港区の坂―3 高輪、白金台-1
緊急事態宣言解除となりましたが、急に事態が変化するわけでもなさそうです。ブログというのは日常生活の中でたまたま印象に残ったことをつづるわけですから、急に生まれたり、無理やり作ったりするたぐいのことではありません。 <港区の坂>はそのあたりに住んでいる方には少しは興味あるでしょうが、関係ない人にはレスポンスしようもない。
この希薄なレスポンスに、心は折れるのですが、他にしようもない。毎日、カメラをもって散歩しているので、撮影写真はたまる一方です。心が折れようが、まだしばらく書き続けましょう。
これを書くにあたって、結構しらべているので、ほんと大変なのです。その成果として、なるほどそうだったのかと、自分の住んでいるところの周囲に関してずいぶんと理解が増えました。その内、<港区の坂>を書いたことが無駄ではなかったと思える日がくるでしょう。
2020-5-9, 14, 26
機材はSony alpha7RII + Zeiss Batis 40mm
26日からFujifilm X-T3 + Zeiss Touit 32mmに変更
今回は出発点を日吉坂上とします。高輪ゲートウェイ駅に向かいます。
目黒通り、日吉坂上から桑原坂を下ります。
日吉坂上の角には八芳園があります。内部には立派な庭があり、今頃はツツジがきれいなのですが、コロナ自粛で閉園となっています。八芳園とは1万2000坪の敷地内に庭園のあるレストラン・結婚式場。
さらに下ると、デザイン会社が上部を占め、下はレストランとなっている、デザイナーズビルといえる建物があります。レストランは以前キッシュ&タルトという店で洒落ていたのですが、その後経営難で色々変わっていって、どんどんつまらなくなり、現在はなにやらよくわかりません。
坂を下ると国道1号線、桜田通りに出ます。この角は明治学院大学。
国道を越えても坂はそのまま続き、名前を桂坂に変えます。
ミニ発見
なにやら高輪館という表札のあるお屋敷の横から洞坂が始まります。こういう小さな坂が楽しいですね。
高輪館は旧東芝山口記念会館とありますが、現在は日本テレビホールディングスが所有しているそうです。
くねっと曲がった洞坂を抜けると東禅寺があります。
東禅寺はこの周辺からすると予想外の広さと、お寺らしさを有しています。
このお寺をぐるっと回ってみると、その裏手は暗闇坂のごとく暗い坂道で、あまり通りたくない雰囲気です。
裏手は、お寺の木々のおかげで、昼でも暗い雰囲気。それでも住んでいる方はいらっしゃる。住めば都なのでしょうか。お寺というものが、周囲に良くも悪くも大きな影響を与えている。
白金台2,3丁目、高輪2,3丁目には驚くほど数多くのお寺があります。それらが、皆東禅寺のようにうっそうとした木々に囲まれているわけではなくスッキリと近代化しているところが多い。東禅寺の周囲は地域全体が時が止まったように異次元の雰囲気です。
さて、東禅寺の参道に戻ります。国道15号線、第一京浜に続く、こちらはお寺の裏とは打って変わって、高級マンションがならびます。
国道に向かって左には日本フラワーデザイナー協会(NFD会館)の建物、右は港区立高輪公園があります。
港区立高輪森の公園ともよばれており、江戸時代、薩摩藩島津家の下屋敷・抱屋敷でした。
明治時代に入ると、政治家・後藤象二郎の屋敷となった後、宮家の邸宅として昭和22年まで使われていました。この森の中の公園、東禅寺、高輪館などが連動して、この一帯の時が止まったような異次元の空間を作っているといえます。
第一京浜(国道15号線)に出て左折してしばらく歩くと桂坂の出口、それに続く高輪ゲートウェイ駅の入り口があります。この周辺はまだまだ、再開発中。
今日もテスラに遭遇。
再開発の塀にそって高輪ゲートウェイ駅に向かいます。
高輪ゲートウェイ駅
なにやらイベントスペースがあるが、今のところクローズ。
隈研吾氏の設計と聞きます。店は全てクローズ。結局、期待したような面白い所は今のところ発見できず。この未来的景観には高輪ゲートウェイなどというチャライ名前より、単に<高輪>駅の方が品がいい。高輪というところは色々歴史があるのだから、どこかの新興地みたいなネーミングはセンス悪い、なんでも海外に憧れる年寄りの仕業に違いない。
海側
