20日(金)のフライトでカルバヨグからマニラへ戻った。カルバヨグの空港には、オポック、リスリス、イメルダたちと、ビリアスさんが見送りに来てくれた。ベイビーは、やはり息子のジョリーの具合が悪く、来れなかった。
マニラで友人に会い、21日(土)の早朝の便で帰国。関空では、ネパールで医療活動を続けている山岳部時代の後輩・Iさんたちが待ってくれていた。Iさんの息子が、5月から3ケ月ほどフィリピンに行くので、その相談を受ける。サマールにも是非、行きたいとのこと。
京都で1泊し、22日(日)早朝のANAで那覇に戻る。修学旅行生らで超満員だったが、なんとかシルバー割引のチケットがとれて良かった。自宅に帰り、すぐに教育福祉会館へ。第32軍司令部壕説明板問題のシンポジウムに参加した。
検討委員会委員長の池田榮史琉大教授が「検討委員会の経過」を基調報告。その後、シンポジウムに入り、村上有慶さん(検討委員)と、平和ガイドをしている息子・Gが、それぞれ報告した。
これらの報告で明らかになったのは、やはり、県の問答無用で不誠実なやり方だ。池田委員長らも、「委員らはこの問題について今も勉強会を続けている。今後も、説明板をいったん撤去して、文案を練り直すよう強く求めていく。それまで、検討委員の任期は続くものと考えている。」と、きっぱりと言われ、会場からは拍手がわき上がった。
その後、質疑応答に入った。ところが、最初に発言した丸刈りの男性が、「慰安婦や住民虐殺の記述を入れることは、日本軍を貶めるものだ。」と言い出したので会場が騒然とする。右翼が集会妨害のために入ってきたのかと思ったが、聞くと、自衛隊OBで県隊友会の元副会長・奥茂治という人らしい。彼は、慰安婦や住民虐殺の記述削除を求めて県に意見書を出したと明らかにした。そして、「辻の若藤楼の女性が壕内にいたからといって、『慰安婦』とは言えない。職業による差別ではないか。若藤楼は慰安所だったのか?」などと発言した。
若藤楼等の問題については、池田委員長や村上委員が、きちんと具体的な事実をあげて説明された。(その内容については、下記の沖縄タイムスの記事参照)
・32軍壕「慰安婦は史実」検討委が反論(2012.4.23 沖縄タイムス)
数日前、目取真俊さんのブログが、この奥茂治氏について触れている。奥茂治氏は、昨年12月10日の自らのブログで、「沖縄戦32軍司令部壕説明板の記述から壕内に慰安婦が雑居していた。また日本軍によりスパイ視された付近住民の虐殺が行われた。を削除するよう求めて意見書を11月25日に県に提出した。昨日は、もし設置した場合は器物損壊する旨を伝えて県会議員の先生方に協力を要請してきました。」と書いているのだ。 http://www.facebook.com/gorugo13jpn
彼は、意見書を出しただけではなく、このまま設置すれば説明板を壊すぞと脅していたのだ。その後、県幹部は、説明板から慰安婦・住民虐殺を削除した理由について、「検討委員会がまとめた文案に県内外から約80件の抗議が寄せられたことを挙げる。『文言をそのまま載せれば、説明板はこうした人々にすぐに壊されてしまうのではないか』と述べ、不測の事態を警戒した末の措置だと説明する。」(沖縄タイムス 2012.2.25)と述べているが、彼の脅しに屈したものと言わざるを得ない。
また、下地部長は、県議会の答弁で、「『若藤』『偕行社」』について、『(それらの人々を)慰安婦と呼べるかどうかは私は確証を持っていない』と答えた。---『私が読んだ資料の中には、どこにも若藤と偕行社の皆さんを慰安婦と呼んでいるのはない。』と述べた。」(琉球新報 2012.3.20)という。見事なまでに、県と、奥氏らの意見は一致しているのだ。
目取真俊さんは、「第32軍司令部壕説明板問題の背景には、沖縄における自衛隊強化、先島への部隊配備に向けた地ならしの一環として、沖縄戦の史実を歪曲しようとする自衛隊関係者や県内外の右翼勢力の動き、それを利用した仲井真県当局の動きがある。」とこのブログでも述べておられるが、まさにそのとおりだろう。