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クリスマス前




今週は氷点下。


そのかわり天気がいい!
肌が切れそうに冷たい空気と明るい太陽!
おお、待ってたぞ明朗に清潔に澄み切った冬の日!



昨日のことだが、ブラッセルへ向かう車中、ラジオ番組のジングルがクリスマス仕様に変わっていることに気がついた。

また、nespressoではクリスマスらしいフレーバーが販売されており(マロン、美味かった)
あるいは雑貨屋さんdille&camilleの駄菓子屋のような宝の山
香り専門店senteurs d'ailleursの店員さんの天使のような笑顔
bonpointの新生児用の毛糸のお洋服
papeterie anglaiseの金の縁取りのグリーティングカード
tiffanyの飛び出す絵本のようなショウウインドウ
カフェの中のざわめき
建物や車の屋根をうっすら白くしている霜、
頬を薔薇色に染めて歩いている人々!

そして日本人同士がかわす「良いお年を」という素敵な挨拶!!

!!!!!!!

岩戸隠れしていた太陽が復活しただけでこんなにテンションがあがるなんて、すごいですね...

クリスマス「直前」というこの一週間ほどの時期。クリスマスは24日の夜までがいいのである。


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ハンドバッグとビッグバン




あの時代に育った女児がそうであったように、わたしは大変おしゃれな子ども時代を過ごした(なんせ手本たる母親の外出着は七部袖に手袋帽子と、皇室メンバーのような服装だった)。


そして婦人用品の中でも、「ハンドバッグ」に著しい興味を抱いていた。

自分の全世界を入れて持ち運べるバッグ。

これも一種の代償形成なのだろうか?


当時一番の気に入りは、ちょうどティッシュペーパーの箱を縮小したような形のバニティケースで、蓋の裏には鏡がついており、白っぽいツイード張りだった。3歳頃に父から与えられた。
中には銀のロケットペンダントや、母のブローチから落ちたラインストーン、外国製の花柄のナプキンなどを入れていて、常に愛でていたと記憶している。


しかし、あれはいつの間にかどこかへいってしまった。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね... 」
「人間の証明」で引用された有名な詩。覚えていらっしゃる方、多いですよね?ね?



わたしの全世界が入ったハンドバッグ。

あのバッグとともにわたしの幼児的な世界は消えたのか?
それともあのハンドバッグが膨張して(あたかもビッグバンのように)わたしの今住む世界を形成したのか?

そうだとしたら、子どもだった頃のわたしに恥じないような大人になっただろうか?



近頃あのバッグのことをやけに頻繁に思い出すのである。


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シェルタリング・スカイ




最近、gooブログの編集画面には「ブログを開設してから16○○日」という表示が出るようになった。


その表示が、「あなたの人生はあと○○○○日」という啓示と同様、不気味で不毛であると感じるのは、わたしが日々を無為徒食で過ごしているからだろうか。

1600と数百の日々...非凡な人間でなくとも何かをやりとげることができたに違いない時間だ。
それなのにわたくしときたら。



ポール・ボウルズの小説、シェルタリング・スカイの一節を思い出した。


人は自分の死を予知できず、
人生を尽きせぬ泉だと思う。
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、あと何回心に思い浮かべるか?
せいぜい4、5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか?
せいぜい20回だろう。
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。




今年もわずかになりました。


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百人一首




何人かの友人に聞き取りをして判明したのだが、

中学生時代に「百人一首に命をかけた人」というのがどの世代にも必ず一定数存在するようだ。一回り上にも、20歳下にも、相当はまった、と告白なさった方が...


こんな話をするくらいだから、もちろんわたしはその部類だ(笑)。

何がきっかけだったのかは全く覚えていない。

古典の授業中、退屈をまぎらわせるのに見ていた国語便覧(<こういう資料ものは大好物)の裏表紙に印刷されていたから?
家に名人朗読によるカセットテープと、札も何組もあったから?
髪を振り乱して覚えた記憶はないので、おそらく音とリズムでいつの間にか覚えたのであろう。
意味も分からずに百種もの短歌を覚えるなどという荒技、子どもならではである(その後、新古今和歌集に手を出そうとしたが挫折)。


一つ思い出すのは意味も正確に分からないのに、わたしは百首全部にはっきり共感していた、という不思議だ。
「わたしも若い頃はね...」的な話で恐縮だが、古典や歴史の成績がよかったのは、頭脳がというよりも、身体が昔の人や、出来事に、共感しやすい体質(?)だったからではないかと思う。
...そういうのを世間は「妄想」と呼ぶのかもしれない(笑)。


意味が分からなくても覚えられたという経験から、娘にも覚えさせようと目論んでいるのだが、興味を持ってくれるかな...
親から強制されたら、もうそれだけでアウト、という気がする。

ベルギーで百人一首大会、やらないかしら。
それともウチで開催しようかしら。


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conte d'hiver











灰色の雲が割れ、やっといつものコースを散歩する気分になった。

クリスマスの飾り付け。ツリー。(中央の写真は)クリスマス市。

冬物語...はじまりはじまり~。


......



オープンしたてのテアトル梅田で、「冬物語」を含むエリック・ロメールの四季の物語シリーズを見た頃は、40代の女の心情など知る余地もなかった。

が、あれらはやはりうんと若い頃に見ておくもののような気がする。
で、大人になってからもう一度見る、と。

「今わたしたちの腕の中にはないもの」「失われていくもの」、そして「勘違い」はかくも美しいのである。




ブルージュの冬の風景、綺麗だと思う?
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