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神戸市立外国人墓地の礼拝堂と掲示されている説明板 on 2024-10-13

2024年10月29日 04時22分58秒 | 神戸情報
2024年10月13日(日)、神戸市立外国人墓地を訪問見学しています。
その時に訪れた礼拝堂と礼拝堂の内部に掲示されていた現地説明板の写真を
撮りましたので紹介します。

まず、礼拝堂の位置を示しておきます。(下の2枚の写真)
上の写真は正門付近に掲示の案内図 公開場所の中に礼拝堂があります。
上の写真は展望室付近に掲示の神戸外国人墓地全体地図の中に描かれた礼拝堂

礼拝堂の内部写真

上の写真は礼拝堂の内部写真。
こちらで15分程度のビデオによる神戸外国人墓地の紹介を視聴できます。
前段はここまでとして本題の礼拝堂の内部に掲示の説明板

礼拝堂の内部に掲示の説明板

1)神戸外国人墓地公開の紹介


2)神戸外国人墓地に眠る著名人


墓地内に埋葬されている方は、近代神戸の黎明期に活躍した技術者や教育者、宗教者など、
世界各国の方、約2900名にのぼります。墓地には宗教別埋葬されています。

3)神戸外国人墓地の歩み




下の文章は私なりに纏めた神戸外国人墓地のあゆみです。
 慶応3年(1867)4月13日(新暦換算1867年5月16日)
  幕府と条約国が取り決め「兵庫港井大坂ニ於テ外国人居留地定ムル取極」
  11条で外国人墓地は「居留地背後の山手」と取り決めた
 慶応3年(1867)12月(旧暦)   
  神戸港開港式に臨席する各国の代表者を乗船運行した外国艦隊乗組員4名が死亡
  山手の外国人墓地は未着手であったので、4名は急ごしらえの「小野浜外国人仮墓地」に埋葬
 慶応4年(1868)1月 
  大阪湾で米国艦隊ベル提督の小型ボートが転覆し提督・副官・下士官兵ら合計
  10名が死亡し「小野浜外国人仮墓地」に埋葬された
 明治32年(1899)5月 
  居留地返還(7月17日)の2ヶ月前に春日野外国人墓地完成
  1868年開港以降外国人墓地の管理は外国人により管理運営されていたが
  居留地返還後は神戸市に管理は移行した。
 昭和12年(1937)再度公園が開設、修法が原外国人墓地の建設工事開始
 昭和16年(1941)修法が原外国人墓地1次工事終了するが太平洋戦争勃発で放置される
 昭和26年(1951)修法が原外国人墓地2次工事終了(12月)
    修法が原外国人墓地に小野浜外国人墓地移転(22ヵ国、666人改葬)
 昭和36年(1961)
    修法が原外国人墓地に春日野外国人墓地移転(40ヵ国、1,406人改葬)


4)神戸外国人墓地関連の年表


今回の神戸市立外国人墓地の見学に先立ってブログを作成していますのでリンクしておきます。






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