小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

コロナ対策 2020-4-6

2020-04-06 12:54:35 | 日記
コロナ対策 2020-4-6
最近、髪の毛がのびてうるさくてしょうがない。緊急事態宣言が出る前に床屋に行こうとかどうしようかかなり迷った。朝のモーニングショウを見ているうちに、以下の見解に達した。
結論として、床屋に行かないことにした。あと数か月床屋に行かないと、ものすごいことになることを覚悟しなければならない。


最近のコロナ事情を最もうまく説明するのは以下の図と思われる。
事情というのは
1、日本は他国に比して感染者数が異常に少ない。
2、日本のPCR検査数は他国に比して異常に少ない。
3、コロナ死亡者数を見ればそんなに大きく増えていないから<見えないオーバーシュート>はまだ生じていないと思われる
4、最近若者の感染者数が増加している
5、PCR測定は、医師の判断+(高齢者、基礎疾患がある人、海外帰国者、クラスター関連者)に実質絞っている。



若者の事情と、年寄りの事情を分けて考える必要がある。
1、死亡者、重症者、軽症者いずれも若者感染者における比率は低い。つまり若者無症状者の比率が高い。若者の死亡は少ないので、全体としての死亡率増加がないことは見えないオーバーシュートの存在を否定する理由にならない。
2、症状のある者でも若者はPCR検査されないケースが多い。つまり若者軽症者および無症状者はPCR検査における感染者としてカウントされないケースが多数である可能性が高い。よって、PCR検査により顕在化する感染者数の増加率はオーバーシュートの存在を否定できない。
3、この制限されたPCR検査体制を越えて若者の感染者が増えていることは、若者の感染者母集団が大きく増加しているということである。若者が規制を守らないから感染者が増えると解釈することを否定するわけでないが、若者に行動規制を要求する為の一方的解釈である。このような客観的でない都合のよい解釈ばかりをニュースで流すことは危険である。
4、以下、当方の見解である。
感染源を追えない感染者がふえている(あたりまえである)。若者の多くがいかに傍若無人に行動しているかは当方自体が体験上感じている。若者以外も高齢者、高学歴者、高ステータス者(政治家もふくめて)のなかには現状を理解出来ていない方がいかに多いかも当方自体が体験で感じている。しかしこちらはあまり動かない。
以上を総合的に考えて、
東京では、若者のオーバーシュートが存在していることはほぼ間違いないと思われる。そのぶん市中感染が増えることになり、それはPCR測定による感染者数の増加として捉えられるから、現状の東京の感染者数増加状況を見ると、少なくとも2週間前は本格的オーバーシュートになっていない。しかし、現状の東京では市中に数万人の感染者が動き回っていると考えるのが妥当と思われる。
先日の一週間前の当方のブログでは東京は市中に数千人程度の感染者が動き回っていると書いたが、現状では数万人程度の感染者が動き回っていると推測する。

明日、緊急事態宣言は当然である。
当方が最も重要と思うのは<医療崩壊の防止>のみである。この目的にそってやらねばならぬことを全て即急に行動せねばならない。経済対策も当然ここに含まれる。

明日の緊急事態宣言が間に合って、効果があることを祈るが、当方は全ての人がコロナに感染することを防止しようとすることはハナから考えていない。妥当な医療を受けられないでヒトが死ぬことだけは防止したいのである。

全員が感染する可能性の中で全ての人が妥当な医療を受けられる状態にするにはどうしたらいいかの当方のアイデアは次の機会に述べる。

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Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その5 九谷焼―2

2020-04-04 17:04:13 | 旅行
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その5 九谷焼―2

2020-2-6
九谷焼2日目です。能登島ガラス美術館をたずねてから、金沢にもどり、再び九谷焼探検に挑戦しました。能登島ガラス美術館の話は次回です。
まずは、金沢百番街にある九谷焼諸江屋さんをたずねました。創業文久二年、金沢の老舗。





店のご主人(大旦那かな?)と話しているうちに、だんだん調子に乗ってきて、店の隣にある特別なショールーム、ご主人の自慢のお宝を置いてある部屋に案内してくれました。わざわざカギを開けて案内してくれました。

以下は、ご主人のお気に入りの大家の作と新人の作です。いろいろ説明していただいたうえに、お願いして、作家さんの名前までメモしてもらいました。ご主人は、九谷焼は過去に真実があり、最近の作はやたら派手、きらびやかになって受け入れられない。過去の九谷焼の真実を知ったところから、新しい九谷焼が始まるのだ、そういう新人が生まれているとおしゃっていました。


