CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

海上保安庁大型巡視船 「せっつ」一般公開 見学記 in 神戸港 on 2017-7-22

2017年07月23日 05時33分55秒 | 神戸情報
2017年7月22日、神戸港新港第1突堤で海上保安庁大型巡視船 「せっつ」一般公開
があり見学してきましたので写真紹介します。

7月15日から8月6日まで開催の海フェスタ神戸のイベントです。







上の3枚の写真は神戸港新港第1突堤に停泊中の海上保安庁大型巡視船 「せっつ」


上の写真は「せっつ」の説明パネル

「せっつ」は海上保安庁(JCG)第五管区海上保安本部、神戸海上保安部所属の巡視船です。


「せっつ」の説明の音声が入った動画です。


海上保安庁のマスコットが迎えてくれました。

せっつの基本情報

識別番号:PLH07 PLHはPatrol vessel Large with Helicopterの略でヘリコプター搭載艦
形式:つがる型巡視船、英語: Tsugaru-class patrol vessel
総トン数:約3,100トン 全長:約105メートル 速力:22ノット  定員:49名
建造所:住友重工浦賀造船所 建造年(竣工):昭和59年(1984)9月27日
主要装備:35㎜機関砲1、20㎜機関砲1
公式サイト:http://www.kaiho.mlit.go.jp/05kanku/contents/news/archives/2010/05/post-5.html
搭載ヘリ:シコルスキー式S-76D型 MH918 愛称はしらさぎ 
        15.97m長×4.41m 重量約4トン 速力約285km/h



上の写真はタラップの垂れ幕


上の写真は搭載のヘリコプター

当日は猛暑で熱中症で倒れた見物者もおられ救急車が出動するという事故もあったこともあり
せっつの近くに停泊中のPL型巡視船(救難強化巡視船)の「とさ」(高知海上部所属)の
船内は見学しなかった。

「とさ」は外観写真のみを添付しておきます。(下の2枚の写真)



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海洋気象観測船 啓風丸見学記 on 2017-7-22

2017年07月22日 14時43分35秒 | 神戸情報
海フェスタ神戸2017のイベントの一環として、海洋気象観測船「啓風丸」の一般公開があり
見学させていただきましたので写真紹介します。撮影日:2017-7-22(土)

気象庁の観測船は啓風丸の他に凌風丸があるとのことでした。


上の写真は新港第1突堤東側に停泊中の海洋気象観測船「啓風丸」


上の写真は配布資料より航行中の海洋気象観測船「啓風丸」


上の写真は啓風丸の基本仕様(拡大版)


上の写真は主要な海洋観測システム 配布資料より


上の写真は電気伝導度水温水深計(CTD)の現物展示


上の写真はCTDを海へ投入する瞬間


海洋表面の溶存酸素(DO)とN,Pなどの栄養素の観測に関する説明パネル


上の写真はエルニーニョの観測データの一例


上の写真はトライトンとアトラスブイの監視業務の説明パネル


上の写真は海水表面と大気の二酸化炭素(CO2)データ

経年でCO2が増加していることが判ります。


上の写真は全炭酸分析装置の説明パネル

啓風丸のその他の任務として海底地震観測装置の回収、火山活動の監視なども要請により
行うとうのこと。


最後に気象庁の仕事の概要を説明した資料 (配布されたリーフレットに掲載されていました。)


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奈良市下高畑町 柳堂地蔵尊 on 2017-6-6

2017年07月21日 03時50分45秒 | 奈良情報
2017年6月6日、頭塔から新薬師寺に向かって歩いている時に表題の柳堂地蔵尊を
偶然見つけましたので写真紹介します。

