CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸の壁の展示 in 淡路市北淡震災記念公園 on 2024-6-12

2024年07月18日 17時05分04秒 | 神戸情報
2024年6月12日、淡路市の北淡震災記念公園で神戸の壁の写真を撮りましたので紹介します。


上の2枚の写真は北淡震災記念公園内に保存されている「神戸の壁」

神戸の壁は昭和2年(1927)頃、神戸市長田区の若松市場の延焼防止壁として建設されました。
先の大戦の終期、1945年3月17日の神戸大空襲、及び1995年1月17日の阪神淡路大震災でも耐え残りました。
平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災から約1か月後にリメンバー神戸プロジェクト
が立ち上げられ、震災遺構の保存活動が開始されました。
震災の記憶を風化させないための震災遺構として、阪神・淡路大震災の教訓を
末永く後世に伝える為2009年1月17日、北淡震災記念公園に「神戸の壁」が移設されました。

北淡震災記念公園 野島断層保存館の基本情報
住所:〒656-1736 兵庫県淡路市小倉177
電話:079-82-3020

以下、三原泰治(リメンバー神戸プロジェクト 神戸の壁保存実行委員会)さんが
纏められた活動の年譜を添付しておきます。
1995年5月15日、市場の延焼防止壁は神戸の壁と命名されました。
1995年11月14日、「神戸の壁」保存実行委員会設立の集い
1998年3月9日、旧津名町(現淡路市)が神戸の壁本体の受け入れを決定
1999年3月5日、移設工事着工、壁本体は津名町へ搬送
1999年3月30日、神戸に基礎を遺すため、地元協議会支援で掘り出す
1999年11月21日、基礎をベンチの背もたれとした「神戸の壁ベンチ」アスタくにづか地下に設置
 現地への訪問記(2017年12月17日)を下記ブログで書いています。
2000年1月16日、津名町に移設の工事が竣工し、竣工式が行われる
2001年6月24日、神戸の壁の跡地に基礎を台座にした復興住宅完成記念碑を建立
 下記のブログで現地訪問記(2020年11月7日に訪問)を書いています。
2002年4月22日、人と防災未来センターに「神戸の壁ベンチ」を設置
2009年1月17日、「神戸の壁」の本体が旧津名町から北淡震災記念公園に再移設
2015年1月10日、「神戸の壁」ライト点灯北淡震災記念公園で再開
2015年11月2日、北淡震災記念公園、野島断層、神戸の壁、継承・発展実行委員会を設立
2019年3月17日、「神戸の壁」再移設10周年で「神戸の壁が語る影絵」を壁に投影
2019年7月6日、「神戸の壁ベンチ」と資料をWall・Galleryに開設
2019年11月22日、「神戸の壁ベンチ」人と防災未来センター南側へ移設

関連写真

上の写真は震災直後に撮影された「神戸の壁」

関連Youtube動画
 神戸市長田区の住民が北淡震災記念公園で「神戸の壁」を見学  

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インドネパールレストラン ムナール横尾店でのランチ on 2024-7-13

2024年07月16日 04時21分13秒 | 神戸情報
2024年7月12日(土)、妙法寺のリファーレ横尾の1階にある本格的なカレー店
「ムナール」で頂いたランチを写真紹介します。

お店は2018年7月14日にオープンしました。

ムナール妙法寺店の基本情報

住所:神戸市須磨区横尾1丁目5番 リファーレ横尾内1F TEL:078-747-1819
料理ジャンル:カレー 営業時間:昼は11:00~15:00 夜は17:00~22:00
定休日:第3木曜日  英文表記:MUNAL


当日、注文したのはAランチ 950円(税込)です。

カレーは日替わり(玉子入りチキンカレー)、辛さ普通を選択しました。

最初にサラダとドリンクが出てきます。


料理が全部揃ったところの写真です
上の写真は日替わりカレーのアップ

上の写真はメニュー表

過去の訪問記
下のブログにそれより以前の訪問記にもリンクしています

 
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いざかや 粋旬(すいしゅん) 西村屋でのランチ on 2024-7-12

