2代目 南極観測船 しらせの一般公開 in神戸 on 2011-9-25
南極観測船の性能比較表の写真を掲載しています。
宗谷の時代に南極の氷に阻まれて動かれなくなりソ連の砕氷船に救出されたことが
記憶に残っています。
尚、歴代の南極観測船は下記の場所で見れます。
「宗谷」→東京・お台場の船の科学館前に係留。一般公開中。
「ふじ」→名古屋港に係留。一般公開中。
「しらせ(初代)」→2005年の高松寄港時に見学。現在は船橋港に係留。
「SHIRASE」と改名して一般公開中。
搭載ヘリコプター(航空機) CH-101型ヘリコプターの写真も掲載しています。
参考としてUSAの大型輸送ヘリコプターCH-53E Sea Dragonについて
小生のBlogにリンクしておきます。
Shirase (2008 icebreaker)の解説 ByWikipedia
しらせの映像 By You Tube
kumao0526 さんが 2009/06/04 にアップロード
南極観測艦・砕氷艦2代目「しらせ」の一般公開の模様です。
関連Blog
2011-9-24の訪問記 By shin-nagata.infoさん
ペスカトーレ黄の7号軍曹さんのBlog
長崎港 出島岸壁(水辺の森公園)での一般公開 2011年9/17&9/18
2代目しらせの解説 By Wikipedia
日本においては、文部科学省・国立極地研究所などが中心となり、
1956年(昭和31年)より南極観測を行っている。1982年(昭和57年)からは
三代目南極観測船「しらせ」を用いて、南極への南極地域観測隊・物資の
輸送や観測を行ってきた。
先代しらせは20年以上運用され、その老朽化に伴い後継艦が必要とされる
ようになった。2002年(平成14年)に文部科学省が予算請求を行ったが、
折衝により計上されず、2003年(平成15年)にも再度予算請求したが、
財務省原案に盛り込まれなかった。その後、復活折衝によって
艦体設計予算(5億円)、搭載ヘリコプター製造費初年度分(26億円)の
予算計上が認められ、2007年(平成19年)にユニバーサル造船舞鶴事業所で
起工、2008年(平成20年)4月16日に進水式が挙行された。
排水量は当初「20,000t」を予定していたが、予算問題の関係から、
「しらせ(初代)」の「11,500t」より一回り大きな「12,500t」となった。
これにより、輸送可能物資が約100t増加し、1,000tから1,100tになる。
また、搭乗可能人数も増える。
砕氷能力を向上させた独特の曲面形状の艦首や、砕氷補助設備として
船首散水装置など改良された砕氷設備を持つ。南極観測船の搭載ヘリは
「タロとジロの悲劇」以来、出来るだけ高性能なものを配備してきたが、
今回は大型機であるCH-101を2機および小型機のAS355を1機の
計3機搭載する。このため、艦の後部にはヘリコプター甲板を有する。
推進方式は先代しらせ同様ディーゼル・エレクトリック方式を採用、
出力30,000馬力も先代と同じだが、パワーエレクトロニクスの進化を受けて、
電動機はPWMインバータで交流電動機を駆動する方式となった
(艤装を勤めた初代航海長によると「統合電気推進と言える」)。
最新の観測船であるので、貨物積降時間の短縮を図ったコンテナ方式の
荷役システム、砕氷力の向上と船体塗装剥離による海洋汚染の防止を
目的とした喫水付近のステンレス外装、新型ヒーリング(横揺れ防止)装置
といった新機能を持ち、艦内設備も、南極の環境保全のために
廃棄物処理用の設備が充実されており、南極観測基地からの廃棄物
持ち帰りにも期待が持たれている。
なお、予算問題により建造が遅れたため、しらせの退役と本艦の就役まで
の間に1年の間隔が空いている。そのため、2008年(平成20年)の
50次観測隊は、文部科学省がオーストラリアから民間砕氷船
「オーロラ・オーストラリス」をチャーターし、南極に送り込んだ[1]。
奇しくもこの砕氷船は、先代「しらせ」によって、ビセット時に救助されている[2]。
新船しらせは、進水後、最終艤装・試運転等を経て、2009年(平成21年)
5月20日に、ユニバーサル造船舞鶴事業所において、竣工式・艦旗授与式
が挙行され、その後、母港となる横須賀港に向けて出港到着。
2009年11月10日に東京晴海埠頭より出港した、第51次南極観測隊
活動支援から運用されている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の支援に、南極観測から
帰還途上の本艦の輸送力の使用を検討され、シドニーでの積み卸しを
2日に短縮するなどで、当初予定より約1週間早い4月5日に横須賀に
帰港したが、本艦の喫水の深さや東北主要港湾の水中障害物撤去が
未了などから、輸送への投入は見送られている。
