小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

自然教育園日記 その47

2015-10-19 16:51:42 | 日記
自然教育園日記 その47
2015-10-18
これまで、マイクロフォーサーズ万歳といっていたが、Sony α7RIIを使うようになってから、このフルサイズとマイクロフォーサーズの品格の格差があまりに大きくなりすぎて、マイクロフォーサーズを今後使い続けることに疑問が湧いてきた。Sony α7RIIは当方の撮影スタイルに、じわりと大きな影響をおよぼして来ているのである。
鳥撮りだけはマイクロフォーサーズに振り分けるべきと思うが、いつまで鳥撮りを続けるのかが大変疑問である。 鳥撮りに関して、今年の冬にある試みをやろうと思っている。この試みは、当方にとって、唯一の鳥撮りに対する興味なのである。その結果が上手く行くかどうかが、マイクロフォーサーズの運命に関して、決定的に重要になってきた。
自然教育園では鳥がぼちぼち目立ち始めている。木の実が増えて、鳥が集まってきたのか、今年孵った若鳥が大ぴらに活躍し始めたのか、鳥の渡りと関係するのか、単に葉っぱが少なくなりつつあるためか、当方にはわからない。クラブの鳥撮りの名人が、さかんに珍しい鳥が現れたことを教えてくれる。しかし、当方にとって、当分、鳥撮りよりは、これから今シーズンの紅葉をどう撮るかが重要な課題である。
マイクロフォーサーズを縮小するとしたら、2台あるマイクロフォーサーズを1台処分することと、望遠以外のレンズを処分することになる。マクロレンズは殆ど使わないから、処分。さて、ボケの面白さを教えてくれた、フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95はどうするか? ボケ用レンズもフルサイズに移行したい。フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95のこのF0.95はマイクロフォーサーズでないとフルサイズではとっても価格的に手が届かない。フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95のF0.95では、いつもどこにも焦点が合わないという印象を持っている。今回は三脚を据えてF0.95で撮って見た。やはりどこにも焦点が合わない。このボケボケ写真はそれなりに面白いが、展示会に出すには、少なくともどこかにピントが合ってほしい。絞りこんでピントをとるなら、F0.95はいらないことになる。フルサイズ用、フォクトレンダー Nokton 50mm F1.1を早く手に入れて、比較したいものだ。これなら買えそうな値段である。
さて、今回の撮影ではOlympus OM-D E-M1を多く使ったのに、ここに載せたのはPanasonic Lumix GH4の方がずっと多い。前々からOlympus OM-D E-M1の色に疑問を持っている。Panasonic Lumix GH4の方が素直な色になるのである。当方の中では、大人気商品のOlympus OM-D E-M1の運命が危うい。しかし、Panasonic Lumix GH4は一つ致命的に近い問題がある。そのシャッターボタンが、単にメカニカルな問題とおもうのだが、位置と固さが上手くないために、手持ちでF0.95を撮ると、ブレてしまう。さらにせっかくの40コマ/秒でも最初のシャッター押しが遅れて、チャンスを逃してしまう。前にも言ったように、連写速度よりもシャッターチャンスを逃さない事の方がずっと重要なのである。これから、生き残りをかけた、この2台のマイクロフォーサーズのバトルが始まるのだ。


Panasonic Lumix GH4 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング


Panasonic Lumix GH4 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング


Panasonic Lumix GH4 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング


Panasonic Lumix GH4 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング


Panasonic Lumix GH4 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング


Panasonic Lumix GH4 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング


Olympus OM-D E-M1 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95


Olympus OM-D E-M1 + フォクトレンダー Nokton 25mm F0.95+接写リング

コウヤボウキが咲き始めました。
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自然教育園日記 その46

