New アート考察 <ガレの庭> 復刻版
旧アート考察は全てアクセスできないようにしています。ブログにおける引用文献の位置付けがよくわからないので、全て引っ込めてしまったのです。その後Newアート考察として再スタートしました。引用した写真を小さくして、引用元を明記し、引用であることを明確にすることで、再スタートしてみました。自分の考えを書くことを中心課題とし、引用はあくまで引用であり、展覧会や本の紹介ではないように気を付けてきました。
旧アート考察は当方の現在の作品作成に大きな影響を与えていることは事実ですし、Newアート考察はこの旧アート考察の流れの中にあり、旧アート考察は決して無視できないのです。
旧アート考察をクリックしていただくケースがたびたびあり、<ガレの庭>がダントツに多い。開けなくて申し訳ないと思っていました。そこで<旧ガレの庭>を内容はそのままに、<Newアート考察>形式で再現いたします。 8年以上前の古い話で違和感があるかもしれませんが、内容を変更せずにそのまま載せます。最後にこのタイミングでなぜ<ガレの庭>を再登場させたかを新たに書き加えます。
<ガレの庭> 2016-3-18
自然教育園のすぐ隣は庭園美術館です。エミール・ガレといえばみなさんご存知でしょう。すぐ近くの庭園美術館で<ガレの庭>という展示会をやっているのに、あまりに有名なので、ガレなぞよく知っていうからいいやとほっておいたのです。しかし、陶芸窯を買い、Makers Baseに通い、だんだんアート・ビジネスの準備が整ってきて、売れる商品を作るという命題を眼前に突きつけられ、もう手を動かさねばならないぎりぎりのところまで来てしまいました。この時<庭>という言葉にアレ!と思ったのです。
ガレの作品は花はもちろんトンボ、カエル、チョウ、カマキリ等々自然からのデザインがあふれています。ガレの<自然を作品に落としこむ過程>はいかなるものか? 俄然興味がわいてきました。
自然→写真→陶板/色立体という流れをとってきた当方の過程は、なんとガレの過程と基本的にはほとんど同じだったのです。ガレと当方を同列で議論するとは全くおこがましいですが、しばらくご勘弁を。
ガレから学んだことを列記します。
1、ガレは自然を一度、デッサン画に落とし込んで作品の設計図を作ります。ガレは経営者であり、植物学者であるところが一般の作家さんに比して大きな特徴です。音楽でいえばこのデッサン画は楽譜であり、ガレは作曲家兼指揮者です。
かれのデッサン画をもとに多くの職人に作品の作り方を指示しているのです。ガレのガラス工芸手法はどんどん発達して12以上にのぼります。
今回の展示会はこのデッサン画と最終作品が並べて展示してあることが画期的です。それぞれ所蔵している所が違いますから、ここで一堂に会する機会はとても貴重なものです。
デッサン画にミシン穴をあけて、そこの染料を塗り、ガラスの表面にデッサン画のポジションを移してそれからおもむろに色ガラスを貼ったり,描いたりして絵柄を作ってゆく手法がとられます。
これは九谷焼の上絵の書き方に類似しています。
当方は自然の写真を見ながら直接、陶板に絵を描いていました。一度デッサン画を描くことがデザイン上、非常に重要であると悟りました。写真は現物が必要ですからデザイン上の制限がありますが、デッサン画は自由にデザインを作り上げることができます。ここで一度、自然を絵画に変換する必要があるのです。
ガレは植物学者でもあり彼のデッサン画はボタニカル・アートのように生物学的に精密な描き方ですが、精密の上にデザイン性が加わっているところが重要です。
当方の場合はガレのようにボタニカル・アート風な精密性を追求することはないですが、生物学的真実性(虫の足が何本とか、花弁の重なり具合はどうだとか)を崩さないように注意してきました。どこまでデホルメするかは重要な課題です。
自然→写真→<デッサン画/デジタルイラストレーション>→<企業秘密>→陶器 この連結部分はこれからの課題です。むろん頭の中にはこの連結法のアイデアがいくつかあります。
2、ガレは当初、ボリュームのあるレリーフ・デザインを試みていましたが、次第に厚みの適当なレリーフが主流になります。ボリュームを一方的に増強してゆくというよりはボリュームの最適化に気を配っているようにみえます。当方も初めはインプレッションを強くしようと絵を盛り上げてボリュームをできるだけとろうとしていましたが、そのころの作品は、なにか品がありません。ガレの作品もレリーフの厚みは適当な方が好感が持てます。