南極観測船の性能比較表の写真を掲載しています。
宗谷の時代に南極の氷に阻まれて動かれなくなりソ連の砕氷船に救出されたことが
記憶に残っています。
尚、歴代の南極観測船は下記の場所で見れます。
「宗谷」→東京・お台場の船の科学館前に係留。一般公開中。
「ふじ」→名古屋港に係留。一般公開中。
「しらせ(初代)」→2005年の高松寄港時に見学。現在は船橋港に係留。
「SHIRASE」と改名して一般公開中。
搭載ヘリコプター(航空機) CH-101型ヘリコプターの写真も掲載しています。
参考としてUSAの大型輸送ヘリコプターCH-53E Sea Dragonについて
小生のBlogにリンクしておきます。
Shirase (2008 icebreaker)の解説 ByWikipedia
しらせの映像 By You Tube
kumao0526 さんが 2009/06/04 にアップロード
南極観測艦・砕氷艦2代目「しらせ」の一般公開の模様です。
関連Blog
2011-9-24の訪問記 By shin-nagata.infoさん
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長崎港 出島岸壁(水辺の森公園)での一般公開 2011年9/17&9/18
2代目しらせの解説 By Wikipedia
日本においては、文部科学省・国立極地研究所などが中心となり、
1956年(昭和31年)より南極観測を行っている。1982年(昭和57年)からは
三代目南極観測船「しらせ」を用いて、南極への南極地域観測隊・物資の
輸送や観測を行ってきた。
先代しらせは20年以上運用され、その老朽化に伴い後継艦が必要とされる
ようになった。2002年(平成14年)に文部科学省が予算請求を行ったが、
折衝により計上されず、2003年(平成15年)にも再度予算請求したが、
財務省原案に盛り込まれなかった。その後、復活折衝によって
艦体設計予算(5億円)、搭載ヘリコプター製造費初年度分(26億円)の
予算計上が認められ、2007年(平成19年)にユニバーサル造船舞鶴事業所で
起工、2008年(平成20年)4月16日に進水式が挙行された。
排水量は当初「20,000t」を予定していたが、予算問題の関係から、
「しらせ(初代)」の「11,500t」より一回り大きな「12,500t」となった。
これにより、輸送可能物資が約100t増加し、1,000tから1,100tになる。
また、搭乗可能人数も増える。
砕氷能力を向上させた独特の曲面形状の艦首や、砕氷補助設備として
船首散水装置など改良された砕氷設備を持つ。南極観測船の搭載ヘリは
「タロとジロの悲劇」以来、出来るだけ高性能なものを配備してきたが、
今回は大型機であるCH-101を2機および小型機のAS355を1機の
計3機搭載する。このため、艦の後部にはヘリコプター甲板を有する。
推進方式は先代しらせ同様ディーゼル・エレクトリック方式を採用、
出力30,000馬力も先代と同じだが、パワーエレクトロニクスの進化を受けて、
電動機はPWMインバータで交流電動機を駆動する方式となった
(艤装を勤めた初代航海長によると「統合電気推進と言える」)。
最新の観測船であるので、貨物積降時間の短縮を図ったコンテナ方式の
荷役システム、砕氷力の向上と船体塗装剥離による海洋汚染の防止を
目的とした喫水付近のステンレス外装、新型ヒーリング(横揺れ防止)装置
といった新機能を持ち、艦内設備も、南極の環境保全のために
廃棄物処理用の設備が充実されており、南極観測基地からの廃棄物
持ち帰りにも期待が持たれている。
なお、予算問題により建造が遅れたため、しらせの退役と本艦の就役まで
の間に1年の間隔が空いている。そのため、2008年(平成20年)の
50次観測隊は、文部科学省がオーストラリアから民間砕氷船
「オーロラ・オーストラリス」をチャーターし、南極に送り込んだ[1]。
奇しくもこの砕氷船は、先代「しらせ」によって、ビセット時に救助されている[2]。
新船しらせは、進水後、最終艤装・試運転等を経て、2009年(平成21年)
5月20日に、ユニバーサル造船舞鶴事業所において、竣工式・艦旗授与式
が挙行され、その後、母港となる横須賀港に向けて出港到着。
2009年11月10日に東京晴海埠頭より出港した、第51次南極観測隊
活動支援から運用されている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の支援に、南極観測から
帰還途上の本艦の輸送力の使用を検討され、シドニーでの積み卸しを
2日に短縮するなどで、当初予定より約1週間早い4月5日に横須賀に
帰港したが、本艦の喫水の深さや東北主要港湾の水中障害物撤去が
未了などから、輸送への投入は見送られている。