2015-10-16 21:17:50 | 日記
自然教育園日記 その46
2015-10-15
久しぶりに自然教育園日記を書きます。最近はSony α7RII一台を持っての撮影になっています。今日はレンズもSony FE90mm macro一本だけ。自然教育園で開催中の写真展を見て、今回の当方の写真はどれもインパクトが無いなと、いやになります。花の写真に関しては、一生懸命撮ったなかで選んで、自分では今のところこれ以上は撮れないと思っているので、だれも足を止めてくれなくてもこれでいいのですが、紅葉の写真は、行き当たりばったり、意図するところが希薄で心残りです。
花に虫や蝶を入れればずっとインパクトが出るのでしょうが、頑固に入れません。今回、例外的に花と蝶の写真を一枚出していますが、これは蝶は風景の一部で、虫撮りの写真ではありません。例外です。
あくまで構図でインパクトを出せるようにならなくては。虫や鳥が入った写真を出そうとしても、何か恥ずかしくて出せません。何で恥ずかしいのかというと、何か自分の方向でないから、偽物なのです。 当方は虫や鳥を知らないのです。深く知ろうと思わないから知らないのですが、知らないことを、知ったような顔をして自然教育園の写真展に出すなんて、とんでもなく恥ずかしいのです。

  ブログには虫でも鳥でも出します。撮っては載せしているうちに、何か納得するアイデアが出てくるのじゃないかと思うからです。



だけど、Sony α7Rの時はこんなリアルな虫が撮れたかな? なにしろ、Sony α7RII + Sony FE90mm macroの組み合わせはディテールを撮るには驚異的ですよ。





ゲンノショウコの花は結構長持ちしますね。ゲンノショウコの花は前回の写真展に出してますが、当方はこの花を結構気に入っているのです。



これは、たまたま虫が止っていたので撮ったのですが、よく見ると、ぼろぼろで、最後の力を振り絞って、しがみついている、悲しい写真でした。写真としてはインパクトあるかもしれません。しかし、こういう写真も展覧会に出したくありません。意味ありげな写真も当方の狙っていることではないのです。





小さな花の曼荼羅模様写真を撮りたいのですが、今の所まったく上手くゆきません。きっとまだいい加減に撮っているからに違いありません。



これは相当な遠距離写真を拡大しているケースです。



葉っぱをとって、拡大してみたら、葉脈がビッチリ見えるではないですか。こんな写真は以前の機材では撮れなかったですよ。


タイワンホトトギス 



平凡な写真しか撮れません。どうやったら虫や鳥をいれないで、インパクトのある写真がとれるのだろうかと、ブツブツいいながら、教育園をぐるぐる回っています。いつも同じ視点でしか見てないじゃないか、虫が付いていれば撮る、2種の花を一画面に入れてアクセントにしようとする、一種類の花の列があると撮る、そればかりじゃないですか。気をいれて撮る時ですら、レンズを替えたり、光を変えたりしているだけじゃないか、なにかバカだよね、脳無しだよ。



枯れたアザミも面白いのだが、陳腐な話だ。



また虫を撮ってしまった。 



借り物の方向だから、このような写真は中途半端で、恥ずかしくてとても出せない。

このへんからブチ切れた。おれの脳みそは写真クラブにおかされている。クラブの流れに流されて、当方は何をしようとしているかを忘れている。展示会用の写真を撮ろうと考えてはイカンのだ。それはあくまでバイプロダクトで、自然の中から色と形を見つけ出さなければいけないのだ。同じところをグルグル歩いているのだが、だいぶ見えてくるものが違ってきた。









今日はここで時間切れ。 

こういう写真ばかり出していると、誰も、ブログを見てくれなくなるのが辛いところ。  プロは枯れた花の写真でも人を惹きつけることができるのだから、この方向でも、魅力的にするなにか手はあるはず。あくまで、自分の方向で、進まなければ、納得できるものは生まれない。

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ピアニッシモからフォルテ ~その5 ニキ・ド・サンファルと岡本太郎-2~

