからないまま、新幹線に乗ります。
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コンビニ・オデン
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いつも時間に追われて、構内のコンビニでオデンだのカップラーメンだのを写すのが精いっぱい。
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台湾高速鉄路(略称:高鉄)は日本の新幹線技術の輸出ケースで全長345km、最高時速300km/h ノンストップ便だと全行程1時間30分。東海道新幹線だと東京―名古屋間にちょっと足りないくらい。
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台南を出ると、相変わらず、田んぼにバナナ畑と隣接する集合住宅群の風景が続きます。こちらのお米の田んぼは三毛作が出来るのだけれど実質二毛作だそうです。この米作りも日本統治時代に実質日本が元を作っています。台湾産日本米は改良されてどんどん美味しくなり、日本にも輸出されています。
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台湾のバナナはお勧め、とてもおいしい。
蒋介石と共に台北に渡った人は中国北方の人で、麺食が中心だったために、日本統治時代の米食と麺食が拮抗して、現在も半々に拮抗している。これで台湾が韓国や日本みたいに一極集中に落ちいらない理由が分かった気がします。蒋介石の多量な一群が台北を占拠すると、それまでの台湾人は南に移動した。それに先住民族は現在2%、53万人存在し(ちなみに日本のアイヌ民族は1.3万人)、中央山脈から東側に住む(ちなみに当初日本軍は山にこもり危険だった先住民族を殺しているらしいが、あまり記述がない。戦時中は彼らを高砂族といい、戦いに参加させ、彼らの活躍が記録されている)。台湾人は結構色々な集団があり、生活様式と言おうか、根っこが違う、生活の好みが違う、むしろ密かに反発しあう人たちがいるわけで、一極集中にならないのだと推測します。
その地域を支配した人々が、先に住んでいた人を先住民族とか原住民族とか言って、後から来た人を移民とか言って、忌み嫌う。日本では奈良時代に「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々は、東北に住んで、中央と著しく生活・文化様式が異なる人々で、中央はとても長い間、蝦夷討伐に大きなエネルギーを割いてきました。北方の蝦夷として特別視され、平安中期以降には、これが「蝦夷(えぞ)」とよばれるようになりました。大陸からの侵入者、彌生人が原住民の縄文人を虐殺したり同化したりして現在にいたり、どうしても組せずに山岳地帯にすむ人々を蝦夷(えみし)といい、中央の討伐に追われて北海道に渡った縄文人の末裔がエゾさらにアイヌと考えられるのですが、そう言えるかどうか、定かでありません。アイヌの文化はあまりに不思議で、中央とあまりにもかけ離れています。 東北地方に行くとエミシと彌生人系譜ヤマト中央政権の壮絶な抗争の歴史が生々しくあちこちにある事は、ほとんどの東京人は知らないに違いありません。ましてや、台湾の先住民族と中国本土からの侵入者、さらにその後の蒋介石一団の侵入者の抗争の物語なぞ、大半の日本人は知る由もない。そして、これからは新しく始まる日本の移民者と現在の日本の支配集団とのバトルが始まるのです。ただ先か後か、支配してメジャーになったか、マイナーかの違いなのです。人は自分と違ったものを嫌うという、足り前の習性なのです。
ちなみに台湾への移民は都南アジアや中国本土からやってきた人で、新住民といい。台湾人口の2.5%になっている。女性が圧倒的に多く台湾女性の5.3%が新住民。<新南向政策>といって南方との関係強化の政策をとっている。実際、外国人労働者らしき方々によく出会う。日本の移民割合は1.7%。
ついでに、当方の京都でのバイオベンチャー経営7年の経験から、東京では考えもしない、大陸と日本の関係の歴史を知って、物の見方が変わったことをお伝えしておきます。大陸からの波状的にわたってくる渡来人の影響を日本はもろに受けていること、というよりは波状的渡来人の重層で日本人が出来上がったこと。それまで東京にいて、気にもしなかったことで、京都で叩き込まれたことを羅列する。唐招提寺は聖武天皇に招かれて唐から渡ってきた鑑真[がんじん]和上が 759年に建立した。比叡山延暦寺を創建した最澄(さいちょう)のお父さんは琵琶湖のほとりに住む渡来人であった。楽焼の創始者、長次郎のお父さんは渡来人であった。日本の国宝第一号広隆寺の弥勒菩薩は朝鮮から持ち込まれたものであった。琵琶湖東岸の百済寺(ヒャクサイジ)は2mもあった聖徳太子の勅願により建てられた。667年天智天皇は近江大津
宮に遷都したが、その理由は朝鮮から攻められるのが怖かったから。京都高麗美術館館長は、司馬朗太郎と裏日本に旅にでると電話帳をめくって朝鮮の痕跡を探す。京都から移動した渡来人の系譜が裏日本に分散しているのです。電話帳には百済、新羅などもろに朝鮮の系譜を示す名前が数多く電話帳に載っている。埼玉県高麗(こま)地区は朝鮮からの渡来人部落をまとめるために高麗から招かれた高句麗の王が治めた。このはっきりした家系図を持つ高麗渡来人の末裔が高麗神社(コマジンジャ)の住職です。何故か高麗神社には総理大臣を目指す人々が参拝する。若槻礼次郎、濱口雄幸、斎藤實、平沼騏一郎、小磯国昭、鳩山一郎など後に総理大臣となった―――――――――――――――――――――――。(10~15年前の記憶で書いていますから、間違っていたらごめんなさい)。
さて、台南を出発すると直ぐ嘉義を通り過ぎます。嘉義は行きにバスで寄っています。
ここで昼食をとりました。(これは旅程の行きの話で、帰りの新幹線から降りているわけではありません。)
