小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

韓国、クラフトな旅 その3

2012-09-22 19:54:23 | 旅行
韓国、クラフトな旅 その3

昌徳宮(チャンドックン)の正殿、仁政殿(インジョンジョン)を後にして宣政殿(ソンジョンジョン)に向かいます。


宣政殿( ジョンジョン)一帯

王が臣下と国政を議論する場所として使っていた所で、現在韓国に残っている唯一の青い瓦の宮殿。瓦の屋根の端に見える小さな石像はお宮を守る守護神として置かれた物で、西遊記の登場人物が並んでいます。


宣政殿( ジョンジョン)一帯


宣政殿( ジョンジョン)一帯


宣政殿( ジョンジョン)一帯


宣政殿( ジョンジョン)一帯


宣政殿( ジョンジョン)一帯






大造殿(デジョジョン)

こちらは王と王妃の寝殿であり、王とその家族が生活していた中宮殿でもあります。この建物の特徴は屋根に棟瓦がないこと。韓国ではこの瓦を「龍棟」と呼び、国王は龍に例えられたので、国王の寝殿であるこの大造殿の瓦を省いたということ。内部の寝室周辺には、王と王妃を守る女官が使っていた小さな部屋があります。



王様のいすでしょうか、螺鈿(ラデン)がびっしりです。Wikipediaによると螺鈿は奈良時代に唐より日本に伝わったとされています。発祥の地は中国でしょう。しかし、おそらく作成技術は渡来人によりもたらされたのでしょう。渡来人というのは朝鮮人(これもいろいろ人種があって、当時の人種は現在の人種と違うといわれています。)また中国から韓国へ逃げてきた人々も含まれます。 現在、韓国では螺鈿を伝統工芸品として前面に出そうとしています。 韓国のお店にいっぱい並んでいます。現在、日本で売っている螺鈿工芸品は大半韓国で作られているのでしょうから、 韓国で螺鈿を買えば、現地購入割安ということになります。 韓国で、螺鈿を自国で生まれた伝統工芸品だといって売り出そうとしているのはけしからんという日本人ブログの書き込みが気になります。韓国を目の敵にする日本の方と、日本を目の敵にする韓国の方がネット上で言いあうことはいつものことですが、また後で議論しましょう。



日本の瓦とはだいぶ違いますが、瓦パターンの織りなす面白さは共通のものがあります。



これが青い瓦の屋根。写真はそうでもないですが、現物は青緑に輝いています。今回写真の枚数が多くて、まじめに修正していなくてすみません。







後でも述べますが、韓国の模様はとてもパターン化しており、元の花だの葉っぱだのつるだのの原型がなにか想像できません。 それに動物系の模様が非常に少ない。建物の間から覗く、遠景の建物、瓦の混合パターンは当方がいつも狙う絵です。日本は明らかにこの複合パターンを意図して建物が設計されています。韓国は意図しているのでしょか?




楽善斎(ナクソンジェ)

1847年に建築。その後も後宮や女官が余生を送る空間として使用されました。王朝末期の皇族たちが暮らした場所としても知られており、英王(ヨンワン)とその后である李方子女史、そして徳恵翁主(トケオンジュ)が日本から帰国した後過ごした場所でもあり。最後の皇太子である李垠(イウン)に、日本の梨本宮家から嫁いだ方子(まさこ)も晩年を過ごしました。壁は、長寿を意味するカメの甲羅模様になっています。


楽善斎(ナクソンジェ)


楽善斎(ナクソンジェ)

ここで、とても気になることを感じます。楽善斎(ナクソンジェ)は後宮や女官が余生を送る空間とうことなので、質素でもおかしくはありませんが、このまっ白さは何なのでしょう。楽善斎(ナクソンジェ)だけではありません、行く先々の宮殿の部屋で、オルドンの床がシンプルであることは当然ですが、どこにも絵や彫刻がありません。 韓流ドラマの風景とは大違いです。どちらが本当なのかいなと家内と議論しました。 解放して見せているから、絵を飾ると壊されるから飾っていないのだろうという説と、ドラマは見栄を張って後付けで絵を飾っているのだろうという説です。壊されるなら、コピーを貼ればいい、韓国の人は絵に関心が薄いのでは?それなら<ソンヨ>が書いていた絵は何だ? どうも韓国では絵画が芸術品として育たなかったと思えるのです。現在見られるアーティスティックな品物は、みな実用品から育った民芸品であり、芸術品としてのステータスが昔からあったのではないと思われるのです。これも後で議論しましょう。 



側室の館と尼さんの組み合わせが面白いので撮ったというと怒られるかな? むしろ、楽善斎(ナクソンジェ)は日本の尼寺に近いのかなという気もします。


楽善斎(ナクソンジェ)

疲れて井戸に座っている陶芸仲間。韓国に到着した昨日の晩はみなさん夜2時過ぎまで飲んで騒いでいたようです。当方は病人だったので早く寝ました。病人というのは、韓国旅行の出発当日、突然右目の視野のなかにヒョロヒョロした黒線が何本も泳ぎだし、だんだん視野全体に広がって行き、さらにバックに小さなツブツブが泳いでいるという状態になったのです。兆候は昨日の晩からあったのですが、朝にメチャクチャになりました。もう旅行はドタキャンかと思ったのですが、眼科に行くと、硝子体剥離という病名をいただきました。網膜本体は傷ついていないので旅行に行ってもよろしい、治療はただ収まるのを待つだけということでした。写真の撮りすぎですかといったら、関係ありません。それなら何が原因ですかときいたら、年取るとそうなるのですというつれない答え。結局、一週間たったいまでも変わらずに、視野をゴミが泳いでいる状態が続いています。飛蚊症というらしく、当分蚊とお付き合いです。


後苑に向かう道

秘苑(ピウォン)として人々に広く親しまれているこのお庭は、もともと後苑(フウォン)といい、朝鮮第3代王、太宗5年(1405年)昌徳宮の創建時に宮殿の庭園として造られました。ここで王や王妃が余暇を楽しんだり、勉強をしたりしていました。1592年、文禄・慶長の役で大半の庭亭が焼失しましたが、1623年に改修増築され、今の姿を維持しています。この庭園は、韓国伝統の造園技術による自然をそのまま生かした造りになっていて、ソウルにいるとは思えないような美しい豊かな自然に魅せられ、一年中たくさんの観光客が訪れます。

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