2015-10-13 17:26:14 | 日記
ピアニッシモからフォルテ ~その5 ニキ・ド・サンファルと岡本太郎-2~

昨日のリベンジで、今日, 2015-10-11は青山の岡本太郎記念館に行く。なんとここは撮影全くOK。当然でしょう、撮影禁止というのは、自信の無いアーティストのいうタワゴト。さすが青山というか、岡本太郎というかとにかく粋である。 川崎の岡本太郎美術館で買えなかったグッズも買えたし、とんでもなく多くの撮影が出来た。ただ不思議なのは、記念館では美術館で売っていた岡本太郎作品の載った本が一冊も見当たらないこと(見落としたのかな?)。岡本太郎著の本の数々と、おもしろグッズはいっぱい売っているのに。


二階から撮った記念館入口。


入口をはいると、すぐ圧倒的迫力が演出されている。


その横には、岡本太郎の面白グッズと数々の著作。







一階のリビングだろうか、面白立体が所せましと飾られている。





その奥に岡本太郎の仕事場がある。







当方が、今もっとも欲しているのは、このようなアートの為の仕事空間。当家にはどうしてもこのような空間を作り出すことができない。それでも必死で、数畳の空間を生み出そうと、過去の保存品をクロゼットや物置から捨てまくっている。一つ一つ青春の思いをつめたレコードの山もとうとう捨てるはめとなった。





岡本太郎の放埓な色彩の絵から、なぜモノトーンの立体になってしまうのか? 相変わらず違和感がつきまとう。



色のついた立体もあるが、彼の絵からみれば、ほんの付け足しに見える。















彼の原点はピカソにあると見た。岡本太郎著、青春ピカソという本を買ってみた。そこに原点があると思ってである。読んだらまた何か感想を書けるかもしれない。



<殺すな>とは、アメリカの仕掛けたベトナム戦争に反対して、岡本太郎が書いた言葉なのである。当時の共産主義の拡大にアメリカが対抗して、朝鮮戦争やベトナム戦争を引き起こし、日本を防衛の為という名目で、安保条約と自衛隊の結成を強要しこれが、平和主義の逆行として大きな反抗運動を引き起こした。日本内に共産主義者排除、レッドパージが横行して、そういう激動の中で、岡本太郎は黙らずに動いたのだ。現在も中国、北朝鮮の動きに対応するという名目で、集団的自衛権の行使に踏み切った。当時を知る者にとって、現在の動きはその時とちっとも変っていない、アメリカの強要と写る。いいか悪いか、当方の考えはすでにブログで述べた。



庭にでると、岡本太郎の立体がひしめいている。これが当方の知りたかったこと。ところがここでも、岡本太郎の立体はモノトーンが基調なのである。













岡本太郎記念館の入り口にはカフェがあり、岡本太郎美術館のカフェで食べられなかったリベンジにここで食べようとおもったのだが、値段があまりにリーズナブルで無かったので、ここを出て、Smokyでソーセージを食べることにした。結果は正解、とってもリーズナブルで美味しかった。30年前に骨董通りはLive JAZZ, Blue Noteに月一くらいで通っていた思い出の通りである。そのときからSmokyは有名で、まだ健在なのはとっても嬉しい。肝心のBlue Noteは姿が見えない、つぶれたのか、移ったのか? 調べたら、だいぶ昔に骨董通り沿いから丁度岡本太郎記念館のそばへ移ったようである。10、11月のスケジュールをみると、キャンディ・ダルファー(sax)、 デヴィッド・サンボーン(sax)、 ジョン・マクラフリン(g)、 ケイコ・リー (vo,p)、 大西順子(p) 受けそうなおなじみのメンバーがぞろぞろと並んでいる。なにも変わっていない。あれから30年たっているのだから、みんなじいいさん、ばーさんになって、ちゃんと演奏できるのだろうか? なんだか、どーーと懐かしく、岡本太郎以上にむかしの元気を呼び起こしてくれた。