硲 伊之助 1895年~1977年 東京生まれ。アンリ・マテスに師事し、本格的に油絵を描くが、晩年、古九谷と出会い、日本の色彩絵画の系譜に連なる九谷色絵磁器を制作する。


硲 伊之助


米田和1949年~ 岡山県生まれ

数々の賞を受賞している現役陶芸家。今年の第8回菊池ビエンナーレでも入選しています。身近な自然を温かな眼差しでとらえて描く九谷作家さん。この絵はクレーみたいだから撮影したのだけれど、最近は黒釉で象徴的に表現し、九谷焼に新しい"白と黒の世界″を拓く。とっても人気の高い女流作家さん。娘さんも陶芸家。

考えてみたら、古典的九谷上絵具には黒は無いのです。よく見てください、他の九谷焼には黒っぽい色はあっても黒は無いのです。当方も九谷上絵具の黒を持っていません。通常、黒は黒呉須といって、下絵具に相当する黒を下塗りとして使うのです。現在は無論、黒上絵具は存在しています。硲 伊之助さんは別で、もと画家さんですから、黒を大胆に使っています。米田和さんは九谷焼で黒を全面に出してきたということは、冒険しているということです。


米田和 黒描鳥花文鉢 ネット情報


松本佐吉(1884~1942)能美郡寺井町に生れ。五彩の色絵を駆使して世にいう「青九谷」の美しさを追求。九谷焼の名窯、松雲堂4代を継ぐ。色絵九谷の本流を貫く。


松本佐吉

こういうモダンな雰囲気の青九谷は好きだな。これはそう高いものではありません。こんなのを部屋において、ばさっと造花を放り込んだら面白い、そうだ自分で作ってしまおう。


北出塔次郎(きたで とうじろう): 1898年~1968年 兵庫県有馬郡三輪村生まれ。現代九谷を確立した巨匠。「模様から模様を作らない」という写生を重んじる富本憲吉氏(人間国宝)の製作態度に、大きく影響を受け、富本氏に師事する。


富本憲吉の影響大ですから北出塔次郎の作と思います。富本憲吉より魅力的といったら怒られるかな?


宮本忠夫(みやもとただお)
1928年~、京都生まれ。石川県無形文化財保持者、独自の図柄を精緻な線描と美しい色絵で見事に描き出す。細密画の極致ともいえる業ゆえ、制作にも相当の日数を要し、一年間でできる作品は十数個で目にする機会は極めて少なく、「幻の九谷」と称される。


? これ魅力的だけれど、誰の作かわかりません。よく見るとこの蝶の描き方はすごいですよ。2枚の羽根の形、羽の裏と表、筋のいれかた、5色くらい使ってグラデーションをかける。このグラデーションはとてもショックなのです。ここに載せた他の九谷焼をみてください。九谷上絵具は盛り上げてのせてゆくもので、水彩絵の具のようにさっと濃淡が付けられないのです(これが、絵画のように描けないネックで悔しい思いをするのです)。よって囲われた領域に一色をのせてゆき、アクセントに一色の濃淡をつけることは多用しますが、複数の色のグラデーションを積極的に使うことははなから頭になかったのです。出来るかどうかわかりませんがやってみましょう。





中荒江 道子


中荒江 道子 1989年~ 福井県あわら市生まれ。京都伝統工芸大学校陶芸科卒。パリパリの新人。 古典的な絵柄と若い感性が同居した、印象的なデザイン。アンティーク品と思われる方も多いほど高い技術に若い感性が宿る。
ご主人は古典を理解するところから本当の九谷焼が始まるのだと言って、この新人に期待を込めていました。 せっかく九谷を買うのだから、一つは古典的な器もいいだろうと思ってこの器を買いました。この器はお酒に合わないのか、何故か手に取る頻度が高くありません。中荒江 道子さんはまだ、心が遊んでいないのかな?


