(2012.3.17 琉球新報)
琉球新報は、今日(17日)も、32軍司令部壕の「捨石」削除問題について充実した報道を続けている。社会面2面を使って、石原昌家さんら識者の談話を掲載し、社説でも「本質から目を覆う暴挙だ」と強く批判した。N記者も頑張ってくれている。
・「「捨石」削除 本質から目を覆う暴挙だ」(琉球新報 2012.3.17 社説)
・「沖縄戦「事実を隠ぺい」」(琉球新報 2012.3.17)
そして、17日夕には、この問題についての初めての緊急学習会が開催された。
(250人が集まった緊急学習会)
県内の平和ガイドなど10団体が主催した緊急学習会は、主催者の予想を大幅に超える250人もの人たちが集まった。私もそうだが、皆、この問題が発生して以来、やきもきしていたのだろう。
県史編集委員の大城将保さんの講演、検討委員の一人・新城俊昭沖縄大学教員の報告に続いて、当時、鉄血勤皇隊として司令部壕にいた渡久山朝章さん(84歳)が証言をされた。
「首里城地下の司令部壕で兵隊と一緒になって壕掘り作業などを手伝った。そこに半袖半ズボンの女性が毎日4、5名来て、同じように壕掘りをしていた。周りの兵隊の態度から慰安婦の人たちだと分かった。」、「夕方、壕の前、師範学校の実習田で、スパイ容疑の女性が虐殺される光景を見た。」---やはり、実際に体験された方の証言は、何よりもなまなましく、説得力があった。
渡久山さんは、最後に次のように話をされた。
「人間は、記憶の連続で生きています。この女性たちが確かに壕にいたことと、住民虐殺があったこと、この二つを否定されると自分の記憶も否定されるようで、自分の過去に二つ穴があくような気がします。」、「県はこんなことをして、もう物を言えない死者達に臆することなく説明板を建てられるのか?」
こうした戦争当時の話を直接聞かせていただけるのも、もう、ここ数年のことだ。まだ、当時の体験者が、このように克明に証言されているのに、歴史の改ざんを許してはならない。
(当時「鉄血勤皇隊」で、壕で慰安婦を目撃し、坑道口近くで住民虐殺を目撃した渡久山朝章さんが証言された。)
(検討委員の一人・新城俊昭沖縄大学教員)
ところで、夕刻、この集会会場に向かっているとき、実行委員の方から電話がかかってきた。質疑応答の時に最初に指名するから、この間の公文書公開請求で判明したことを報告してくれというのだ。
渡久山さんのお話が終わった後、質疑応答となり、打ち合わせのとおり、私が最初に指名された。こんなところで私などが発言していいのかという迷いもあったので、中途半端な報告になってしまい、少し、悔いが残る。