第一京浜(国道15号線)に戻って品川駅にむかうと右は3つのプリンスホテルの集合地域。高輪プリンス、現在はグランドプリンスホテル高輪の入り口に向かう坂を<さくら坂>というのですが、その標識がどうしても見当たらない。これまでご紹介したように、港区は坂の標識がよく整備されています。後で紹介する渋谷区などは坂の標識が殆ど無い。こんなキチンとした立派な坂であり、その途中にはプリンスホテルのサクラタワーがあるのに、坂の標識がないことに当方は腹を立てています。高輪ゲートウェイというネーミングや坂の標識を抜いてしまう成金行為に怒っているのです。グランドプリンス高輪の案内にはちゃんと<さくら坂>と書いてあります、ここの標識が行方不明であることをホテルは知らないのでしょうか? 今度聞いてみましょう。
グランドプリンス高輪貴賓館~旧竹田宮邸~ 現在はグランドプリンス高輪(旧高輪プリンスホテルの)結婚式場として使用されています。
品川駅から新高輪プリンスホテル、現在はグランドプリンスホテル新高輪の脇を登る坂にはちゃんと標識があります。
大体品川駅や高輪、新高輪プリンスホテルは港区高輪3丁目、品川駅なのに高輪3丁目です。高輪ゲートウェーは高輪2丁目、第二京浜(国道1号線)を越えて白金台2丁目、白金台3丁目、ここで目黒通りとぶつかります。港区である白金台2丁目、白金台3丁目と品川区である上大崎1丁目、東五反田4丁目が一つの高台にまとまっている感じで、グチャグチャな小道と坂、さらにあちこちに階段が道をつないでいます。何度もこのあたりを歩いているのですが、目印になる広い道や、川が無いので、いつも自分がどこを歩いているのかわからなくなります。今回も、坂、階段の多さとグチャグチャ感を出そうと色々撮影したのですが、どこがどこやらまったくわからなくなってしまいました。
ザクロ坂を上がって、新高輪プリンスの玄関あたりを左折する下り坂があります。このまま行くと五反田駅までいってしまいますから、左の道から高輪3丁目に入ります。
いい色のアルファロオがありました。ヨーロッパ車は色がうれしい。
今日はここまで、高輪地区から白金台2,3丁目地区はまた明日。
緊急事態宣言解除となりましたが、急に事態が変化するわけでもなさそうです。ブログというのは日常生活の中でたまたま印象に残ったことをつづるわけですから、急に生まれたり、無理やり作ったりするたぐいのことではありません。 <港区の坂>はそのあたりに住んでいる方には少しは興味あるでしょうが、関係ない人にはレスポンスしようもない。
この希薄なレスポンスに、心は折れるのですが、他にしようもない。毎日、カメラをもって散歩しているので、撮影写真はたまる一方です。心が折れようが、まだしばらく書き続けましょう。
これを書くにあたって、結構しらべているので、ほんと大変なのです。その成果として、なるほどそうだったのかと、自分の住んでいるところの周囲に関してずいぶんと理解が増えました。その内、<港区の坂>を書いたことが無駄ではなかったと思える日がくるでしょう。
2020-5-9, 14, 26
機材はSony alpha7RII + Zeiss Batis 40mm
26日からFujifilm X-T3 + Zeiss Touit 32mmに変更
今回は出発点を日吉坂上とします。高輪ゲートウェイ駅に向かいます。
目黒通り、日吉坂上から桑原坂を下ります。
日吉坂上の角には八芳園があります。内部には立派な庭があり、今頃はツツジがきれいなのですが、コロナ自粛で閉園となっています。八芳園とは1万2000坪の敷地内に庭園のあるレストラン・結婚式場。
さらに下ると、デザイン会社が上部を占め、下はレストランとなっている、デザイナーズビルといえる建物があります。レストランは以前キッシュ&タルトという店で洒落ていたのですが、その後経営難で色々変わっていって、どんどんつまらなくなり、現在はなにやらよくわかりません。
坂を下ると国道1号線、桜田通りに出ます。この角は明治学院大学。
国道を越えても坂はそのまま続き、名前を桂坂に変えます。
ミニ発見
なにやら高輪館という表札のあるお屋敷の横から洞坂が始まります。こういう小さな坂が楽しいですね。
高輪館は旧東芝山口記念会館とありますが、現在は日本テレビホールディングスが所有しているそうです。
くねっと曲がった洞坂を抜けると東禅寺があります。