所在地は奈良市下高畑町


上の写真は柳堂地蔵尊の建屋


上の写真は現地の説明板
下記のように書かれています。


柳堂地蔵尊由来

当地蔵尊は当初荒池付近にあった興福寺の別院である龍華樹院に
祀られていた。龍華樹院が中世に廃絶後、下高畑町の北側、現在は
道路となっているあたりに沙門道音房が薬師小堂を再興したことから
道音房薬師。
また東へ通らない奥の行あたりにあった故、億薬師堂と呼ばれた堂の
一角にあった柳の堂に移され、柳堂地蔵尊と称せられていたと言う。
時期は不明であるが奥薬師堂火災の際地蔵尊は救い出され、その後
長らく民家の奥座敷で祀られていたが、明治42年に下高畑町内有志
の手により一間三間のお堂が建立され、その後。現在地に昭和42年
(1967)規模を縮小して移され、以来柳堂地蔵尊として下高畑町の
人々の手で大切に守られてきたもので、現在に至るも毎年7月24日
の地蔵盆には町内揚げて地蔵尊をお祀りしている。

地蔵菩薩半跏坐像は木造檜材割矧造
鎌倉時代13世紀の作
着衣形式は鎌倉風ながら、肉どり、細部の彫風に前代の
風を留めるものである。

平成28年(2016)7月24日
下高畑町自治会



上の写真は頭塔から新薬師寺に向かう道(下高畑町)


地蔵尊に関する話題ということで、頭塔の入口があるホテルウェルネス飛鳥路にあった
椿地蔵尊についても写真を添付しておきます。


上の写真は椿地蔵尊(高畑町)


上の写真は椿地蔵尊の現地説明板

説明より、奈良地方では7月24日頃に地蔵盆が行われることも判ります。

日本における地蔵尊(地蔵菩薩)信仰は上の説明版にきさいされているように平安中期
から鎌倉時代に盛んになっています。

日本における地蔵尊信仰についてWikipediaの解説を引用紹介します。

日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、
必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの
救済を欣求するようになった。
姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりと
なり受け救う、代受苦の菩薩とされた。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、
また小僧姿も多い。賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より
仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において
地蔵信仰を集めた。関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われる。
また道祖神(岐の神)と習合した為、日本全国の路傍で石像が数多く祀られた。



上の写真はホテルウェルネス飛鳥路の入口の看板


今回、地蔵尊(地蔵菩薩)自身の写真がないので過去に撮ったものを添付しておきます。


上の写真は神戸再度山、大龍寺の山門の右手の墓の入口にある六地蔵です。(神戸市中央区)


上の写真は舞子延命地蔵(神戸市垂水区)


上の写真は西垂水高尾子安地蔵(神戸市垂水区)


上の写真は高野山女人堂前のお竹地蔵(和歌山県高野町)


上の写真は西光寺(神戸六地蔵 6番霊場)のシンボル、万霊供養大地蔵尊(神戸市西区)


上の写真は六波羅蜜寺のお地蔵様(京都市)


上の写真は長福寺(神戸市兵庫区)の行暮(ゆきくれ)地蔵


上の写真は踊り松地蔵(神戸市東灘区)


上の写真は駒一地蔵尊と徳本上人六字妙号石(神戸市長田区)


上の写真は須磨寺塔頭 桜寿院の前の石造地蔵尊のデッサン(神戸市須磨区)


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イタリアンレストラン&カフェ「SO.TABLE KOBE 0330」が7月16日にオープン

2017年07月20日 05時06分05秒 | 神戸情報
イタリアンレストラン&カフェ「SO.TABLE KOBE 0330」が7月16日にオープンしました。

神戸市のサイトによれば運営者は一般財団法人 地域から世界を考える会議

イタリアンレストラン&カフェ「SO.TABLE KOBE 0330」の基本情報

住所:神戸市中央区波止場町5  TEL:078-381-7288 050-5594-1132(予約)
食事ジャンル:イタリアン
営業時間:11:00~23:00

公式サイト:http://www.so-table.jp/









色々な角度からお店の外観を撮りました。撮影:2017-7-15&7-16&7-17

お店が閉まった状態での訪問だったのでまだお店で食事や飲食はしていません。




上の写真はお店の表示看板
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神戸港に集結した11隻の帆船と練習船 on 2017-7-15~2017-7-17