2024年07月15日 06時08分33秒 | 神戸情報
昔、千人代官として営業されていましたが2020年8月10日にリニューアルオープン
店の名前も「いざかや 粋旬 西村屋」に変わりました。
さんちか味ののれん街の入口付近にある店です。
2024年7月12日にランチをいただきましたので写真紹介します。
粋旬になってからは7回目のブログ作成です。
久しぶりの訪問です。

いざかや 粋旬 西村屋の基本情報
住所:神戸市中央区三宮町1-10-1 さんちか 味ののれん街 TEL:078-326-7666
営業時間:11:00~21:30  料理ジャンル:和食
定休日:第3水曜日

公式サイト(西村屋):いざかや 粋旬(すいしゅん) 西村屋 | 伝統を紡ぐ和のお料理西村屋【公式】 (nishimuraya-fc.com)


上の写真は当日、選択した「一汁七菜かご盛り膳」1,780円(税込)
美味しくいただきました。
以前は1,680円(税込)でした。



上の3枚の写真はかご膳のアップ


上の写真は一汁七菜かご盛り膳が掲載のランチメニューです。





上の写真は「一汁七菜かご盛り膳」1,780円(税込)以外のメニュー表

過去の訪問記
前回の訪問記
 
前々回の訪問記

3回前の訪問記でそれより以前の訪問記にリンクしています。
 
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2024年の蝉の初鳴きと梅雨

2024年07月14日 06時06分47秒 | Weblog
例年、表題のテーマで毎年ブログ記事を書いています。

昨日(7月13日)、神戸市の自宅近くの公園で蝉の初鳴きを聞きました。

梅雨に関しては6月21日(金)近畿地方で梅雨入りしたと気象庁より発表されました。
梅雨明けは7月16日(火)に発表される?可能性が高いと思っています。
実際には2024年7月21日(日)に気象庁より梅雨明けが発表されました。
2024-7-21に追記


そこで、例年書いている令和5年(2023)の蝉の初鳴きと梅雨について整理しておきます。

2024年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月21日 梅雨明け 7月16日?
 
2013年から2022年までの神戸におけるデータは下記のとおりです。
セミの初鳴き 7月14日 梅雨入りは5月29日 梅雨明け 7月20日

セミの初鳴き 7月10日 梅雨入りは6月14日 梅雨明け 6月28日
セミの初鳴き 7月10日 梅雨入りは6月12日 梅雨明け 7月17日
セミの初鳴き 7月9日 梅雨入りは6月10日 梅雨明け 7月31日
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月25日 梅雨明け 7月24日
2018年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月6日 梅雨明け 7月9日
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月7日 梅雨明け 7月19日
2016年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月11日 梅雨入りは6月4日 梅雨明け 7月18日
2015年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月14日  梅雨入り 6月3日 梅雨明け 7月20日
2014年の梅雨と蝉の初鳴き
セミの初鳴き 7月15日   梅雨入り 6月4日 梅雨明け 7月21日
2013年の梅雨明け宣言とセミの初鳴き
 セミの初鳴き 7月16日   梅雨入り 5月28日 梅雨明け 7月8日

関連ブログ


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神戸村の歴史:村の誕生から明治維新まで

2024年07月13日 15時40分12秒 | 神戸情報
神戸村の歴史:村の誕生から明治維新まで

簡潔に判り易く纏められています。
貴重なYoutube動画の映像です。
忘れないうちにGooで共有させていただきました。

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1969年の神戸港・三宮駅付近_フル・バージョン

2024年07月13日 15時07分20秒 | 神戸情報
1969年の神戸港・三宮駅付近_フル・バージョン

1969年の神戸を紹介した貴重なYoutube動画の映像です。
忘れないうちにGooで共有させていただきました。
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姫路市 with carry ウィズキャリーでのランチ on 2024-7-11

2024年07月12日 05時55分13秒 | 姫路市
2024年7月11日、山陽電鉄姫路駅に近い忍町のウィズキャリーでランチをいただきましたので
写真紹介します。訪問は4回目のお店 です。
山陽電車の情報誌「ESCORT 2023年6月号」で紹介されています。