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鶏肉飯が売りの料亭です。
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特に豪華でもない、市民的な料亭ですが、ここの料理が今回のツアーで一番おいしかったといおうか、ここだけが端突に美味しかったと言おうか。
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特に豪勢な材料を使っているというわけではないのですが、次々に出てくる料理の味が鶏肉飯に限らずとてもよかった。
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台湾ビールもここで初めて出会って、感激したのです。
次に新幹線は台中を通過します。台中は現在、台湾の居住地域として一番人気。
以下の話も行きの旅程の話で、新幹線から降りているわけではありません。台中は行きのバス行程での最初の宿泊地でした。
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ホテルからの眺めはいかにも増加している居住地らしい、比較的新しい集合住宅の町並みが見えます。
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ただの街中の風景を載せます。
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台中国営榮徳国営中学校
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台中で一泊の後、台中観光。
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台中市内観光、巨大な布袋様のある宝覚寺。わらう金色の布袋様なのですが修復中で現在は金色ではありません。台湾が日本統治時代であった時に建立されたお寺です。台湾にありながらも、なんと臨済宗の妙心寺派のお寺。同時に台湾仏教のお寺でもあるので、台湾のような日本のような不思議な雰囲気の境内です。上の写真の石灯籠も日本が作った名残です。
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ここを訪れるのは日本人観光客ばかりだそうです。
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台湾の朝食は外で食べるのが普通。
行きの行程、台中から高雄への途中、何故かかなり大きく東に寄り道して、中央山脈の中腹にある湖、日月潭(リーユエタン)に向かいます。台湾最大の観光地のひとつで標高700メートルにある美しい淡水湖として観光定番地のようです。名前の由来は湖が日と月の形をしているというのですが、岸から見てもよくわかりません。定番の湖畔の文武廟によります。
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1932年、日月潭の水をダムに引くことになりましたが、これによって水没の危機に瀕した湖畔の龍鳳廟と益化堂が文武廟として現在の位置に移設再建されたのです。工事は4年の歳月をかけて、1938年に完成しました。とのことです。
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さて、新幹線は台中を過ぎ一路、最終地、台北に向かいます。
次回は台中から台北へ。
さて高雄の朝、バスで台南まで走って、高鉄に乗ります。
バスからの高雄の街の光景
高雄医学大学は台湾医学系大学の中でもランクの高い大学のようです。この影響もあるのか高雄には何故か病院、クリニックの多い気がします。やたら看板が目につきます。
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扱っている病気が羅列していますが、これがどんな病気か、これはクイズです。
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日本企業の痕跡が随所に見られます。
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このバスから撮った写真、ぱっと看板をみてどんなお店か判断できるかクイズです。このようにわかるようでわからない看板がずっと続くと、これまた何か不思議な欲求不満に陥る。
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高雄の郊外にでると、工場地帯が続きます。
台湾の産業構造は、農業などの第一次産業の率は1.6%と低く、農産物は輸入に頼る。70%を占めるのが第3次産業(サービス産業:商業、飲食、金融etc)で一見先進国の様相ですが、最近はTSMCに代表されるように製造業が拡大傾向にあるそうです。台湾積体電路製造(TSMCは世界最大の半導体受注生産会社、世界の半導体の半分以上を生産)で、拠点は新竹市(桃園市の西となり)にありますが拡大中、高雄にも進出中であり、なんと日本の熊本にも進出中です。日本は大慌てで、つい最近半導体の新会社を政府肝いりで作りました。このツアーに参加している女性は旦那がビジネスの関係で高雄に赴任していたという。高雄は昔も今も日本との関係が深いようです。
台南市に近づくと道々からはヤシの木が生えた、あるいはバナナ畑のある農地と工場のミックスした風景が続きます。
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高雄からでなく台南から新幹線に乗ります。理由は良くわかりませんが、バス移動で渋滞すると、新幹線に乗り遅れたらえらいことになるので、バッファーを設ける必要があるのだと当方は解釈しています。実際、高雄市内は朝から渋滞していました。