2017年07月19日 05時22分02秒 | 神戸情報
神戸帆船フェスティバルが2017年7月15日から17日まで開港150年を迎えた
神戸港で実施されました。
このイベントに参加した11隻の帆船と海技教育機構の練習船を写真紹介します。

1.海王丸








上の4枚の写真は神戸港新港第1突堤西側に停泊中の海王丸 撮影:2017-7-16

7月16日に行われたセイルドリルは観に行きませんでしたので2007年に撮った写真を
添付しておきます。(下の2枚の写真)




海王丸は海の貴婦人と称せられています。






上の3枚の写真は説明パネル


上の写真は帆走する海王丸

2.日本丸

上の写真はルーズセイルで航行する日本丸


上の写真は新港第1突堤西側に停泊した日本丸(左)と海王丸(右)
撮影:2017-7-15

日本を代表する帆船で「太平洋の白鳥」と称せられる日本丸は神戸開港150年記念イベントに参加した後
その日の18:00頃横浜港に向けて出港、移動し、横浜港での「海の日」記念式典(天皇、皇后両陛下出席)
に参加しセイルドリルを披露したようです。ニュースで大きく報道されていました。


上の写真は帆を広げた日本丸 撮影:2007-11-23

3.パラダ




上の2枚の写真は新港第2突堤西側に停泊中のパラダ 撮影:2017-7-16

パラダは今回ロシアから参加した帆船、1989年建造 全長:108.6m 総トン数:2,248トン
海技学校や水産学校の学生の研修船


上の写真は帆船パレードで帆走するパラダ 撮影:2017-7-15

4.コリアナ


上の写真は新港第2突堤西側に停泊中のコリアナ 撮影:2017-7-16

4本マストのスクーナー型帆船で韓国唯一のセイルトレーニング船

全長:41m 総トン数:135トン


上の写真は帆船パレードで帆走するコリアナ

5.みらいへ


上の写真は中突堤西側に停泊中の「みらいへ」 撮影:2017-7-16






上の3枚の写真は「みらいへ」の説明パネル

6.咸臨丸




上の写真は中突堤西側に停泊中の咸臨丸  撮影:2017-7-16(上の写真)、2017-7-15(下の写真)




上の2枚の写真は説明パネル

咸臨丸については単独でブログを書いていますのでリンクしておきます(下記)
 咸臨丸 in 神戸港 on 2017-7-15&2017-7-16

7.オーシャンプリンス






上の写真はかもめりあに停泊中のオーシャンプリンス 撮影:2017-7-16






上の3枚の写真はオーシャンプリンスの説明パネル

8.Ami


上の写真はかもめりあに停泊中のAmi  撮影:2017-7-16

帆船Amiは全長12m 総トン数10トンの小さな帆船ですが20人弱乗ることが可能だそうです
Amiの名前は船長の娘さんの名前に由来しているそうです。1990年11月、沼津で青少年の
トレーニングを目的として建造。2本マストのトップスル・スクーナーです。
海王、青雲と名前を変え現在のAmiの名前になったそうです。




上の2枚の写真はAmiの説明パネル

9.大成丸


上の写真は新港第2突堤南側に停泊中の大成丸 撮影:2017-7-16




上の2枚の写真は大成丸の説明パネル

10.銀河丸




上の2枚の写真は新港第1突堤東側に停泊中の銀河丸 撮影:2017-7-16




上の2枚の写真は銀河丸の説明パネル

11.青雲丸




上の2枚の写真は新港第1突堤東側に停泊中の青雲丸 撮影:2017-7-16




上の2枚の写真は青雲丸の説明パネル

最後に神戸帆船フェスティバルのリーフレットより参加の11隻の帆船と練習船のリスト及び
停泊場所の一覧を添付しておきます。(下の2枚の写真)






