なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

飼い主

2018年03月18日 | 仕事
の大部分が「日本人」ってことで、日本人について。 

 なにしろ千年以上も昔から「和を以て貴しとなす」が国策みたいになっていた国の民族だもの、国内で内戦状態に陥っていたのは戦国時代と江戸~明治の変換期程度だし。大河ドラマではやたら戦国時代を舞台にしたがるが、要するに「ケンカしてどうこう」系の盛り上がりを作れる時代がそのくらいしかない、という事でしょう。
 戦国時代の大名は、かなり無理していたんじゃないかと思う。上杉謙信公は、間違いなくアルコール依存症だったでしょう。で早死にと。そんなのを散々見ていたから、徳川家康公は養生に励んだんでしょうね。いつ死ぬかわからん、誰かと常に角突き合わせて、というのは、日本人の気質にどうしても合わない点があるようだ。

 もう一つ、日本人はどうでもいいことについてまで生真面目である。ちゃんとしなくちゃ病って感じで、しかも、ちゃんとする「理由」は世間様だったり他人様だったりする。自分で決める、事が不得手。もっと言えば、責任が取れない。だから、リーダーに不向きなんですね。商工会に出入りしていると、シャチョーさんの大半がダメ社長っぽく見えるんだけど、不向きな人物がシャチョーやってるからじゃないかな、と思っちゃうのだ。自分で適切な判断が全くできないから人のせいにしちゃう、というような。

 そんな日本人が犬や子供を「しつけ」る、となると、その目的は結局「よそ様」になっちゃう。よそ様に迷惑にならないように、よそ様に後ろ指さされないように、という躾は、基準がないので、明快さに欠ける。そうでなければ、その時々の「気分」で「しつけ」てしまう。「しつけ」というのはれっきとした教育なんだけども、そういう認識に欠けた人間が気分でしつけると、簡単に虐待行為に落ちてしまうわけだ。この場合は、しつける側の「気分」が気圧みたいにしょっちゅう変動するので、しつけられてる側は全く気が休まらない。いつも顔色をうかがって行動する癖が付いてしまう。そういう人が誰かをしつけようとすると、まーた基準がなくなってしまう。この関係は簡単に支配被支配関係に陥りやすい。で、密室内の虐待だの監禁殺人だの、という事件につながるのだ。犬のしつけといえどもその辺の問題が噴出してくるときがあるから、油断ならない。

 さて、飼い主側の問題に「飼った経緯」を挙げたのは。猫の飼い主が猫について特段問題点を感じない理由の一つに、今はそうでもなくなっているが昔は「拾った」が、飼うきっかけになっているケースが大半だったことがあるのではないかと思っている。この場合、飼い主は「拾った」段階で、すでに腹をくくっている。このチビは病気もあるかもしれないしノミがたかっているかもしれない、金もかかるだろう、この辺を飲み込んで「拾って」くるわけだ。従って、猫に何一つ期待していない。

 犬はそうじゃない。拾い犬もいないわけではないが、特に今は圧倒的多数がペットショップやブリーダーからそこそこの大金を払って「買って」きている。「運命の出会い」とか何とかいうが、別にそんなことはなくて、その人が買わなけりゃほかのだれかが買うだけなんですけどね。しかし、金を払ったそれなりの見返りはあるよね、という期待は誰もが持つのではないかしら。子犬はそんな期待を意味なくかけられている。わざわざ厄介ごとを大金払ってしょい込んでしまった、とは考えたくないのが人間です。なかなか「買い主」「飼い主」に変身できないんですよ。

 もう一つ、困ったなと思っていること。家族からの「プレゼント」やら、子供世代からの「押しつけ」で犬を引き取らされる人が増えているのだ。最近目立つのは、子供世代(もちろん社会人・家庭持ちの人も多い)が犬や猫を飼った、のが、飼いきれなくなって実家に押し付けて逃げちゃうパターン。「飼う」現実を全く何も考えないで、オモチャ感覚で動物を買ってきちゃう、のがいい年した大人である、というのがね・・・・・。どうなってるんだろう?と不思議なのだが、これもその家庭の本来の親子関係が影響していることは間違いない。いい年した大人をその上の世代が未だ甘やかしている、という事か。
コメント
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