3、ガレの作品は主題本体の下台の部分に,色々な試みがなされており、下台が重要な意味を持っています。陶器の場合は下台という概念がほとんどなく、あっても茶碗の高台で、いたってシンプルです。陶芸教室の先生によると、陶器は壊れやすいので、細い下台などは無理である、磁器なら、下台に凝るケースがあるとのことでした。しかし、陶器でも下台の概念を入れ込んだら面白いと思うのです。金属を用いた下台のコンビネーションも面白い。
ニキ・ド・サンファルも金属彫刻家との長い間にわたる公私にわたるコラボレーションの結果の作品がありますが、これもインプレッシブです。
ニキ・ド・サンファルと彫刻家ジャン・ティンゲリーの合作
4、ガレは本体を花、たとえばスミレやヒナゲシの花の形にして、さらにその本体にスミレやヒナゲシを描くという二重のデザインを時折行います。当方にはこの発想が無かった。この自由さには新鮮なインパクトを受けました。
ヒナゲシ
スミレ
5、ガレはレリーフの浮彫部分と、背景とに二重のインプレッションを持たせている作品が多くあります。花の浮彫と森の雰囲気の背景とかです。この組み合わせに大きな意味を持たせているところが重要です。
6、ガレは常に新しい試みをしています。ガレの初期の作品は当方がこれまで考えてきたこととよく似ており、後期の作品は初期の作品からは考えられないほどの進化を遂げています。初期の方向性が似ているのですから、ガレ後期の作風は当方のこれからに大きなインパクトを与えることは必至です。
1875年
1887年
1904年
7、ガレはガラスですが、陶器の釉薬(うわぐすり)も言ってみればガラスです。ガレのガラス作品と陶芸は多くの共通点があります。特に当方が目指す色立体はまさにガレの方向です。
引用文献:<ガレの庭> Emile Galle Nature and Symbol 2016-1-16 ~4-10 東京都庭園美術
2023-12-4 <ガレの庭>後記
このあたりからガラス技法の陶器への応用を考え始めたのですが、道のりはそう簡単ではありませんでした。まずはガラス技法を学ばねばとパート・ド・ベールの先生に入門しました。パート・ド・ベールは電気釜を使うし、粘土造形から始まる点など陶芸と似ていると思ったからです。しかし、ガラスと陶器は直接ドッキングできません。2つを融合すれば、膨張率の違いから割れてしまいます。仕方なく別々に作り融合せずに組わせることでハイブリッド作品を3点作りました。これが後にアート未来展で奨励賞をとった作品です。ガラス教室がコロナ禍で一時鎖されてから、ハイブリッドを作らずに、ガラスはもっぱら釉薬のかわりに陶器にコーティングする方向にかわりましたが、陶器作品をパーツに分けて最後に組み立てるという手法を多用するようになりました。これが現在です。ガラス技法の陶器技法のドッキングはまだ捨てたわけではありません。しだいにハイブリッドに戻すつもりで頭の中では策をねっています。
さて、後記の本題は違うところにあります。問題はカワセミにあります。自然教育園と写真クラブは現在カワセミ一色です。 50万円くらいかけて、鳥撮りの機材(Fujifilm X-H2S+Fujifilm XF150-600mm)をそろえたのですが、どうしても鳥撮りに入れ込むことが出来ません。もったいないから虫ハイスピード撮影にシフトしたのですが、機材の能力が追い付きません。当方はアート作品を作ることが目的なのです、標本写真を撮ることに労力を費やせないのです。カワセミでアート作品が作れるなら、それでもいいのですが、アイデアが浮かびません。
その時ふと思ったのです。西洋の絵画にはトンボ、カエル、チョウ、カマキリなどは殆ど登場しません。鳥だってあまり登場しません。あくまで人、人、人が中心なのです。一方日本画では花鳥風月は大きな中心です。ガレにはトンボ、カエル、チョウ、カマキリが登場する、なんでかな? 答えは簡単で、ガレは当時のジャポニズムに大きな影響を受けているのです。ガレだけでなく同じくガラスのラリックもトンボや蝶を使います。しかし、絵画は相変わらずあまりトンボ、カエル、チョウ、カマキリが登場することはありません。せいぜいヒマワリのゴッホとか、スイレンのモネとかでしょう。ジャポニズムの影響も工芸と絵画は違う、これは何故かな? 絵を描く人は頭の中が<人>でいっぱいな人が多く、工芸家は<人以外の美>が好きな人が多い? 絵を描く人は情熱にのめり込み、工芸家はクールに美を求める?