関連ブログ:

  帆船パレード in 神戸港沖 on 2017-7-15

  神戸海軍操練所開設150年 記念式典 on 2014-8-30



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咸臨丸 in 神戸港 on 2017-7-15&2017-7-16

2017年07月17日 13時50分19秒 | 神戸情報
咸臨丸と言えば正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗上野介が伊井大老の命令で
日米修好通商条約(岩瀬とハリス)の批准書の持参に際し1860年(万延元年
1月22日~9月28日)に77人のチームでアメリカの準備したポーハタン号とともに
勝海舟が艦長として練習航海しサンフランシスコ、ワシントン、ボルチモア、フィラデルフィア、
ニューヨーク、喜望峰経由でインド洋、バタビア、香港と世界一周をしたことが有名である。

咸臨丸には勝海舟の他に福沢諭吉、ジョン万次郎も乗船していた。
批准書は第15代ブカナン大統領にワシントンで手渡された。

上記の咸臨丸の名前を冠した帆船が7月15日から神戸港に寄港しています。
現在、咸臨丸は鳴門海峡のうずしおクルーズが観光船としてうんようしている帆船である。

以下、神戸港での咸臨丸を写真を中心に紹介します。




上の2枚の写真は2017年7月15日撮影の咸臨丸








上の4枚の写真は2017年7月16日撮影の咸臨丸と現地説明板


上の動画は2017年7月15日、神戸帆船フェスティバル 入港セレモニーでの
消防艇歓迎放水と咸臨丸の神戸港への入港の様子




上の2枚の写真は鳴門海峡で航行する咸臨丸
出典:NHKテレビ 小さな旅・選 「うずしおの海 光るころ ~徳島県鳴門市~」
2017-7-17 13:05~13:30に放送




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帆船パレード in 神戸港沖 on 2017-7-15

2017年07月16日 09時54分51秒 | 神戸情報
神戸港開港150年目を祝うイベント「海フェスタ神戸」が2017年7月15日、神戸港周辺で開幕した。
開会式は開館間もないポートオアシスで行われた。

オープニングイベントとなる「帆船パレード」では「日本丸」など国内外の帆船6隻が淡路沖から
神戸港までを航行、私はルミナス神戸2に乗って動画や写真を撮りました。
ルミナス神戸2は11時に出航、14時前に帰着しました。料金は3,240円(乗船のみ)

海フェスタは、「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」という「海の日」本来の
意義を再認識するための行事として、毎年夏に開催されている。
神戸での開催は2003年以来の3回目。

練習帆船の「海王丸」を先頭に韓国唯一の練習帆船「コリアナ」、ロシアの「パラダ」、
日本丸など5隻が続いた。


上の写真は先頭の海王丸


上の動画は海王丸の帆走


上の写真は2番目に走行のコリアナ


上の動画はコリアナの帆走


上の写真は3番目に帆走するパラダ


上の動画は海王丸、コリアナ、パラダ

日本丸と海王丸が揃い入港した神戸帆船フェスタ2007 のブログ記事にリンクしてきます。
 http://seiyo39.exblog.jp/7743893/




上の2枚の写真はルミナス神戸-2の船内

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オシップ・ザッキンの彫刻作品 「住み処」 in 兵庫県立美術館 on 2017-7-14

2017年07月15日 05時48分27秒 | 神戸情報
毎週金曜日、表題の彫刻作品 オシップ・ザッキン作の「住み処」を観て兵庫県立美術館の
エッチング教室に入りますがこれまでブログ記事にしていなかったので今回写真紹介する
ことにしました。








上の4枚の写真が色々な角度から撮った彫刻作品 オシップ・ザッキン作の「住み処」です。


上の写真は彫刻作品の基本情報が書かれたプレート

オシップ・ザッキンの略歴
Wikipediaなどから抜粋

英文名:Ossip Zadkine、本名:Osip Alekseevič Cadkin (Tsadkin)、
キリル文字表記:Осип Алексеевич Цадкин(オシップ・アレクセエヴィチ・ツァトキン)
ユダヤ名Иосель Аронович Цадкин(ヨセリ・アロノヴィチ・ツァトキン)