中荒江 道子


中荒江 道子 ネット情報




橋本薫(はしもとかおる)1949年~  九谷の古典的な要素を踏襲しつつも、現代の生活に馴染む優しいタッチの絵付け。ベテランですが、自然の優しさを感じる、繊細な女性らしい感性が魅了的。 ご主人はこのような古典的要素を持つ作家さんが好きなようです。当方はこの器を買おうか、中荒江 道子さんの器を買おうか迷ったのですが、1万円は出せませんでした。しかし、この作家さんは買うべきでした。


橋本薫  ネット情報  自然の捉え方がとてもいいです。


ご主人はこの他、新しい方で河島万璃(かわしままり)さんを推薦していましたが、作品の写真が見当たりません。

諸江屋さんは楽しいひと時でした。

次に、香林坊商店街の九谷焼 長寿堂に向かいました。ネット情報ではなにか新しい動きが発見できるお店とみえたのです。しかし、写真撮影禁止、お店の方に九谷焼の新しい動きを教えてくださいというと、店の女性はなにかめんどくさいお客だなという感じで、あしらわれたので、何も買わずに早々に退散。

これまでか、と九谷焼探検はこれで打ち切り。

炙りノドクロ握りに魅かれて金沢駅ビルのお寿司屋さんに入りました。カウンターに座ると、隣の方は中国語で次から次へと注文しています。いまさら逃げることもできません。帰り際にお店の方が、どこから来たのかと問うたところ、台湾ですという返事でした。本当か否かは不明。そりゃ武漢とはいいませんよね。この時からすでに1か月以上たっていますから、この時のコロナ感染は無かったようですが、コロナ感染はロシアン・ルーレットであることを強く実感したのです。

金沢は新幹線ができてとても大きく変貌しています。陶芸案内の本に出ていた九谷焼のお店のいくつかは発見できず、その場所には大きなショッピングセンターが出来ています。グッチだルビトンだというブランド店が並んでいます。当方には九谷焼は思ったより苦戦しているような印象を受けました。伝統的工芸品という意味で、インバウンドの需要があり伸びていると思ったのですが、どうも海外に受ける状態になっていない。国内の観光客も理解する人が少ない。九谷焼は必死の転換を図る方向と、あくまで伝統を守らないと九谷焼そのものが消えてしまうという方向が拮抗しています。圧倒的な京焼のブランド力に対抗するために九谷焼は長い長い必死の努力をして今日があるのです、と諸江屋さんのご主人は言います。この確立した世界が再び窮地に立っているでしょうか? 
九谷焼というのは焼き物の中でとても特殊な存在なのです。当方がなぜ上絵を使っているかというと、陶芸の中で、最も絵画的だからです。陶芸にたずさわるプロもアマも上絵を使う人は決して多くない。陶芸の本質から見ると九谷焼は異端なのです。九谷焼はこのレポートの最初に設定した課題の<伝統工芸とアート>の対比の狭間にあるのです。
金沢の九谷焼のお店を5軒訪ねました。内2軒は撮影禁止、あいそない対応。3軒は撮影ウェルカム、楽しい会話とはっきりと2分されました。これが、上記2方向の分断とほぼ一致します。さて、九谷焼はこれからどうなるのでしょうか? また最後に議論しましょう。

次回から2回、ガラス工芸の展示会に関してのレポートです。


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Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その4 九谷焼―1

2020-04-03 22:51:31 | 写真日記
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その4 九谷焼―1
2020-2-05
越前陶芸村を後にし、武生から金沢へ。特急を使ったので、金沢に到着してもまだ十分活動の時間がありました。金沢も雪がちらついています。

まず、金沢21世紀近代美術館にはいりましたが、若い日本人とアジア系の外人でごったがえしており、新型コロナウイルスが怖くて逃げだしました。地続きで、すぐ近くの北山堂に入ります。地の利を得た立派なお店です。



立派なお店なので、気後れしますが、景気づけにまずは一発買い物をして、それからお店の方に写真撮影を交渉する作戦にでました。



4000円くらいが最低です、赤絵に魅かれて小さな酒杯を買いました。よく見ると塗りむらがあります。自分で上絵を使う時はこの塗りむらが気になるので、プロの上絵はどうかな、と見てしまうのです。九谷焼は絵具の性格からして、塗りむらがでることが避けられません。当方は九谷上絵でこんなに細かい絵がどうしても描けません。こんな細い線がどうやったら描けるようになるのだろうとこの細かい絵柄をのぞき込みながらお酒を飲んでいます。

買い物をしてからは、強気になってお店の方に撮影交渉。意外にすんなりとOKをいただきました。2階の有名な方のギャラリーも撮影どうぞ、どうぞという感じです。 飾ってある作品の数は膨大です。当方が興味を持ったものだけ載せます。