東禅寺はこの周辺からすると予想外の広さと、お寺らしさを有しています。
このお寺をぐるっと回ってみると、その裏手は暗闇坂のごとく暗い坂道で、あまり通りたくない雰囲気です。
裏手は、お寺の木々のおかげで、昼でも暗い雰囲気。それでも住んでいる方はいらっしゃる。住めば都なのでしょうか。お寺というものが、周囲に良くも悪くも大きな影響を与えている。
白金台2,3丁目、高輪2,3丁目には驚くほど数多くのお寺があります。それらが、皆東禅寺のようにうっそうとした木々に囲まれているわけではなくスッキリと近代化しているところが多い。東禅寺の周囲は地域全体が時が止まったように異次元の雰囲気です。
さて、東禅寺の参道に戻ります。国道15号線、第一京浜に続く、こちらはお寺の裏とは打って変わって、高級マンションがならびます。
国道に向かって左には日本フラワーデザイナー協会(NFD会館)の建物、右は港区立高輪公園があります。
港区立高輪森の公園ともよばれており、江戸時代、薩摩藩島津家の下屋敷・抱屋敷でした。
明治時代に入ると、政治家・後藤象二郎の屋敷となった後、宮家の邸宅として昭和22年まで使われていました。この森の中の公園、東禅寺、高輪館などが連動して、この一帯の時が止まったような異次元の空間を作っているといえます。
第一京浜(国道15号線)に出て左折してしばらく歩くと桂坂の出口、それに続く高輪ゲートウェイ駅の入り口があります。この周辺はまだまだ、再開発中。
今日もテスラに遭遇。
再開発の塀にそって高輪ゲートウェイ駅に向かいます。
高輪ゲートウェイ駅
なにやらイベントスペースがあるが、今のところクローズ。
隈研吾氏の設計と聞きます。店は全てクローズ。結局、期待したような面白い所は今のところ発見できず。この未来的景観には高輪ゲートウェイなどというチャライ名前より、単に<高輪>駅の方が品がいい。高輪というところは色々歴史があるのだから、どこかの新興地みたいなネーミングはセンス悪い、なんでも海外に憧れる年寄りの仕業に違いない。
海側
第一京浜(国道15号線)に戻って品川駅にむかうと右は3つのプリンスホテルの集合地域。高輪プリンス、現在はグランドプリンスホテル高輪の入り口に向かう坂を<さくら坂>というのですが、その標識がどうしても見当たらない。これまでご紹介したように、港区は坂の標識がよく整備されています。後で紹介する渋谷区などは坂の標識が殆ど無い。こんなキチンとした立派な坂であり、その途中にはプリンスホテルのサクラタワーがあるのに、坂の標識がないことに当方は腹を立てています。高輪ゲートウェイというネーミングや坂の標識を抜いてしまう成金行為に怒っているのです。グランドプリンス高輪の案内にはちゃんと<さくら坂>と書いてあります、ここの標識が行方不明であることをホテルは知らないのでしょうか? 今度聞いてみましょう。
グランドプリンス高輪貴賓館~旧竹田宮邸~ 現在はグランドプリンス高輪(旧高輪プリンスホテルの)結婚式場として使用されています。
品川駅から新高輪プリンスホテル、現在はグランドプリンスホテル新高輪の脇を登る坂にはちゃんと標識があります。
大体品川駅や高輪、新高輪プリンスホテルは港区高輪3丁目、品川駅なのに高輪3丁目です。高輪ゲートウェーは高輪2丁目、第二京浜(国道1号線)を越えて白金台2丁目、白金台3丁目、ここで目黒通りとぶつかります。港区である白金台2丁目、白金台3丁目と品川区である上大崎1丁目、東五反田4丁目が一つの高台にまとまっている感じで、グチャグチャな小道と坂、さらにあちこちに階段が道をつないでいます。何度もこのあたりを歩いているのですが、目印になる広い道や、川が無いので、いつも自分がどこを歩いているのかわからなくなります。今回も、坂、階段の多さとグチャグチャ感を出そうと色々撮影したのですが、どこがどこやらまったくわからなくなってしまいました。
ザクロ坂を上がって、新高輪プリンスの玄関あたりを左折する下り坂があります。このまま行くと五反田駅までいってしまいますから、左の道から高輪3丁目に入ります。
いい色のアルファロオがありました。ヨーロッパ車は色がうれしい。
今日はここまで、高輪地区から白金台2,3丁目地区はまた明日。
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