Cafe-bar ウィズキャリーの基本情報
住所:姫路市忍町12 ミストラル101 TEL:0792-87-6529
料理ジャンル:洋食
営業時間:月曜、水曜~土曜日11:30~24:00(LO23:30)
     日曜日11:30~22:00(LO21:00)
定休日:火曜日  英文名:With carry

所在地のGoogle地図を添付しておきます。




上の2枚の写真は当日、注文したヘレステーキランチ120g 1,600円(税込)と
生ビール270円(税込)

この値段でのステーキであったのですが味付けなどが良かったせいか美味しく
いただきました。

以前(2023-5-26)訪問時はステーキランチ130gを注文しています。
上の写真は国産ヘレステーキランチが掲載のメニュー表








上の5枚の写真はその他のランチメニューです。
また訪問したいと思っています。

以前の訪問記



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淀屋の碑 on 2024-5-19

2024年07月10日 06時10分27秒 | 大阪情報
2024年5月19日、大阪の父母の墓参りに出かける途中、大阪・淀屋橋周辺を散策した。
その時に本日、写真紹介する「淀屋の碑」を見つけた。

上の写真は現地の案内地図(北が下にきているんので注意)で現在地のの右手に
淀屋の屋敷跡の場所が明示されています。住所は大阪市中央区北浜4-1 
文章で表現すると「淀屋橋から南側の土佐堀川沿いを約50m西に進んだ所にあります」


上の2枚の写真は淀屋橋

前置きが長くなりました。本題の「淀屋の碑」に戻ります。
上の写真は「淀屋の碑」の遠景です。

上の2枚の写真はレリーフの拡大版です。
当時の中之島の賑わいを表現したレリーフは立派です。

日本学士院会員の宮本又次さんによって書かれた文章を転記しておきます。
一部、加筆してあります。

淀屋は江戸時代前期の大坂を代表する豪商であった
淀屋の豪富と闕所*1のことはあまりにも有名である
*1 闕所(けっしょ)とは、江戸時代の財産没収刑(所領を没収すること)
淀屋の本姓は岡本氏通称三郎右衛門 城洲岡本の荘の出身 
辰五郎の称もあった 豊臣氏が天下をとるに及んで大坂に出て
十三人町(いまの大川)にト居し 淀屋と称し材木を商う
元和元年(1615)京橋一丁目の淀屋持地に着物市を開き
また米の相場をたてる中之島を開発し常安諸地を開く
常安橋ー常安町の名前がいまに残る
初代常安の長子(養子)善入善右衛門 常安町家 斉藤町家の祖となる
次子(実子)常有五郎右衛門は別に大川町家の初代となり
言直から六代まで続く
心斎橋筋から西肥後橋の間にその宅地あり その宅地の小路を淀屋小路という
四十八戸前のいろは蔵有り 町人蔵元の元祖といわれたが
むしろ巨大なる米商人と目すべく淀屋米市のために
土佐堀川に自費で橋をかける 淀屋橋であり 
ここで行われた淀屋米市の盛大さは
この碑の絵が表現する通りであった
日本学士院会員 宮本又次 記
チャーターゲイト二十五周年の記念事業としてこれを建てる
 昭和62年(1987)2月19日 大阪北浜船場ライオンズクラブ

米市の設立
米の価格が仲買人により無秩序に決められ、米の質や量などが正しく反映されていなかったことに目を付け、全国の米相場の基準となる米市を設立することで、米の質、量、価格の混乱を収めることに成功しました。
総資産
総資産は約20億両と、現在の貨幣価値に換算すると約200兆円もの資産があった
御用商人 淀屋
淀屋は徳川家の御用商人を勤め、米取引は、1697年に堂島に移るまで、淀屋橋の南詰めにあった淀屋の店先で行われていました。
淀屋橋の架橋
二代目个庵(こあん)はその淀屋橋を市場の便宜のために私費で架けたことで知られています。
二代目个庵の事業
米市場・魚市場の開設、国内外の交易、大名貸しに代表される金融業など幅広い事業を起こし、商都大阪の礎を築きました。
淀屋の屋敷
淀屋の屋敷は土佐堀川に面し東西は心斎橋筋から御霊筋付近にまで及び、
約1万坪もあったようです。 