写真は絵や工芸とは違って、自由に配置や組み合わせができません。ましてや鳥は撮るだけで精いっぱい。虫ハイスピード撮影でアリス・イン・ワンダーランドの絵を作ろうと思ったのは写真をパーツに分けて、自由に配置や組み合わせを行ってアート作品を作くろうと無意識の内に思ったに違いない。しかし、西洋由来のアリス・イン・ワンダーランドをイメージしたのがいけなかった。これはイメージの範囲が狭くて難しすぎます。日本には花鳥風月があるではないか。これなら鳥も重要な素材だ。
このブログの出足に、<自然→写真→陶板/色立体という流れをとってきた当方の過程>と書いているではないか、<自然→パーツ写真→合成写真→陶板/色立体>とすればいいだけだ。この合成写真が花鳥風月なのだ。
ということでしばらく鳥撮りもつづけましょう。パーツ写真をとにかく集めまくるのです。うまく集合できるか?? できれば、陶板/色立体のモチーフが出来上がるのだ。
すみません、長々とつまらんことを書いて。こうやって、毎日考えながら写真をとり、陶器を作っているのです。
旧アート考察は全てアクセスできないようにしています。ブログにおける引用文献の位置付けがよくわからないので、全て引っ込めてしまったのです。その後Newアート考察として再スタートしました。引用した写真を小さくして、引用元を明記し、引用であることを明確にすることで、再スタートしてみました。自分の考えを書くことを中心課題とし、引用はあくまで引用であり、展覧会や本の紹介ではないように気を付けてきました。
旧アート考察は当方の現在の作品作成に大きな影響を与えていることは事実ですし、Newアート考察はこの旧アート考察の流れの中にあり、旧アート考察は決して無視できないのです。
旧アート考察をクリックしていただくケースがたびたびあり、<ガレの庭>がダントツに多い。開けなくて申し訳ないと思っていました。そこで<旧ガレの庭>を内容はそのままに、<Newアート考察>形式で再現いたします。 8年以上前の古い話で違和感があるかもしれませんが、内容を変更せずにそのまま載せます。最後にこのタイミングでなぜ<ガレの庭>を再登場させたかを新たに書き加えます。
<ガレの庭> 2016-3-18
自然教育園のすぐ隣は庭園美術館です。エミール・ガレといえばみなさんご存知でしょう。すぐ近くの庭園美術館で<ガレの庭>という展示会をやっているのに、あまりに有名なので、ガレなぞよく知っていうからいいやとほっておいたのです。しかし、陶芸窯を買い、Makers Baseに通い、だんだんアート・ビジネスの準備が整ってきて、売れる商品を作るという命題を眼前に突きつけられ、もう手を動かさねばならないぎりぎりのところまで来てしまいました。この時<庭>という言葉にアレ!と思ったのです。
ガレの作品は花はもちろんトンボ、カエル、チョウ、カマキリ等々自然からのデザインがあふれています。ガレの<自然を作品に落としこむ過程>はいかなるものか? 俄然興味がわいてきました。
自然→写真→陶板/色立体という流れをとってきた当方の過程は、なんとガレの過程と基本的にはほとんど同じだったのです。ガレと当方を同列で議論するとは全くおこがましいですが、しばらくご勘弁を。
ガレから学んだことを列記します。
1、ガレは自然を一度、デッサン画に落とし込んで作品の設計図を作ります。ガレは経営者であり、植物学者であるところが一般の作家さんに比して大きな特徴です。音楽でいえばこのデッサン画は楽譜であり、ガレは作曲家兼指揮者です。
かれのデッサン画をもとに多くの職人に作品の作り方を指示しているのです。ガレのガラス工芸手法はどんどん発達して12以上にのぼります。