とにかく赤に魅かれます。陶芸では赤色を思ったように出すことが一番難しい。赤い、細かいというだけで当方は憧れるのです。 青九谷もいいし、九谷赤絵もいい。



これは赤をうまく使った現代的作品とおもいます。


吉田幸央
これらは、九谷の特徴を生かした赤と金を使った最近の絵柄でしょう。


吉田幸央

吉田幸央(よしたゆきお)1960年~ 石川県小松市生まれ。金沢美術工芸大を卒、お父さんの吉田美統さんは人間国宝。金彩の技法釉裏金彩」(ゆうりきんさい)が特徴。一度釉薬をかけて焼いたものに、厚さの異なった金箔で模様を作り、再度透明度の高い釉薬(ガラスの釉薬等)をかけて焼き上げるという技術。

伝統の延長線上に現代人の好みに合わせた方向をとる、ある意味典型的な作品と思えます。


川田 稔(カワダ ミノル)1944年生まれ。明治大農卒 石川県九谷工芸高等訓練校卒。
22,720円


川田 稔 ネット情報 77,000円

九谷焼の特徴を生かし、現代にマッチさせた流れを感じます。絵具の塗りむらをむらと感じさせないで、かえって魅力と思わせる。これがなかなかできないのです。当方は素直に自然をテーマにした絵柄が好きです。


山近 泰 (ヤマチカ ヤスシ) 2000年 石川県立九谷焼技術研修所 実務者コース加飾科 卒業  <タタラの形に、九谷焼の五彩色を使って様々な動物を描き、モダン且つ幻想的な世界観を作り上げています。きっかけは、白象の夢を見たことから始まりました。それは、子供のころに見たお寺で行われる花祭りの時の、色きらびやかに飾られた白象の神輿の夢でした。その色彩と象のねり動くさまを原風景に、動物をモチーフに定め製作しています。
 >と述べています。                                     
現代に合わせた九谷焼の新時代を表す若手の作品の良い例と思います。


山近 泰





山近 泰

この九谷焼とガラス工芸をドッキングさせた作品が、あちこちの店で展示されています。まさに当方の追いかける陶芸とガラス工芸のドッキングです。聞くところによれば、特殊な化学反応を利用して、ガラスと陶器を張り付けているとのこと、詳細は秘密だそうです(特許は取ってないとのこと)。<九谷和グラス>といって、清峰堂株式会社さんが製造販売しているようです。以下、清峰堂株式会社さんのHPより。
<ふたつの伝統工芸・九谷焼と江戸硝子を融合させた「九谷和グラス」は、それぞれの伝統に恥じぬようひとつひとつを丁寧に手作りしています。九谷焼の脚部分はすべてのデザインを手描きし、江戸硝子のガラス部分も手作りの吹き硝子のみを用いており、またその接合部分はグッドデザイン賞を受賞した技術が活かされています。>


清峰堂株式会社さんのHPより


清峰堂株式会社さんのHPより

陶器とガラスのドッキング<和ガラス>は結構高そうですが、みなさんにとって魅力的でしょうか?  陶器とガラスの異なる印象のドッキングにより生じる違和感をどうやって、相乗的魅力にもってゆくかが当方にとって大きな課題なのです。流れるような印象の流動か、はてまた、ダイナミックな対比か?



三井為吉1935年~ 愛知県に生まれる。金沢美術工芸大学陶磁器科卒。伝統的な古九谷様式の絵付けが特徴的です。大胆な構図と五彩(赤・青・黄・紫・紺青)を用いた華やかな色彩。豪放華麗と称される古九谷の伝統的なスタイルを貫き、現代に生き生きと再現する。
内閣総理大臣表彰など数々の賞を受ける大家。
このような古典的でありながら、モダンな印象を与える作品が落ち着きます。



藤村正美 1954年 金沢美大日本画科卒業 父 藤村豊秋を継いで、伝統の九谷焼きを継承し、その美しさは日本の美を心を感じさせてくれる。平成の九谷焼上絵付けの第一人者、2005年死去。



田中一於 (ナカダカズオ) 1949年、石川県生まれ。人間国宝・三代徳田八十吉に師事。「釉裏銀彩(ゆうりぎんさい)」の技法を確立。「釉裏銀彩」とは、下地を塗って焼成した素地に銀箔を切って膠(にかわ)で貼りつけ、透明釉をかけて焼成する中田さん独自の技法。銀の酸化を防ぎ、その美しい輝きを長く保つ。石川県指定無形文化財認定。