Wikipediaによる解説
概要
淀屋とは、江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商であり、総資産は約20億両
(現在の貨幣価値に換算すると約200兆円)。
全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる
商都へ発展することに大きく寄与した。
米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築くが、その財力が武家社会にも
影響することとなったため、幕府より闕所(財産没収)処分にされた。
しかし、闕所処分に先立ち伯耆国久米郡倉吉の地に暖簾分けした店を開き、
後の世代に再び元の大坂の地で再興した。
幕末になり討幕運動に身を投じ、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた。
淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼ぶ。
淀屋が開拓した中之島には、かつて常安町と常安裏町(現在の中之島四丁目~六丁目)が有った。
屋敷は現在の大阪市の北浜にあり、中之島に掛かる淀屋橋や常安橋にその名を残している。

事業
淀屋の事業は米市を主とした多角的経営であった。
初代の岡本三郎右衛門常安は、伏見城の造営や淀川の堤防改修において工事の采配を振り、高い土木工事技術を発揮した。その後、大坂の十三人町(後の大川町、現在の大阪市中央区北浜四丁目)に移り、「淀屋」と称し材木商を営んだ。1609年から1614年に掛けて中之島の開拓を行い、江戸時代から現代まで続く経済の拠点を造った。
二代目の淀屋言當は、途絶えていた青物市を元和元年(1616年)に京橋一丁目の淀屋屋敷で再開した。寛永元年(1624年)には「海部堀川」を開削し、海部堀川の屈折点に造った船着場「永代浜」(現在の靱本町二丁目)に魚の干物を扱う雑喉場(ざこば)市を設立した。また米価の安定のため米市を設立し、大坂三大市場と呼ばれた青物市、雑喉場市、米市を一手に握った。また輸入生糸を扱うための糸割符に、大坂商人も加入できるように長崎奉行と掛け合った。寛永9年(1632年)に、糸割符の加入が認められ海外貿易を始める。寛永15年(1638年)からは加賀藩主前田利常の意向により加賀米の取扱いが本格化した。その大坂への輸送に際して、日本海から関門海峡と瀬戸内海を経由して大坂に至る西廻り航路を北風家の北風彦太郎と共に担い、北前船の先鞭と成った。

米市
江戸時代、米は経済の中心的な存在であった。年貢として納められた米は藩の蔵屋敷に蓄えられ、米問屋を介して現金化された。米は諸藩の財政の根幹をなし、米価の安定は経済の安定としても重要であった。しかし米の価格は仲買人によって無秩序に決められ、価格は米の質や量などを正しく反映したものではなかった。そこで淀屋は、米の質・量・価格の混乱を収めるため、全国の米相場の基準となる米市の設立を幕府に願い出て認められる事となった。
淀屋は自身が拓いた中之島に米市を開き、また中之島に渡るため淀屋橋を自費で土佐堀川へ架けた。米市に集まる米を貯蔵するため、諸藩や米商人の米を貯蔵する蔵屋敷が中之島には135棟も立ち並んでいた。また1620年代、全国の米の収穫は約2700万石有り、自家消費や年貢で消費される分を除く約500万石が市場で取引されていた。その4割の約200万石が大坂で取引されていたと言われている。
米市の取引きは場所を取る米を直接扱わず、米の売買が成立した証拠として手形を受け渡し、手形を受け取った者は手形と米を交換するという事が行われていた。それが次第に現物取引でなく、手形の売買に発展する事になった(米切手の項も参照のこと)。この淀屋の米市で行われた帳合米取引は世界の先物取引の起源とされている。淀屋の米市は二代目の言當、三代目の箇斎、四代目の重當の時代に莫大な富を淀屋にもたらした。井原西鶴は『日本永代蔵』の中で淀屋の繁栄ぶりを記している。
その後の米市は、元禄10年(1697年)に対岸に開拓された堂島新地(現在の堂島浜一丁目)に設立された堂島米市場に移された。堂島米市場では現物米を扱う正米取引のみが行われ、現物米と交換するための米切手を売買する事は禁じられていた。享保初年(1716年)頃より始められた帳合米取引が、享保15年(1730年)8月13日、幕府より公許され世界初の公設先物取引市場堂島米相場会所となった。