さて、当方は何を求めて動いているのでしょうか?
陶芸では、形を追求するなら、色は捨てろ、色を追求するなら形を捨てろといわれます。実際に、形を追求する器はモノトーンがほとんど。色を追求する器は九谷焼や伊万里焼のように絵柄が中心にわかれています。彫刻の世界でもほとんどモノトーン。画家が立体を作った場合、ピカソ、ミロあたりが色々、色が付いた立体を作っていた記憶がある。そうそうそう、ガウディも色つき立体が好きである。


アントニ・ガウディ、グエル公園


パブロ・ピカソ


パブロ・ピカソ


パブロ・ピカソ

ピカソの器は色彩豊かであるが、西洋の器は色彩豊かなものが多く、ピカソが特別な手法を使ったとは思えない。

しかし、今NYでピカソの彫刻150点による展覧会が開かれているようであるが、その風景をみるに、おどろいたことにほとんどがモノトーンなのである。



素人から発展したニキ・ド・サンファル。そして、岡本太郎はどうなんだ? 今回の調査で岡本太郎は意外にも立体のほとんどがモノトーン。これはガッカリだ。岡本太郎がつくった陶器、斬新ではあるが茶器の色は伝統的陶芸の範疇を出ない。



大きなことを言う岡本太郎に、人々は結構、その通りと思っているに違いない。 当方の調査では、彼の尊敬すべきところは、悪く言えば、これほどショウも無い立体をいかにもすごいように見せて、日本中をそう思わせたというその根性、良く言えば、既存概念を打ち破ろうとする命がけのエネルギーそのものにある。絵のほうは立体よりはまだましだが、その根本は<ピカソの衝撃>の延長線上にあり、そこから突き抜けたとは思えない。 
立体に色を付なかったのは、単に技術的問題なのか?ピカソですらモノトーンだから、俺もモノトーンでいいのだといっているのか? 石膏型から何体も複製できるからから、ビジネス上、色を付けない方が有利というようなよこしまなことを岡本太郎が考えるはずはないし。

ニキ・ド・サンファルがいとも簡単に立体にべたべたと色を付けられたのは、彫刻の本体がポリエステルだったから、ラッカーや油性パステルでべったりと色を塗れたからにすぎないのか? 岡本太郎がコンクリ―彫刻や陶芸茶碗に自由に色をぬるまで、色つき彫刻にこだわらなかったか、こだわれなかったか?   

実際当方も、焼き物の色をニキ・ド・サンファルのようにべたべたにするには、それなりにえらいたいへんで、陶芸の先生はだれも積極的に教えてくれない。陶芸を教えてくれる先生はおしなべてそのべたべたを心底毛嫌いしているから、日本の陶芸界ではやりにくい(べたべた用うわぐすりというのがあるのだから、きっとそのべたべたに挑戦している陶芸家はいるのだろうが、周囲には見当たらない)。この前作った花器を出来るだけ真紅のべたべたトーンにしたいといったら、周囲から猛反対にあった。結局タイル用赤顔料で、べたべたにした。



