杉家の菩提寺であるここ興元寺(徳山市一の井手)に杉元相(もとすけ)
親子の墓があります。
杉元相は大内氏の家来で毛利氏に服従し陶氏の後野上庄(現在の徳山)
を支配しました。 元相は、金剛山山麓の地(現在の動物園前)に
館を構え、1574年(天正2年)には 一の井手に菩薩寺として
興元寺(曹洞宗)を建立しました。
しかし、1585年(天正13年)に元相が亡くなると、跡を継いだ嫡子
元宣もその4年後(天正17年)若くして非業の死を遂げた。
(毛利氏に謀られたと言われています)
杉氏はわずかニ十数年で断絶しました。
元相・元宣父子の墓所として2つの宝篋印塔が建っています。
親子の墓があります。
杉元相は大内氏の家来で毛利氏に服従し陶氏の後野上庄(現在の徳山)
を支配しました。 元相は、金剛山山麓の地(現在の動物園前)に
館を構え、1574年(天正2年)には 一の井手に菩薩寺として
興元寺(曹洞宗)を建立しました。
しかし、1585年(天正13年)に元相が亡くなると、跡を継いだ嫡子
元宣もその4年後(天正17年)若くして非業の死を遂げた。
(毛利氏に謀られたと言われています)
杉氏はわずかニ十数年で断絶しました。
元相・元宣父子の墓所として2つの宝篋印塔が建っています。