闕所(けっしょ)
宝永2年(1705年)、五代目の淀屋廣當が22歳の時に幕府の命により闕所処分となった。廣當の通称である「淀屋辰五郎の闕所処分」として有名である。
闕所時に没収された財産は、金12万両、銀12万5000貫(小判に換算して約214万両)、北浜の家屋1万坪と土地2万坪、その他材木、船舶、多数の美術工芸品などという記録が有る。また諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫(膨大に膨れ上がった利子によるものであるが、現代の金額に換算しておよそ100兆円)にも上った。
闕所の公式な理由は「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」というものだった。しかし諸大名に対する莫大な金額の貸し付けが本当の理由であろうとされている。
宝永5年(1708年)、この淀屋の発展と凋落の顛末が近松門左衛門によって浄瑠璃『淀鯉出世滝徳』(よどごいしゅっせのたきのぼり)に描かれた。
鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』には、この淀屋辰五郎の逸話をもとにした鉦五郎という妖怪が登場する。




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兵庫県立歴史博物館 開館40周年記念企画展 「古銭・古札を楽しむ」観覧記 on 2024-2-14

2024年07月09日 05時50分53秒 | 姫路市
標題の企画展が2023年12月23日から2024年2月18日の会期で開催されていました。
私は2024年2月14日に観覧しました。
上の写真はガイドブックの表紙です。

姫路市にある兵庫県立歴史博物館の公式サイトに概要が記載されていますのでリンクしました

全体を上手く纏められないので本ブログでは13世紀から14世紀、日本で渡来銭が
浸透していくまで、日本で流通していた皇朝十二銭などを中心として纏めました。

年譜
 天武天皇12年(683) 「今より以後必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」という詔
 
 7世紀後半 富本銭が用いられる

 持統8年(694) 持統天皇が初めて鋳銭司を任 じる

 和銅元年(708)和同開珎が初鋳造

 天平宝字4年(760)万年通宝発行 以後、銅銭の改鋳が繰り返されていく

 11世紀頃 中国北宋で銅銭が盛んに製造される(北宋銭)

 12世紀頃 日宋貿易が盛んになり、宋銭の流入が進む

 13~14世紀 日本で渡来銭の使用が浸透していく

皇朝十二銭の展示


上の写真は皇朝十二銭の展示の遠景




上の4枚の写真は皇朝十二銭の展示の拡大版

上の写真は皇朝十二銭の解説

皇朝十二銭の写真が鮮明でなく判り難いので詳説 日本史図録第2版山川出版社(2008)の
Page51より皇朝十二銭の写真を畜銭叙位令とともに添付します。(下の2枚の写真)
 




関連ブログ
 

終わりに
 最後に当日、入手したクイズなどを添付して筆を置きます




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木曽路 湊川店でのランチ on 2024-4-23

2024年07月08日 06時24分56秒 | 神戸情報
2024年4月23日(火)木曽路 湊川店でランチをいただきましたので
写真紹介します。木曽路は「しゃぶしゃぶ」と「日本料理」が得意分野のお店です。

木曽路 湊川店の基本情報  
住所:神戸市兵庫区上沢通2-2-6 TEL:078-512-5330
料理ジャンル:日本料理、しゃぶしゃぶ

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


親類の人達との3人での会食でした。
上の写真は私と親類の1人が選んだ国産牛すきやき定食 1,650円(税込)
ごはんは16穀米
美味しくいただきました。
こちらのお店では殆どすき焼き定食を注文しています。

上の写真は親類のもう1人の方が選んだ和食「馬籠」 1,650円(税込)

 
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