今回の展示会はこのデッサン画と最終作品が並べて展示してあることが画期的です。それぞれ所蔵している所が違いますから、ここで一堂に会する機会はとても貴重なものです。
デッサン画にミシン穴をあけて、そこの染料を塗り、ガラスの表面にデッサン画のポジションを移してそれからおもむろに色ガラスを貼ったり,描いたりして絵柄を作ってゆく手法がとられます。
これは九谷焼の上絵の書き方に類似しています。
当方は自然の写真を見ながら直接、陶板に絵を描いていました。一度デッサン画を描くことがデザイン上、非常に重要であると悟りました。写真は現物が必要ですからデザイン上の制限がありますが、デッサン画は自由にデザインを作り上げることができます。ここで一度、自然を絵画に変換する必要があるのです。
ガレは植物学者でもあり彼のデッサン画はボタニカル・アートのように生物学的に精密な描き方ですが、精密の上にデザイン性が加わっているところが重要です。
当方の場合はガレのようにボタニカル・アート風な精密性を追求することはないですが、生物学的真実性(虫の足が何本とか、花弁の重なり具合はどうだとか)を崩さないように注意してきました。どこまでデホルメするかは重要な課題です。
自然→写真→<デッサン画/デジタルイラストレーション>→<企業秘密>→陶器 この連結部分はこれからの課題です。むろん頭の中にはこの連結法のアイデアがいくつかあります。
2、ガレは当初、ボリュームのあるレリーフ・デザインを試みていましたが、次第に厚みの適当なレリーフが主流になります。ボリュームを一方的に増強してゆくというよりはボリュームの最適化に気を配っているようにみえます。当方も初めはインプレッションを強くしようと絵を盛り上げてボリュームをできるだけとろうとしていましたが、そのころの作品は、なにか品がありません。ガレの作品もレリーフの厚みは適当な方が好感が持てます。
3、ガレの作品は主題本体の下台の部分に,色々な試みがなされており、下台が重要な意味を持っています。陶器の場合は下台という概念がほとんどなく、あっても茶碗の高台で、いたってシンプルです。陶芸教室の先生によると、陶器は壊れやすいので、細い下台などは無理である、磁器なら、下台に凝るケースがあるとのことでした。しかし、陶器でも下台の概念を入れ込んだら面白いと思うのです。金属を用いた下台のコンビネーションも面白い。
ニキ・ド・サンファルも金属彫刻家との長い間にわたる公私にわたるコラボレーションの結果の作品がありますが、これもインプレッシブです。
ニキ・ド・サンファルと彫刻家ジャン・ティンゲリーの合作
4、ガレは本体を花、たとえばスミレやヒナゲシの花の形にして、さらにその本体にスミレやヒナゲシを描くという二重のデザインを時折行います。当方にはこの発想が無かった。この自由さには新鮮なインパクトを受けました。
ヒナゲシ
スミレ
5、ガレはレリーフの浮彫部分と、背景とに二重のインプレッションを持たせている作品が多くあります。花の浮彫と森の雰囲気の背景とかです。この組み合わせに大きな意味を持たせているところが重要です。
6、ガレは常に新しい試みをしています。ガレの初期の作品は当方がこれまで考えてきたこととよく似ており、後期の作品は初期の作品からは考えられないほどの進化を遂げています。初期の方向性が似ているのですから、ガレ後期の作風は当方のこれからに大きなインパクトを与えることは必至です。
1875年
1887年
1904年
7、ガレはガラスですが、陶器の釉薬(うわぐすり)も言ってみればガラスです。ガレのガラス作品と陶芸は多くの共通点があります。特に当方が目指す色立体はまさにガレの方向です。
引用文献:<ガレの庭> Emile Galle Nature and Symbol 2016-1-16 ~4-10 東京都庭園美術
