25日(火)は、辺野古の海上大行動で久しぶりに船に乗る予定だったが、体調が悪く、申し訳ないがキャンセルさせてもらった。残念だ。24日(月)に両副知事らとの面談で、本部塩川港に県が出した警告看板の撤去が決まったが、さすがに、この間の疲れがどっと出たようだ。
それでも25日からの3日間は、毎日、午後、裁判所に行った。
25日(火)は、名護市消防署跡地違法売却事件の住民訴訟(裁判の内容については、右側カテゴリー欄の「名護市消防署跡地違法売却事件」を参照してください)。口頭弁論後の集会で、本部塩川港の警告看板問題を報告。皆、喜んでくれて大きな拍手を受けた。
(25日は名護市消防署跡地住民訴訟)
26日(水)は、オール沖縄会議主催が主催した辺野古設計変更申請不承認をめぐる県の抗告訴訟第2回口頭弁論を傍聴。
2月の第1回口頭弁論は集会もなく、傍聴者もわずかだったので驚いたが、今日はオール沖縄会議として事前・事後集会が開かれ、県議らが大勢参加していた。事前集会では徳田琉球大学教授、事後集会では、県の加藤弁護士に続いて私も報告させてもらった。
「県の辺野古設計変更申請不承認をめぐる裁判は、現状では、関与取消訴訟も抗告訴訟も、あるいは年内にも終結する可能性があると言われています。司法の場での争いが終ってしまった時、県は、辺野古新基地建設を阻止するためにどのような方策を講じるのでしょうか? その意味では、いよいよこれからが、デニー県政、そして知事を支える県民の真価が問われます。頑張りましょう。」というような話をし、同時に、住民の抗告訴訟への支援を訴えた。
なお、今日の県の抗告訴訟では、注目すべき点があったが、それについては後日、説明したい。
(26日の県の抗告訴訟の事後集会)
今日(27日)は、午前中、具志堅隆松さんらと熊野鉱山問題で糸満市教委部長らとの意見交換(この問題については後日、報告する)。
そして午後は今日も裁判所へ。辺野古埋立承認撤回をめぐる住民の抗告訴訟の控訴審第1回口頭弁論を傍聴。原告のKさん(辺野古在住)が証言台に立ち、幼時、母親を米兵にブロックで殴り殺された悲しみと怒りをもとに、この裁判に寄せる想いを意見陳述された。少しは裁判長らに通じただろうか?
事後集会では、弁護士さんらは進行協議ですぐに来られないというので、私から、辺野古をめぐる県と住民の裁判の概要とこれからの課題について報告した。
(27日、住民の辺野古抗告訴訟の事後集会)