このあたりは、いかにも九谷焼の新しい流れを作った有名作家の作品という感じがします。 





三代徳田八十吉  1933~2009年 人間国宝 
従来の九谷焼のように、絵柄(山水・人物・花鳥風月)ではなく、色の配色のみで作品を仕上げるのが大きな特徴。 色は約70色を使い分け、色の濃淡(グラデーション)のみで作品を仕上げる技法「彩釉(さいゆう)」を生み出す。
四代徳田八十吉 1961年~ 三代徳田八十吉の長女。石川県立九谷焼技術研修所卒。やわらかく優しい色合いで、女性ならではの感性が光りふわっとした癒しを与えるとして、人気を博している。

この三代目、四代目の流れは一つの新しい九谷焼の流れでしょう。

後程出てくる、諸江屋さんのご主人が古典的九谷焼がいいと主張するのは、田中一於や徳田八十吉の流れを良しとしていないのかもしれません。お店によってそれぞれに主張があるようです。 

北山堂を出て、長町武家屋敷に向かいます。
この界隈にいくつかの九谷焼の店があります。
まずは<龍正>。九谷焼だけでなく、金沢の工芸品を若い方向けに集めたかわいいお店です。












また赤絵に魅かれています。



ここで気づいたことは、型で作った器に九谷彩色した作品が多勢を占めるということです。当方の九谷焼のイメージからは程遠い分厚い焼き物です。お店にはかんじのいいお姉さんがいて、色々話を聞くことができました。撮影もOKでした。商品は値段が先に設定され、それに合わせて作家さんが技法、手間を設定するのだそうです。値段が1500円から2500円程度の商品は型で器を作り、厚手にすることにより丈夫な実用品にするということです。
このお店の次に入ったところ、長寿堂では器は型物なのに凝った彩色であるために1万円を超える商品も飾ってありました。これはアリか?? 

話を元に戻して、お店の親切なお姉さんに最近の作家さんを聞きます。その一人、当方が反応したのは以下の方です。



佐藤剛志 1964年 石川県根上町生まれ。九谷焼技術研修所で学ぶ。 

古い九谷焼の細い細かい線というよりは、水墨画風の絵柄を自分でひいた器に描いています。過去の絵柄をまねるのでなく、陶器とは関係なくちゃんとした絵が0から描けるということがこの方の武器であり、当方が自分がこうならなければならないとあがくポイントなのです。



これは当方が購入した佐藤剛志さんの作品で4000円弱でした。ぐい飲みの為に作った器ですから、使い勝手が良く、今回の買い物の中で最もよく使っている器です。

楽しいおしゃべりの後、龍正を出て長町武家屋敷の真ん中にある長寿堂に向かいます。







長寿堂は有名な老舗のようです。ここはいくら頼んでも一切撮影させてくれなかったので、作品を買うこともなかったし、あまり友好的なコメントはできません。ガイドブックをみると、この店はちゃんとした高級品と、値段を抑えるために型物器に専門家が手書きする作品や、絵柄も転写を用いる作品を置いてあることのことです。 たしかに、型物で絵付けだけ手書きで1万円を超すものまで売っていました。ちゃんと作り方を説明して売るなら、これによってリーズナブルに九谷焼を手に入れることが出来るからいいんじゃないのという考え方もあるでしょう。難しいところですね。本物の九谷焼ばかり並べておいても、お客さんは減ってゆき、その内九谷焼自体が消滅してしまう。一方、こんなの九谷焼じゃない偽物だ、九谷焼の自殺だ。これこそ九谷焼の消滅を促進している。という考えもある。

お店の方は愛想無かったので、お店に来ていたお客さんのお嬢さんと話しました。九谷焼をとても気に入っていて、何度も眺めに来るのだと言っていました。確かに、この店は高いものから少し安いものまで、魅力的作品がほどよく勢ぞろいしています。見るだけならいいお店です。お金が余っている方は、ふらっと買えばいいのです。気に入ればそれで幸せです。

なぜかこのお店には温かみを感じることが出来ずに、お店を出ました。外は雪がチラチラと寒い、今日の探検はお終い。



金沢の夜は泊まる金沢駅前アパホテルの中にある、<彩旬>で、金沢おでん、フグの塩麹づけ、天狗舞の純米吟醸で夕食。金沢おでんの定番、車麩、赤まき蒲鉾、バイ貝と大根、卵いずれも結構でした。石川の酒、天狗舞もとてもおいしかった。フグはへしこ風でしょっぱすぎました。

次の日、2020-2-6 能登島ガラス美術館訪問の後に再び九谷焼探求を行いました。

コロナで写真撮影できませんから、このレポートを急いでもしょうがないので、2手に分け、明日、九谷焼―2として載せます。




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