なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

ヨハネ・パウロ2世

2005年04月03日 | 
というと思い出すのは、暗殺未遂事件。白い法衣が赤く染まった写真を未だに憶えている。
 普通そういう事が起きたら、その後は深窓の生活になってしまいそうなものだが、そうはなさらなかったんだよね、あの方は。
 「空飛ぶ教皇」と言われるほど、世界中飛び回れた理由には交通機関の発達が大きいとは思う。飛行機が発展して、滅多に落ちる代物じゃなくなった、という事情がなければ、ここまであちこちにお出掛けになる事はできなかったろう。ただ、それも「やる気」がある、という前提あっての話だ。

 サンピエトロ広場はなんだかとても広かった。システィーナ礼拝堂は、ミケランジェロの絵画の修復は終わってて、じっくり眺めることはできたが、今度は下の方に描かれているボッティチエリの絵が修復中ということで、足場が組まれて全く観られない。イタリア在住の友人が「いつもいつも何かしら修復してるんだよ」と喋ってた通りだなあ、と思ったものだ。礼拝堂だから、礼議が要求される。短パンやミニスカじゃ、入れてもらえない。寺院は大理石を積み上げてこしらえてて、クソ暑かった時期なのに、中はひんやりしている。冬場の寒さはいかほどだろうか?色々思い出してしまう。

 今日は個人宅での演奏会に行ったのだが、おばさん軍団に辟易して帰ってきた。ああいうおばさん達、最近はどこにでも出没する、まったく傍若無人だよなあ。ウンザリする。社会的な訓練を全く受けていない感じなんだよね。携帯で写真を撮りまくってるのを見て、携帯写真っておばさんたちの遊びツールなんだなあ、と実感。演奏もパッとしない。リズムを感じさせない演奏は、音楽からかけ離れていると思うんだけど。で、演奏の合間にやたら作曲家について解説されて困った。別に音楽史を教えてもらいに来たわけじゃないんですが。法王が亡くなられた日なんだし、演目がイタリア初期バロックだった(カトリックと関係の深い音楽家達の曲)んだもの、そんなに解説するなら、なにか別の意味で配慮してよ・・・・・・。そう思ったのはどうもあっし一人だけだったみたい。
 なんだろう、結局、音楽に対する慈しみを感じないんだよ。知識じゃ、音楽は創れないと思う。知識の裏付けは大切だけど。


コメント
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