2023-12-4 <ガレの庭>後記
このあたりからガラス技法の陶器への応用を考え始めたのですが、道のりはそう簡単ではありませんでした。まずはガラス技法を学ばねばとパート・ド・ベールの先生に入門しました。パート・ド・ベールは電気釜を使うし、粘土造形から始まる点など陶芸と似ていると思ったからです。しかし、ガラスと陶器は直接ドッキングできません。2つを融合すれば、膨張率の違いから割れてしまいます。仕方なく別々に作り融合せずに組わせることでハイブリッド作品を3点作りました。これが後にアート未来展で奨励賞をとった作品です。ガラス教室がコロナ禍で一時鎖されてから、ハイブリッドを作らずに、ガラスはもっぱら釉薬のかわりに陶器にコーティングする方向にかわりましたが、陶器作品をパーツに分けて最後に組み立てるという手法を多用するようになりました。これが現在です。ガラス技法の陶器技法のドッキングはまだ捨てたわけではありません。しだいにハイブリッドに戻すつもりで頭の中では策をねっています。
さて、後記の本題は違うところにあります。問題はカワセミにあります。自然教育園と写真クラブは現在カワセミ一色です。 50万円くらいかけて、鳥撮りの機材(Fujifilm X-H2S+Fujifilm XF150-600mm)をそろえたのですが、どうしても鳥撮りに入れ込むことが出来ません。もったいないから虫ハイスピード撮影にシフトしたのですが、機材の能力が追い付きません。当方はアート作品を作ることが目的なのです、標本写真を撮ることに労力を費やせないのです。カワセミでアート作品が作れるなら、それでもいいのですが、アイデアが浮かびません。
その時ふと思ったのです。西洋の絵画にはトンボ、カエル、チョウ、カマキリなどは殆ど登場しません。鳥だってあまり登場しません。あくまで人、人、人が中心なのです。一方日本画では花鳥風月は大きな中心です。ガレにはトンボ、カエル、チョウ、カマキリが登場する、なんでかな? 答えは簡単で、ガレは当時のジャポニズムに大きな影響を受けているのです。ガレだけでなく同じくガラスのラリックもトンボや蝶を使います。しかし、絵画は相変わらずあまりトンボ、カエル、チョウ、カマキリが登場することはありません。せいぜいヒマワリのゴッホとか、スイレンのモネとかでしょう。ジャポニズムの影響も工芸と絵画は違う、これは何故かな? 絵を描く人は頭の中が<人>でいっぱいな人が多く、工芸家は<人以外の美>が好きな人が多い? 絵を描く人は情熱にのめり込み、工芸家はクールに美を求める?
写真は絵や工芸とは違って、自由に配置や組み合わせができません。ましてや鳥は撮るだけで精いっぱい。虫ハイスピード撮影でアリス・イン・ワンダーランドの絵を作ろうと思ったのは写真をパーツに分けて、自由に配置や組み合わせを行ってアート作品を作くろうと無意識の内に思ったに違いない。しかし、西洋由来のアリス・イン・ワンダーランドをイメージしたのがいけなかった。これはイメージの範囲が狭くて難しすぎます。日本には花鳥風月があるではないか。これなら鳥も重要な素材だ。
このブログの出足に、<自然→写真→陶板/色立体という流れをとってきた当方の過程>と書いているではないか、<自然→パーツ写真→合成写真→陶板/色立体>とすればいいだけだ。この合成写真が花鳥風月なのだ。
ということでしばらく鳥撮りもつづけましょう。パーツ写真をとにかく集めまくるのです。うまく集合できるか?? できれば、陶板/色立体のモチーフが出来上がるのだ。
すみません、長々とつまらんことを書いて。こうやって、毎日考えながら写真をとり、陶器を作っているのです。
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