ニキ・ド・サンファルも岡本太郎も尊敬すべきは当時の常識に従わずに己の心に従ってやり通したことにある。やり通したということは、それを世の中に認めさせたとうことであり、それが重要だ。勝手にやることは誰でもできるが、それを世に認めさせるということが大変なことなのだ。
己の心に従ってやり通すということは誰でもできるといったが、それもそう簡単ではない。当方ですら、陶芸でも写真でも、周囲と違ったことをやることは、自分から湧き出でるものを持っているという基本とそれをやり続けるにとんでもないエネルギーが必要なことが分かる。ニキ・ド・サンファルや岡本太郎を見に来る若い方はそれを解ってか無意識か知らないが、そのエネギーに引き寄せられるのだ。岡本太郎美術館にせよ記念館にせよ、全く意外にも若い人がいっぱい訪れて活気に満ちているのである。このどうしようもない下手くそな岡本太郎、おそるべし。
岡本太郎のお母さんの岡本かの子も太朗は上手くないと言っているからそういってもいいだろう。今日の日曜美術館で、日本に最初に洋画をとりこんだのは五姓田義松であるが、この人物は忘れ去られているという話があった。江戸から明治に入った時期の義松はものすごく上手い絵を描く腕を持ち、洋画を日本に持ち込んで、20才台でいきなり一等賞をとって、フランスにわたっても西洋人に伍して賞をとったが、これをピークにその後、全く売れずにそのまま一生を終えたという。時代の変化に乗れなかった職人気質が災いしたと解説していたが、上手いということが人の心を捉えると同義語ではない例になってしまった。
これも日曜美術館で紹介していた、童謡のまど・みちお(象さん、象さんお鼻が長いのね---の童謡作家)の書いた絵はまったく我流で、一般的にいえば上手くは無い絵なのであるが、不思議に人の心をとらえる。作者が何を思っているか、静かに、しかし痛烈に伝わってくるのです。さっそく超レアものですが、画集を買ってしまいました。

さて、久保田一竹の辻が花から始まって、まど・みちおの絵、ニキ・ド・サンファルの立体、岡本太郎の立体と立て続けに、陶芸のアイデアを生みそうな題材をかき集めて、当方はこれからどうするのだ。絵画と焼き物の融合を目指して、陶板から絵画への平面的融合路線と、立体から色彩立体による絵画への立体的融合路線と2つの道を追っている。いずれはこの両者はさらに融合して、平面と立体、焼き物と色彩はみな一堂に会するのだ。

京都でベンチャーをやっていた時は決して過去の決断を悔やむことはしないと思っていた。過去になにを決断しようが、過去の決断の正否をうんぬんすることは何も生まない、やるべきことは前を向いて、次の手を打って行くことをやり通すことであった。ここでは言えない、ある事情から、このベンチャーをたたんで、もう4年目に入る。その時のエネルギーがどこいってしまったのだろうか。あっという間に、ふぬけた老人になってしまった。 しかしながら、そのベンチャーをたたんだ時決めたことをふぬけであろうがなかろうがかまわずに進めている。 LifeSeq㈱を一人で動かしてでも、<Micro Arrayの解釈>が世のためになると信じて、これを実証しようとすることと、サイエンスビジネスからアートビジネスに移行するということだ。
何かを表現するに、色も立体も使えるものは皆使えと思う、それができないのは、伝統に安住しているからか、その双方を扱う能力が無いに過ぎないと思う。大きなことを言う岡本太郎にしても、出来ていないじゃないか。といって、彼を軽んじるつもりは全くない。だれも人生は精一杯やっている過程に過ぎないのである。

自分で、自分に限界を作る必要は無い。あと20年生きるとすると、彼らの45才である。そのころには彼らは世に知られた作品を残している。当方だってできないことは無い。それまで生きないとしたら、それはそれでいいじゃないか。
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ピアニッシモからフォルテ ~その5 ニキ・ド・サンファルと岡本太郎-1~

2015-10-12 21:08:59 | 日記
ピアニッシモからフォルテ ~その5 ニキ・ド・サンファルと岡本太郎-1~

2015-10-9, 六本木の国立新美術館、ニキ・ド・サンファル展に行く。
ニキ・ド・サンファル(1930-2002フランス)。<時代と向き合ったアーティスト、その軌跡にせまる。パリで60万人が熱狂! ニキ旋風、日本上陸>とチラシに書いてあります。
とにかく、彼女の作品を見て見ましょう。

全面撮影禁止ですが、特定の2か所だけ撮影が許可されています。この配慮は素晴らしい。
何でも禁止の世界より、はるかにセンスがいい。


日本の仏像を見て、その印象から作った作品。ブッダ







ここまでは当方の撮影。ニキ・ド・サンファルがいかなる作品を作ったかをお知らせするために、以下ネットからとりまくるのと、 展覧会カタログから少し拝借。







この辺は、さずがな才能を感じます。







レリーフもあって、とっても参考になる。この下のレリーフはごく初期の作品で、入口に飾ってある最初の作品。手法的に当方の手の届く範囲にあるので、とっても印象が強かった。


