2020年11月15日(日)13:30より表題の「三木合戦 絵解き」のイベントが
あり観覧した。当日は写真や動画の撮影が禁止されており、当日の写真などは
ありませんが2014年4月17日、三木市別所町東這田の法界寺で三木合戦
絵解きを観覧した時の動画と当日配布された資料から三木合戦軍図などを
纏めてみました。
三木合戦軍図絵解き 附 軍図3幅2組は平成17年(2005)8月26日三木市の指定文化財
(無形民俗)に指定されています。
三木合戦軍図は下に添付の3幅からなっています。
上の写真の軍図は左側に配置
上の写真の軍図は中央に配置
上の写真の軍図は右側に配置
「三木合戦絵図」は三幅で構成された絵図で、天保12年(1841)に讃岐在住の別所氏末裔
別所九兵衛長善が画師・中条竹趣に模写させ、三木合戦時の城主・別所長治の菩提寺
である法界寺に奉納されたものです。原図となった三木合戦絵図は別所方として三木城に
籠城した別所氏の家臣の来住安芸守(きしあきのかみ)の子孫によって寄進され、
寛永年間(1624~1644)頃に制作されたものと伝えられており、金箔が貼られた豪華な
ものとのこと。語り手は生田淳仁氏で代々語り手を務められているそうです。
生田淳仁氏は別所家家臣の子孫で現在、三木東中学校の校長を務められています。
絵解きは別所長春の百回忌にあたる1680年頃に始まったとされます。
2014年4月17日の法界寺での三木合戦絵解きでは午後の部の語り手を三木市立自由が丘中学校
教諭(当時)の西森良企氏が務められました。
毎年4月17日、法界寺で催され少なくとも300年以上続いている三木市の伝統行事です。
三木合戦は、天正6年3月29日(1578年5月5日)から天正8年1月17日(1580年2月2日)
にかけて行われた播州三木城をめぐる織田氏と別所氏の攻防戦である。
足かけ2年弱にのぼり5代目当主の別所長治以下約7,500人の将兵が三木城に
籠城して織田方と戦いました。またその関連の一連の戦いを指す。
戦いの経過については下記のブログで纏めています。
三木城跡公園の三木合戦図 on 2015-4-29 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念シンポジウム 「三木合戦を知る」参加録 on 2013-12-7 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
2014年4月17日、法界寺での三木合戦 絵解きのYoutube動画を作成していますので
下に添付しました。
法界寺 三木合戦 絵解き on 2014-4-17 その1
上の動画は約25分の昔言葉での絵解きです。
天正6年(1578)3月、加古川の糟谷館での秀吉と、三木方の別所長治の叔父の
別所山城守・家老三宅肥前守との会見が決裂し、三木城に立ち帰り、一家中で評定し、
毛利方に味方する事を決定するところから絵解きは始まります。
法界寺 三木合戦 絵解き on 2014-4-17 その2
上の動画は本番の三木合戦絵図の絵解きが始まる10時前の時間空きを利用して
法界寺住職の24世 徹空眞昭上人(俗名:北川眞昭)からの解説です。
法界寺 三木合戦 絵解き on 2014-4-17 その3
毎年4月17日、法界寺で行われている「三木合戦」を語り継ぐ「絵解き」。
昔言葉の物語の前に、全体の流れをご説明いただけます。 この動画はその部分のみです。