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Brugge Style
「ロマンティック」ってなに?
この夫が撮った写真、とても気に入っている。
英国で8週間目を迎えた隔離生活中も、わたしはよく何かが「ロマンティック」だと言っては喜んでいる。
ロマンティックな出会い
ロマンティックな夕暮れ (黄昏時ってなぜにあんなにロマンティック?)
ロマンティックな顔立ち
ロマンティックな旅(旅はロマンティックと同義語なのである)
ロマンティックな服 (Brock Collectionなど好んで着る)
ロマンティックな音楽 (ロマン派のピアノ! ショパンは、「ヘレニズムの芸術家と呼ばれるべきだ byハイネ」と思うが)
ロマンティックな思い出
ロマンティックな絵画(音楽はロマン派が好きだが、絵画のロマン派はあまり好みではない)
ロマンティックな映画...
この散文的なリストはいくらでも長くなる。まさにこれ自体がロマンティックということなのだが...
ところで、なんとなくわかっているその言葉、いったいどう意味なのだろううか。
高等学校の世界史の授業で教わった(世界史の先生はとても散文的な授業をする人だった)。
ロマン、ロマンティックというのは、恋愛や感情を重視し、個人の独自性や、感受性を賛美する。理性・合理性を重んずるギリシャ・ローマの伝統と古典のカウンターカルチャーだ。
語源としては、ロマンス語(古代ローマ語に対する口語体)で書かれた、知識階級ではない庶民のための長編小説が由来だ、と。
昔からわたしは「由来」や「起源」好きなのでよく覚えている。
なるほど「恋愛や感情を重視し、個人の独自性や感受性を賛美する」のがロマンティック、というのは分かるが、それにしても長らく腑に落ちなかったのである。
恋愛・ロマンティックというのはトートロジーではあるまいか!
なぜ、恋愛結婚はロマンティックなのに、見合い結婚はロマンティックでないというイメージがあるのだろう(個人的には見合い結婚なんて相当ロマンティクだと思うが)。
4つの媒体すべてが紹介しているのがパリとブルージュ、という記事
18世紀後半から19世紀にかけてのロマン主義の発展が、「産業革命」への反動であった(ウィキペディアより)、というところにヒントがあるのではないか。
産業革命は蒸気機関の発達により、人の移動(旅)を促した。
自分の知っているエリアの向こうに、未知の世界が広がっていることに気付かせられた。
また人々のGDPを増加させた。
そうすると膨張する欲望。
賃金労働者が増え、共同体(特に農村共同体)が解体し、「個人」意識を発達させた。
それは良くも悪くも、各人の役割がはっきりしていて固定的だった共同体内に属さなくなった、自由な、それゆえにさまよえる個人の、手が届かないものへの渇望なのだ。
ロマンティックの本質は、だから、対象との埋めることのできない「距離」にあるのではないか。
この対象には当然「ほんとうの自分」「運命の恋人」などという意識も含まれる。
いま、ここ、ではない別の場所、別の時間。
今の自分ではない理想の自分、あるいはもう取り戻せない懐かしい時間、故郷。
失われてしまった文化、未知の文化。
片思い、失恋。
現実にはない夢の世界。
そうだ、永六輔の『遠くへ行きたい』という歌詞など、とてもよい例だろう。
「ロマンティック」という言葉をひとつも出さずに「ロマンティック」を完璧に表現していると思う。
隔離生活で、手が届かないものへの欲望が普段よりも多くなったかも...
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