2020年9月16日、散策中に表題の「網屋吉兵衛顕彰碑」が神戸港新港第1突堤の北側
(川西倉庫冷蔵庫西側)から京橋北詰に移動していたことを見つけ、写真を撮った。
そこで、この顕彰碑についてブログ記事にしてみた。
上の2枚の写真は移設された網屋吉兵衛顕彰碑の近遠景 撮影:2020-9-16
碑文には下記のように書かれています。
「天明5年(1785年)摂津八部郡二ツ茶屋村(現 生田区元町四丁目付近)に
生まれる。七十二才にして安永新田(現新港第一突堤付近)に
船蓼場(ふなたでば)=船底の貝殻や船虫などを焼く場所の建造に着手
苦節三年大願成就す。
文久3年(1863年)時の将軍家茂公が小野浜に上陸の際「この地は港に最適
でございます」と進言す。
後年この船蓼場は勝海舟の幕府海軍操練所となって神戸港の夜明けを迎え
今日の繁栄の基礎となる。明治2年9月九月五日天寿八十五才。
市民の碑 多くの市民の浄財にて建立す」
上の写真は以前の設置位置 撮影:2010-9-29
旧設置の地は住宅、オフィス、文化施設、駐車場などが建設されています。
再び現在の設置場所に戻り写真紹介していきます。
上の写真は新たに設置された現地説明板 撮影:2020-9-16
上の写真は京橋 北詰 撮影:2020-9-16
網屋吉兵衛が建設した船蓼場(ふなたでば)は海軍操練所として利用されました。
神戸海軍操練所の跡地の地図を添付しました(上の写真)
Wikipediaより網屋吉兵衛氏の船蓼場の建設の苦労の様子を引用させていただきます。
「天明5年(1785年)、摂津国八部郡神戸二ツ茶屋村城下町(現在の兵庫県神戸市中央区
元町4丁目に生まれる。生家は呉服商であった。
11歳の時に兵庫三件屋町の荒物商・豊後屋に奉公に出た。奉公中に吉兵衛は
兵庫津の近辺に船蓼場(フナクイムシを駆除するための乾ドックのこと。船据場とも)
の建設を夢見るようになった(当時兵庫津に停泊する船がフナクイムシの駆除を行う
には讃岐国多度津にまで赴く必要があった)。20歳の時に奉公を終えて家業を継いだ
吉兵衛は船蓼場を建設する資金を得るために商売に精を出し、
弘化3年(1846年)に隠居。船蓼場建設に向けて行動を開始した。
吉兵衛は奉公中に建設を夢見て以来、数十年にわたり兵庫津近辺で潮の満ち引き、
海底の深さ、風が吹く方向を調べていた。
吉兵衛の家族は私財を投じての建設計画に反対したが吉兵衛は一切顧みず、
嘉永7年(1854年)9月に大坂谷町代官所の許可を得、神戸村安永新田浜の入江で
工事に着手した。安政2年(1855年)9月に船蓼場は完成した。
しかし工事には巨額の資金を要した上に海運不況に見舞われ、資金繰りに苦しんだ
吉兵衛は安政6年(1859年)、近江国の商人から呉服代金の未払いを理由に
江戸表の寺社奉行に訴えられる事態に見舞われた。
神戸村が仲介に入り、吉兵衛の借金(銀75貫800匁)を村が肩代わりする
代わりに船蓼場を村が引き取り、吉兵衛が10年以内に借金の元利金を返済した
際には船蓼場を返還することになった。吉兵衛は船蓼場の管理人として雇用された。
海軍操練所跡碑文永3年(1863年)、吉兵衛は小野浜において将軍徳川家茂に謁見した。
家茂は吉兵衛に対し小野浜近辺を日米修好通商条約に基づく開港場とすることの
是非について問い、吉兵衛はこの上ない適地であると回答した。
謁見を仲介した勝海舟は船蓼場を神戸海軍操練所に組み込んで活用し、
船蓼場の所有権を取り戻すことができるよう便宜を図ると約束したが、実現しなかった。
慶応3年(1867年)、兵庫港(現在の神戸港)開港に伴い、船蓼場は江戸幕府に
接収され東運上所(税関)の船入場として利用されることになった。
それに伴い10年以内に借金を返還すれば船蓼場を返還するという神戸村との
約束は消滅した。明治2年(1869年)9月5日、吉兵衛は死去した。
晩年は私財を投じて造った船蓼場が接収されたことを嘆き、死の間際も船蓼場の
ことを口にしていたという。」
神戸港の開港までの歴史を年表型式で纏めてみました。
奈良時代(710-784) 行基が大輪田泊を修復
812年 大輪田泊を修復
914年 三善清行大輪田泊の修築を提言
947年 大輪田泊を修築するために「造輪田使」を任命
1173年 平清盛が大輪田泊に兵庫島(経ケ島)を築き日宋貿易を行う
1196年 僧重源が兵庫島(経ケ島)を修復
1338年 興福寺が兵庫南関での関銭の徴収が認められる
1401年 日明貿易の拠点 兵庫島に足利義満が高麗船を見る
1445年 東大寺「兵庫北関入船納帳」で約2.000隻が兵庫津に入船
1596年 慶長の大地震で兵庫津が壊滅的な被害を受ける
1619年(元和5年) 菱垣廻船の大坂・兵庫・江戸の航路開設
1799年 高田屋嘉兵衛がエトロフ航路を開く 北前船の隆盛
1855年 網屋吉兵衛が神戸村に船たで場を設置
1858年 日米修好通商条約 兵庫が開港場に指定
1864年 勝海舟が神戸海軍操練所を開設
1868年 明治元年 兵庫港(神戸港)が開港
網屋吉兵衛について過去に書いたブログにリンクしておきます。