この器もとっても参考になる。


イタリアのトスカーナにニキが24年かけて作った、理想郷。タロット・ガーデン
ガウディ―・グルエ公園の現代版のようである。

















ニキ・ド・サンファルは銃で絵具の缶を射抜き、こぼれる絵具をレリーフに流して作成する手法を使って、当時の前衛集団の中の唯一の女性としてデビューしたのだ。いかにもフランスらしい出来事である。岡本太郎もフランスでピカソにガツンと食らわされるのである。

まったくのド素人が、20才過ぎてから絵の世界に入り、どのように世に知られるアーティストとなったか、こたごた書くのは面倒だ。ニキ・ド・サンファルに関して、世間がごちゃごちゃいっていることはどうでもいいし、当人が何を言っているかもどうでもいい。当方はただ、立体に色をつけるとどうなるかだけが知りたいのである。


国立新美術館。




この写真は、Sony α7RはZeissの広角レンズならOKと書いたことが誤りであったことを示す為に載せました。 Zeiss Distagon 18mm ZFならおおむねOKですが、Zeiss Distagon 18mm ZMではこの通り、色にじみが激しい。しかし、Sony α7RIIならOKということは間違いありません。

ここまではSony α7R+Zeiss Distagon 18mm ZM or Leitz Tele-Elmar 135mm、岡本太郎美術館はSony α7RII + Zeiss Disatagon 21mm, 岡本太郎記念館はSony α7RII + Zeiss Disatagon18mm ZMでの撮影です。

つぎは、川崎、生田緑地の岡本太郎美術館。



メタセコイアの林を抜けて、岡本太郎美術館に行きつく。



内部は全面撮影禁止だが、ここも一か所だけ撮影が許可されている。















よく見るとレリーフや、壁飾りのような平面的立体物にはべったり調の色付けがされている。



しかし、周囲から見られるような3次元的立体造形はモノトーンが基調である。これは意図的にモノトーンにしたのか、技術的に色が付けられなかったのか? 立体作品がべったり色とモノトーンに大きく分かれるところが謎である。
ニキ・ド・サンファルの作品集には何でそれを作ったかを細かく記してある。ニキ・ド・サンファルでは塗装はビニール塗料、ポリウレタン塗料、オイルパステル、アクリル絵具、から始まって、金箔、ステンドグラス、石まではめ込む、基本材質もポリエステルを基盤に金網、石膏、セラミック、毛糸、布、板、金属土台、種々の小物、なんでもござれで使う。素材がポリエステルだから、色付けはペンキ塗りみたいなもんで、自由自在と思われる。
一方、岡本太郎の<立体にいどむ>という作品集を買ったが、小難しい解説がついているが、何で作られているか明確に記載が無い。この記載から想像するに、土を焼く、陶板作品と石膏原型からコンクリ―やブロンズへ転換するスタイルがあるようだ、前者はべったり系のセラミック顔料を用いているが、後者はモノトーンが中心となっているのではないかと思うのである。下図の都庁に作られた大陶板はかなり岡本太郎の絵画に近い色付けがされている。



しかし、こんなことは当方も作っているから、どうなるかは分かっているので、当方の知りたいことは、三次元立体に色つけするとどうなるかなのである。この点、岡本太郎はいっこうにヒントを与えてくれない。

もともとギリシャ彫刻に彩色が施されおり、大英博物館でわざわざ彩色を削り落とす作業が行われていたという話すらあるそうな。日本の仏像も、もともと彩色されていた。現代人の頭には、モノトーンの彫刻がすりこまれていて、ギリシャ彫刻や仏像にCGで彩色しても、反発をかうだけである。しかし、充分な芸術性をもって彩色された彫刻でも人に訴かけることは不可能であるとは誰も言えないでしょう。すりこまれた概念を打ち破るのは容易なことではない。ニキ・ド・サンファルは勝手にやっちゃっている。