オシップ・ザッキン(1890年7月14日-1967年11月25日)は、ロシア出身のフランスの彫刻家、画家です。
画家としては油絵、水彩画、銅版画やリトグラフで描かれた作品があります。
旧ロシア領のベラルーシ・ビテプスクでユダヤ人とスコットランド人の間に生まれました。
ザッキンは1905年イングランド北部のサンダーランドに移住、ロンドンの美術学校で
学んだ後、1910年頃に拠点をパリに移しました。そこで彼は、キュービズム運動(1914年-1925年)
に参加しました。パリではパリ国立高等美術学校で学んでいます。
キュビスム(仏: Cubisme; 英: Cubism「キュビズム、キュービズム」)とは立体派とも呼ばれ
現代美術の大きな動きの一つになっています。
1920年、ヴァランティーヌ・プラックス(1897-1981)と結婚。藤田嗣治が立会人となった。
順調な創作活動の結果、1934年仏ロット県レ・ザルクに豪邸を購入、夏はここで制作を行った。
1941-1945年 第二次世界大戦中、ザッキンは米国に逃れる

ザッキンの作品でもっとも有名なのは「破壊された都市」(1953年)です。
オランダのロッテルダムがドイツ軍によって壊滅された状態が題材になっています。


パリにザッキン博物館があります。

ザッキン研究サンターという組織もあります。

主な作品を紹介したサイトへリンクさせていただきました。
 https://www.wikiart.org/en/ossip-zadkine/mode/all-paintings-by-alphabet

兵庫県立美術館周辺の作品で過去に書いたブログにリンクしておきます。
 兵庫県立美術館の彫刻作品 ヘンリー ムーア 作 ゴスラーの戦士

 新宮晋氏の作品展示 in 兵庫県立美術館 on 2011-7-1

 兵庫県立美術館のシンボル 「美(み)かえる」

 兵庫県立美術館の新しいオブジェ「Sun Sister」(サン・シスター) on 2015-7-10

 兵庫県立美術館の屋外彫刻 ジョージ リッキー氏の「上を向いた2本の線-30フィート」

筆を置くにあたり兵庫県立美術館周辺の景色を添付しておきます。
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神戸 さんちか夢広場の 「神戸リリィ」展示 on 2017-7-12

2017年07月14日 04時20分19秒 | 神戸情報
2017年7月12日、さんちか夢広場で「神戸リリィ」が展示されていました。
写真紹介します。

北区淡河町ではこの時期「淡河の新鉄砲ゆり」(別名は神戸リリィ)の出荷を迎えています。

淡河町では鉄砲ユリの他に、チューリップ、グラジオラス、蓮や菊を生産出荷しています。


上の写真はさんちか夢広場での「神戸リリィ」展示

関連ブログ:
  神戸花物語 2011春 in ハーバーランド Duoドーム on 2011-3-4
    淡河の花をPRするイベント

神戸市北区淡河町は昔は播磨国美濃郡に属し史跡や伝統行事が多く残されています
以下ほんの一部ですが筆者が訪問した足跡を紹介します。


  神戸市北区淡河町 歳田神社に残されていた豊臣秀吉の制札
   湯の山街道の宿場町でもあった淡河町には当然、札場がありました。

  淡河城跡 訪問記 on 2013-4-14
   淡河氏代々の居城でしたが天正6~8年(1578~1580)羽柴秀吉による三木城(別所氏)
   攻めの後は有馬氏 一万五千石の居城として慶長6年(1601)まで淡河と共に栄えてきました。