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こんなところが台南市の街の風景でしょう。
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台湾では、なにか香港的な時代物の集合住宅が密集するのが特徴です。畑の間際まで古げな集合住宅が迫っていて、台湾は土地がないから集合しなければという概念がしみ込んでいるようです。
ほらこのバスの窓の傷、ひどいものです。
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朝食は外で、バイクが必需品というのが、台湾流。バイク王国です。
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台湾は10人に6人はバイクを持っているそうで、元は本田技研のバイクでしたが、現在は本田技研と提携している台湾の企業、2社が作っているそうです。車も日本車が多く(70%以上)、自家用車のメーカーの比率は日本とそっくり、レクサスから本田、スバルまで色々、フォルクスワーゲン、BMWも走っています。中国本土の自動車は現状EVバスが中心で拡大中。台湾の自動車メーカーは裕隆汽車など、韓国ヒュンダイも走っているそうですが、 自家用車は日本車が中心で、日本そっくり。
台南では市内観光と称して孔子廟によります。
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孔子廟の参道のような、観光客目当ての道にはいりますが、朝早いのでお店が全て閉まっていて、なにやら実態はわからず。
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早々に台南新幹線駅に着きます。台南の市内観光と言っても、新幹線時間に遅れない為のバッファーという位置付けで、台南市内の様子もよくわからないまま、新幹線に乗ります。
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コンビニ・オデン
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いつも時間に追われて、構内のコンビニでオデンだのカップラーメンだのを写すのが精いっぱい。
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台湾高速鉄路(略称:高鉄)は日本の新幹線技術の輸出ケースで全長345km、最高時速300km/h ノンストップ便だと全行程1時間30分。東海道新幹線だと東京―名古屋間にちょっと足りないくらい。
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台南を出ると、相変わらず、田んぼにバナナ畑と隣接する集合住宅群の風景が続きます。こちらのお米の田んぼは三毛作が出来るのだけれど実質二毛作だそうです。この米作りも日本統治時代に実質日本が元を作っています。台湾産日本米は改良されてどんどん美味しくなり、日本にも輸出されています。
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台湾のバナナはお勧め、とてもおいしい。
蒋介石と共に台北に渡った人は中国北方の人で、麺食が中心だったために、日本統治時代の米食と麺食が拮抗して、現在も半々に拮抗している。これで台湾が韓国や日本みたいに一極集中に落ちいらない理由が分かった気がします。蒋介石の多量な一群が台北を占拠すると、それまでの台湾人は南に移動した。それに先住民族は現在2%、53万人存在し(ちなみに日本のアイヌ民族は1.3万人)、中央山脈から東側に住む(ちなみに当初日本軍は山にこもり危険だった先住民族を殺しているらしいが、あまり記述がない。戦時中は彼らを高砂族といい、戦いに参加させ、彼らの活躍が記録されている)。台湾人は結構色々な集団があり、生活様式と言おうか、根っこが違う、生活の好みが違う、むしろ密かに反発しあう人たちがいるわけで、一極集中にならないのだと推測します。
その地域を支配した人々が、先に住んでいた人を先住民族とか原住民族とか言って、後から来た人を移民とか言って、忌み嫌う。日本では奈良時代に「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々は、東北に住んで、中央と著しく生活・文化様式が異なる人々で、中央はとても長い間、蝦夷討伐に大きなエネルギーを割いてきました。北方の蝦夷として特別視され、平安中期以降には、これが「蝦夷(えぞ)」とよばれるようになりました。大陸からの侵入者、彌生人が原住民の縄文人を虐殺したり同化したりして現在にいたり、どうしても組せずに山岳地帯にすむ人々を蝦夷(えみし)といい、中央の討伐に追われて北海道に渡った縄文人の末裔がエゾさらにアイヌと考えられるのですが、そう言えるかどうか、定かでありません。アイヌの文化はあまりに不思議で、中央とあまりにもかけ離れています。 東北地方に行くとエミシと彌生人系譜ヤマト中央政権の壮絶な抗争の歴史が生々しくあちこちにある事は、ほとんどの東京人は知らないに違いありません。ましてや、台湾の先住民族と中国本土からの侵入者、さらにその後の蒋介石一団の侵入者の抗争の物語なぞ、大半の日本人は知る由もない。そして、これからは新しく始まる日本の移民者と現在の日本の支配集団とのバトルが始まるのです。ただ先か後か、支配してメジャーになったか、マイナーかの違いなのです。人は自分と違ったものを嫌うという、足り前の習性なのです。