さて、今日は財布にお金を入れ忘れるというドジをしてしまって、お金が無いといかんともしがたい。この美術館のショップはクレジットカードが使えないといわれて、何にも買えないで頭に来る。美術館のレストランでメニューを見せろといったら、席に着いたらメニューを持ってきますと言う。メニューを見て、金が数百円しかないから、注文できませんというのもにくたらしい、また頭にきて、それなら結構とレストランを出る。なんという田舎。ほとんど収穫がないままに、美術館を後にしたのである。

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ピアニッシモからフォルテ ~その4 バラ編 ~

2015-10-11 15:42:05 | 日記
ピアニッシモからフォルテ ~その4 バラ編 ~

2015-10-10
ピアニッシモからフォルテの流れてとして、もう一度バラを探求してみようと生田緑地のバラ苑に来てみました。
1)午前中晴れの予報なのにちっとも日がささない。花は曇りに撮れと言うけれど、当方は晴れが好き。2)生田緑地には初めて来たが、そのバラ苑の印象は京都府立植物園のバラ苑の1/10以下のインパクト。ここはボランティアで運営されているバラ苑ということで、素人さんの庭師集団なのでしょうか? 生田緑地のボランティアさんは、ぜひ京都の庭師の心髄をさぐりに京都府立植物園のバラ苑を訪ねることをお勧めします。3)実を言うと、バラは陶芸で題材として一回も使ったことがありません。既存概念の陳腐さを突き破るアイデアを思いつかないのです。4)ダリアで疲れて、この大きめの花にはちょっと飽食気味です。ということで、今日はとんでもなくテンションが低い。三脚も持ってきていないことでもわかります。ピアニッシモからフォルテで無いじゃないかと言われてしょうがない。でも今日の本当の目的は、生田緑地にある岡本太郎美術館を訪ねることなのです。
言い訳はこれくらいにして、それでも何とかエネルギーをかき集めて、面白そうな絵をねじりだしてみます。

そうそう、なんで岡本太郎なのかという話は後でじっくり書きましょう。昨日はニキ・ド・サンファル展にいって、今日は岡本太郎美術館、実はこの日は思ったような収穫が無かったので、明日はリベンジとして地元青山の岡本太郎記念館に行く予定。こっちが、ピアニッシモからフォルテの本命で、えらくエネルギーを注いでいるのです。

今日のレンズはダリアと同じ、Sony FE 90mm macro, Zeiss Distagon 21mm ZF, フォクトレンダーNokton 50mm F1.5の3本、カメラはSony α7RII とSony α7Rの2台。面白そうな絵から載せてゆくと、大口径レンズ、フォクトレンダーNokton 50mm F1.5のボケボケ写真が一番面白い。

まずは、Sony α7RII + フォクトレンダーNokton 50mm F1.5















次にSony α7RII +Sony FE 90mm macroできっちり写真。なお、今日はどのレンズも全部手持ちMFです。よって、構図中心。













次にSony α7RII + Zeiss Distagon 21mm ZF







次にカメラを代えて、
Sony α7R + Zeiss Distagon 21mm ZF







曇りモードはいやだいやだ、とくにZeissは光がないとどうしようもない。Zeiss Distagon 18mm ZFは男性的、Zeiss Distagon 21mm ZFは女性的と表現している方がいましたが、そうかもしれない。Zeiss Distagon 18mm ZF の暴れん坊的雰囲気よりZeiss Distagon 21mm ZFの印象は確かにふんわりとマイルドになる。





大きい花に疲れて、道端の小さい花を撮る。

ニキ・ド・サンファル、岡本太郎は明日岡本太郎記念館にいってから、まとめて書きましょう。こちらはうんと気をいれてますから、お楽しみに。
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