  萩原城跡 on 2013-6-11
   萩原城は淡河城城主の淡河氏が淡河城の支城として鎌倉末期に築いたとされています。
   淡河氏の後、有馬氏(有馬重則)の居城となりました。
   天文23年(1554)三好長慶が三木城攻めをした際に、三好側に加わった有馬重則に
   攻められ萩原城は落城し、淡河氏は淡河城に移ったことが有馬氏の居城となった
   原因であろうと推定されています。

  神戸市北区淡河町 南僧尾厳島神社
    農村歌舞伎が盛んな地域です

   湯乃山街道 淡河宿 on 2013-4-14
    淡河宿は天正7年(1579)5月26日 淡河弾正忠定範が淡河城を出て滅んだ後、
   豊臣秀吉によって整備された。この時に秀吉の命を受け、宿場町建設に活躍したのは
   村上喜兵衛であった。この功績により、村上家は代々淡河の大庄屋を勤めるようになった。

   村上家の本陣跡は現在整備され地域交流拠点として利用されています。
     神戸新聞での紹介記事:https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201705/0010233531.shtml

     神戸市の紹介記事:http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2017/05/20170517143001.html

  神戸市北区 淡河(おうご)八幡神社訪問記 on 2013-4-14
   2月11日に行われる御弓神事が有名

  石峯寺 on 2008-5-22
   神戸13仏に列せられている立派な寺院です。

  神戸市北区淡河町 歳田神社の御田祭 on 2013-5-3
    農村の伝統行事が継承されています

  淡河弾正忠定範戦死之碑 in 三木市八幡森史蹟公園 on 2013-4-8
   淡河城の城主の 淡河弾正忠定範は三木合戦で戦死しました

  満月堂の豊助饅頭
  
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2017年の蝉の初鳴きと梅雨

2017年07月13日 10時15分14秒 | 神戸情報
2017年のセミの初鳴きは7月13日に自宅にて聞きました。
(あくまでも私が聞いた日なので正確にはもう少し早い時期だと思います)

2017年の梅雨入りは6月7日 梅雨明けは2017-7-13現在発表されていません。

7月19日(水)に梅雨明け 
  2017-7-20追記


上下の写真は2009-8-2 11時45分位に撮影の我が家の庭木で鳴いていたセミ

ミンミン?と鳴いている多分 ミンミンゼミ?  学名:Oncotympanini
かクマゼミの一種です。 クマゼミ族 Mogannia 鳴き声 シャー シャー シャー



セミ 蝉 Cicada 学名:Cicadoideaについて

Wikipediaで調べて見たら下記のように書かれていました。
「蝉が鳴く時間帯は種類によって異なり、種類を判別する有効な手がかりとなる。
たとえば日本産セミ類ではクマゼミは午前中、アブラゼミやツクツクボウシは午後、
ヒグラシは朝夕、ニイニイゼミは早朝から夕暮れまで、などとなる。
夏に多いとはいえ真昼の暑い時間帯に鳴くセミは少なく、比較的涼しい朝夕の方が多くの
種類の鳴き声が聞かれる。」


蝉の種類によって、鳴く時間帯が違うようです。
蝉は幼虫の期間が3-17年で、成虫の期間は1ヶ月くらいだそうである。

何年生きるか?という質問に対しては3-17年ということになろうかと思いますが
我々が成虫として観ることが出来るのは7日から1ヶ月のあいだとういことか。
13年、17年周期の北米のMagicicada というセミもいるようです。

2013年、2014年、2015年及び2016年に同じ内容でブログ記事を書いていますのでリンク
しておきます。

2013年の梅雨明け宣言とセミの初鳴き
 セミの初鳴き 7月16日 梅雨入り 5月28日 梅雨明け 7月8日

2014年の梅雨と蝉の初鳴き
セミの初鳴き 7月15日   梅雨入り 6月4日 梅雨明け 7月21日

2015年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月14日  梅雨入り 6月3日 梅雨明け 7月20日

2016年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月11日 梅雨入りは6月4日 梅雨明け 7月18日


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