ちなみに台湾への移民は都南アジアや中国本土からやってきた人で、新住民といい。台湾人口の2.5%になっている。女性が圧倒的に多く台湾女性の5.3%が新住民。<新南向政策>といって南方との関係強化の政策をとっている。実際、外国人労働者らしき方々によく出会う。日本の移民割合は1.7%。
ついでに、当方の京都でのバイオベンチャー経営7年の経験から、東京では考えもしない、大陸と日本の関係の歴史を知って、物の見方が変わったことをお伝えしておきます。大陸からの波状的にわたってくる渡来人の影響を日本はもろに受けていること、というよりは波状的渡来人の重層で日本人が出来上がったこと。それまで東京にいて、気にもしなかったことで、京都で叩き込まれたことを羅列する。唐招提寺は聖武天皇に招かれて唐から渡ってきた鑑真[がんじん]和上が 759年に建立した。比叡山延暦寺を創建した最澄(さいちょう)のお父さんは琵琶湖のほとりに住む渡来人であった。楽焼の創始者、長次郎のお父さんは渡来人であった。日本の国宝第一号広隆寺の弥勒菩薩は朝鮮から持ち込まれたものであった。琵琶湖東岸の百済寺(ヒャクサイジ)は2mもあった聖徳太子の勅願により建てられた。667年天智天皇は近江大津
宮に遷都したが、その理由は朝鮮から攻められるのが怖かったから。京都高麗美術館館長は、司馬朗太郎と裏日本に旅にでると電話帳をめくって朝鮮の痕跡を探す。京都から移動した渡来人の系譜が裏日本に分散しているのです。電話帳には百済、新羅などもろに朝鮮の系譜を示す名前が数多く電話帳に載っている。埼玉県高麗(こま)地区は朝鮮からの渡来人部落をまとめるために高麗から招かれた高句麗の王が治めた。このはっきりした家系図を持つ高麗渡来人の末裔が高麗神社(コマジンジャ)の住職です。何故か高麗神社には総理大臣を目指す人々が参拝する。若槻礼次郎、濱口雄幸、斎藤實、平沼騏一郎、小磯国昭、鳩山一郎など後に総理大臣となった―――――――――――――――――――――――。(10~15年前の記憶で書いていますから、間違っていたらごめんなさい)。
さて、台南を出発すると直ぐ嘉義を通り過ぎます。嘉義は行きにバスで寄っています。
ここで昼食をとりました。(これは旅程の行きの話で、帰りの新幹線から降りているわけではありません。)
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鶏肉飯が売りの料亭です。
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特に豪華でもない、市民的な料亭ですが、ここの料理が今回のツアーで一番おいしかったといおうか、ここだけが端突に美味しかったと言おうか。
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特に豪勢な材料を使っているというわけではないのですが、次々に出てくる料理の味が鶏肉飯に限らずとてもよかった。
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台湾ビールもここで初めて出会って、感激したのです。
次に新幹線は台中を通過します。台中は現在、台湾の居住地域として一番人気。
以下の話も行きの旅程の話で、新幹線から降りているわけではありません。台中は行きのバス行程での最初の宿泊地でした。
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ホテルからの眺めはいかにも増加している居住地らしい、比較的新しい集合住宅の町並みが見えます。
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ただの街中の風景を載せます。
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台中国営榮徳国営中学校
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台中で一泊の後、台中観光。
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台中市内観光、巨大な布袋様のある宝覚寺。わらう金色の布袋様なのですが修復中で現在は金色ではありません。台湾が日本統治時代であった時に建立されたお寺です。台湾にありながらも、なんと臨済宗の妙心寺派のお寺。同時に台湾仏教のお寺でもあるので、台湾のような日本のような不思議な雰囲気の境内です。上の写真の石灯籠も日本が作った名残です。
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ここを訪れるのは日本人観光客ばかりだそうです。
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台湾の朝食は外で食べるのが普通。
行きの行程、台中から高雄への途中、何故かかなり大きく東に寄り道して、中央山脈の中腹にある湖、日月潭(リーユエタン)に向かいます。台湾最大の観光地のひとつで標高700メートルにある美しい淡水湖として観光定番地のようです。名前の由来は湖が日と月の形をしているというのですが、岸から見てもよくわかりません。定番の湖畔の文武廟によります。
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1932年、日月潭の水をダムに引くことになりましたが、これによって水没の危機に瀕した湖畔の龍鳳廟と益化堂が文武廟として現在の位置に移設再建されたのです。工事は4年の歳月をかけて、1938年に完成しました。とのことです。
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さて、新幹線は台中を過ぎ一路、最終地、台北に向かいます。
次回は台中から台北へ。
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