須磨寺境内の蓮生院に隣接して貞照寺というお寺があります。
かって貞照寺は一の谷にあり、その立地から近くに住んでいた鈴木商店の大番頭
の金子直吉は貞照寺に十六羅漢石造を寄進しています。
貞照寺は大正8年(1919)に中島貞照という尼僧さんが、徳島県海洋町にある
四国別格霊場第四番「鯖大師本坊(八坂寺)」の御本尊「鯖大師」を勧請し、
「鯖瀬教会」として開かれたお寺で、昭和27年(1952)に真言宗大覚寺派の
「貞照寺」となりました。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災で本堂が全壊。震災以前より須磨寺蓮生院の住職が
貞照寺の住職を兼ねていた縁で貞照寺が須磨寺に移転してきました。
前置きが長くなりましたが2020年11月21日と11月24日に撮った写真で貞照寺に関する
事象を紹介していきます。
上の写真は須磨寺蓮生院の書院を立て直して建立された須磨寺蓮生院貞照寺の遠景
上の3枚の写真は新装なった貞照寺の本堂
元は須磨寺蓮生院の書院が建っており貞照寺はこにに間借りしていた。
本堂の中には御本尊の鯖大師(木像)が祀られています。
弘法大師木像は右手に鯖を一尾さげているので俗に鯖大師の名で呼ばれています。
鯖大師には伝説があり各地に鯖大師と呼ばれる像が存在しています。
上の写真は本堂に掲げられた扁額
上の2枚の写真は須磨寺境内案内図
上の写真は阿波國鯖大師本坊由来図
上の3枚の写真は阿波國鯖大師本坊由来図の拡大版
鯖大師の伝説について詳しく解説されているサイト(徳島県海部郡海南町浅川にある
四国別格二十番霊場第4番 鯖大師本坊の由緒書き)がありましたので、
以下に引用させていただきます。
「1200年程昔のことです。お大師様がお四国をお開きに巡られた折、この地が霊地で
あることを悟り、御修行されました。ある朝通り掛かった馬子に積み荷の塩鯖を乞われ
ましたが、口汚くののしられ、ことわられました。
馬子が馬引坂まできた時、馬が急に苦しみだし、先ほどの坊様がお大師様と気づいた
馬子は鯖を持っておわびし、馬の病気をなおしてくれるように頼みました。
お大師様がお加持水を与えると馬はたちまち元気になり、お大師様は八坂八浜の
法生島で塩鯖をお加持すると生きかえって泳いでいきました。
そこで仏の心を起こした馬子は、この地に庵をたて古今来世まで人々の救いの霊場と
いたしました。鯖を三年絶ってご祈念すると願いごとがかない、病気がなおり、幸福に
なれるといつしか人々に、鯖大師と呼ばれているのです。鯖大師でこの由来により鯖を
三年食べないことにより子宝成就、病気平癒はじめ、あなたのお願いごとが
かなえられます。」
上の写真は本堂前に新たに設置された鯖大師の石像(弘法大師は右手に鯖を持っています)
上の写真は本堂前の鯖大師石像付近から十六羅漢石仏の方面を撮ったものです。
上の写真は須磨寺(福祥寺)の青葉殿の近くにある鯖大師です。2009-3-7撮影。
もともとは貞照寺(神戸市須磨区一ノ谷町2丁目)の本尊にあったものであるが
平成7年(1995)1月17日の、阪神・淡路大震災により、貞照寺は全壊したため、
御本尊の鯖大師と石仏は須磨寺へ移されています。
上の写真は須磨寺一の谷鯖大師貞照寺前の十六羅漢石仏と釈迦如来石仏
上の写真は現地説明板
平成8年(1996)2月に書かれた説明書きをそのまま転記させていただきます。
「この石仏は金子直吉氏が大正8年(1919)9月、須磨一の谷の八海山
貞照寺に寄進されたものですが、平成7年(1995)1月17日の
阪神・淡路大震災による貞照寺本堂全壊のため、当境内地へお移しした
もので、中国明時代の作と伝えられています。
羅漢さま(阿羅漢さま)は、もともと仏道修業の最高段階に進んだ人を
さす敬称で、十六体あることから十六羅漢さまと呼ばれています」
阿羅漢の説明 By Wikipedia
阿羅漢 (あらはん、サンスクリット:arhat अर्हत्アルハット)は、仏教において、
尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。
サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語。
略称して羅漢(らかん)ともいう。漢訳は応供(おうぐ)である。
もとは釈迦の尊称の一つであった。
1)賓度羅跋羅堕闍(ひんどらばらだじゃ)
2)迦諾迦伐蹉(かなかばしゃ)
3)迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだしゃ)
4)蘇頻陀(そびんだ)
5)諾矩羅(なくら)
6)跋陀羅(ばだら)
7)迦理迦(かりか)
8)伐闍羅弗多羅(ばじゃらふつたら)
9)戍博迦(じゅはか)
10)半托迦(はんだか)
11)羅怙羅(らこら)
12)那伽犀那(なかさいな)
13)因掲陀(いんかだ)
14)伐那婆斯(ばなばし)
15)阿氏多(あした)
16)注荼半吒迦(ちゅうだはんだか)
金子直吉氏は慶応2年6月13日(1866年7月24日) 土佐藩の商家の子として生まれ、
昭和19年(1944年)2月27日に没した日本の実業家です。
丁稚奉公から身を起こし、鈴木商店の「大番頭」として大正時代には三井財閥、
三菱財閥をしのぐ規模の企業グループに拡大させ財界のナポレオンともいわれた。
鈴木商店は昭和2年(1927)の金融恐慌で破綻した。鈴木商店の再生に
精力を費やしたが再生は成功しなかった。
上の写真は不動明王像
上の写真は一の谷の貞照寺から移設されたと思われる石仏群 南無大師
上の写真は十三仏の石像
上の写真は十三仏の現地説明板
写真を撮っていませんが納骨堂も建てられています。
最後に須磨寺の紅葉風景を添付して筆を置きます
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