名護市長選、稲嶺さんが負けてしまった。あまりの衝撃に、やはり言葉もでない。
しかし、打ちひしがれるわけにはいかない。私は2月3日(土)、ゲート前の集会で、工事の状況について説明を求められてマイクを握った際、最後に次のように述べた。
「投票日の前日にこんな話しをするのは不謹慎だとしてお叱りを受けるかもしれませんが、明日の選挙結果によっては万一の事態もあり得ます。しかし、その時でも私たちは、ああもうダメだと諦めるわけにはいかないのです。私たちが諦めてしまった場合、防衛局はどんな違法工事でもどんどん押し進めてきます。埋立工事についての最終的な権限は知事が握っています。県民が抗議行動を強め、そうした県民の支えをもとに知事が自らの権限を毅然と行使する限り、工事はいずれ頓挫します。明日の選挙結果が万一のことになったとしても、私たちは打ちひしがれるわけにはいきません。諦めるわけにはいきません。そのことだけは是非、確認しておきましょう。ただ、そういう事態にならないように、後で悔いが残らないように、明日の投票日までせいいっぱい頑張りましょう。」
この後も厳しい状況が続く。3月13日には、沖縄県が国を相手に訴えた岩礁破砕問題の裁判の判決がある。しかし、今までの裁判長の訴訟指揮を見れば、門前払いの可能性が高い。また、翌14日には、山城博治さんら3名の高江・辺野古に関する刑事事件の判決が出される。これも厳しい内容が予想される。
このような厳しい状況の中で思い出すのは、目取真俊さんの言葉だ。昨年4月、大浦湾でK9護岸のための石材投下が始まった時、目取真さんは、石原吉郎の「ペシミストの勇気について」というエッセーに触れ、「絶望も希望もない。その場でできることを黙々と、淡々とやるだけですよ」と述べられたという(沖縄タイムス 2017.4.26)。この目取真さんの話を「視点」というコラムで紹介した阿部岳記者も、「力をくれるのは、やはり単独者としての勇気なのかもしれない。嘆かず、他者に依存せず、一人一人が『命と尊厳は諦められない』と、自らに確かめることはできる」と、そのコラムをまとめている。
「嘆かず、依存せず、黙々と」。今、私たちに求められているのは、このことである。
沖縄タイムス 2017.4.26