なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

柴犬

2018年03月17日 | 仕事
や、その系列の雑種犬がしかし、一番トラブルを起こしやすい、のには、これはもっと根深い理由があるので、じっくり説明しようと思います。

 そもそも、昭和という時代に犬を飼う目的は、多分基本的には「番犬」だった。庭を走り回って、道行く人にギャンギャン吠えていた犬は、その職務をきっちり履行していた、ともいえる。犬を「室内飼い」するなんて、考えもしない、のが普通だったんじゃないかと思う。

 ところが、平成になるあたりから、だんだんいわゆる「お座敷犬」が増えてきた。トイプードルとかあたりからかな。「トリミング」という職業が出てきたものその頃で、それ以前は仕事にならなかったと思うのだ。「犬種図鑑」みたいな本も出てきて、ブリーダーと呼ばれる繁殖業者が出てきて、あっという間に「室内飼い」が主流になってしまった。それにつれて、躾がやかましく言われるようになり始めた。要するに、犬を飼うのに向いていない日本家屋に犬をいきなり入れちゃって、うわートラブルだらけ、それをどうにかしなくちゃってんで「しつけ」でなんとかならんか、という事を、日本人は期待したんでしょう。

 それに伴って、あれこれ海外から「しつけ法」なるものが輸入されてきた。一番最初に入ってきたのが「人がリーダーになりましょう」という「α」がどうのこうの、という方法で、これが未だに幽霊みたく「犬のしつけ」というと出しゃばってくる。当時の日本人は、とにかく欧米に対しての劣等意識が酷くて、なんでもかんでも無批判に導入してしまう悪い癖があって、犬のしつけ法なんかはその最たるものだった。躾の根拠がよく分からないまま、一生懸命それを実行しちゃったのだ。

 ところで、西洋の犬と日本犬とは、品種としての成り立ちが全然違う。西洋犬は、原則すべて、なにがしかの「使役」目的があって、それに対応する形で変化したのが品種として固定される、を繰り返している。つまり、どの犬種も「人に対して」こういうお役目という上下関係が前提。キリスト教というバックボーンもある。キリスト教は、基本動物は全く考慮外の宗教で「動物福祉」というのも、原則的には「お気の毒だからどうにかしよう」的上から目線によるもの。だから、家畜が人に反抗なんてもっての外、と思っているフシがあるんです。西洋人は、老衰の犬を介護なんかまずしない。かーんたんに安楽死させちゃう人達なんですよね。で、それについて別段なんとも思っていないらしい。

 日本犬はどうかというと、「使役」目的で品種固定がなされたのは、狆(大奥のお座敷犬、というのは立派な使役です)と土佐犬・秋田犬(これらは『闘犬』として品種固定されている点に注意しなければならない)程度。あとはなんとなく人の周りをふらふらしていて、特に何かしている、という事もなかった犬どもを、それなりに同じような体型や毛色に整理して「犬種」として成り立たせた経緯がある。「外見」のみが犬種の固定に関わった。一応猟犬として使われていた犬もいたようだが、西洋の猟犬のようなシステマティックな訓練を受けて、というものではない。この辺りは、まず仏教という宗教上のバックボーンもあるし、江戸時代の「生類憐みの令」も影響しているんじゃないかと思う。江戸時代には、ウソみたいだが、犬や牛が人の代わりに伊勢参りとか善光寺参りとかを実行していた、らしい。この場合は、その辺の旅行者に順番に連れられて、見事往復を成し遂げる、ということができていた。ガブガブむやみに食いつくような犬はいなかった、けど、人との関りもそれほど強いものではなかった、はずなのだ。だから、誰に連れられてもホイホイついていったんでしょう。何となく適当に共存、という感じだろうと思われる。上下関係もくそもない、というわけですね。

 ところが、昭和あたりからちょっと事情が変わってきた。適当にはまずい、ちゃんと飼いましょう、ってまずなって、犬は外で飼うなら鎖でつないどけ、狂犬病の注射をしろ、というお上からのお達しがきつくなってきた。で、鎖でつないで飼うなんてかわいそうだなあという事で、室内飼い、なら躾しなくちゃ、というところに西洋式のしつけが入ってきた。リーダーにならなくちゃいけない、で、言うことをきかせないと、というのは、完全に「使役」目的の訓練法です。

 この西洋人が西洋の犬にずうっとやってきたしつけ法というのが、日本の犬には全く合わなかったのだ。今までマイペースで適当に人間と共存してきたのに、いきなり「座れ」とか言われて、ポカンとしていると「こいつは分かってない」とやられて、「しつけなきゃ」とポカポカ叩かれたりする。今まではうんちもシッコもその辺に適当に済ませてOKだったのに、なぜか、「ウンコするな、シッコするな」(トイレをしつけようとしてダメ出しすると、犬はその「場所」が抜け落ちた理解をします)と言われて、我慢できずにその辺にすると、頭をその場に擦り付けられて怒鳴られる、ってなことを繰り返されたら、誰だって「理不尽だ」となりますわね。で、ちょっとしたことでも身構えて人に咬みつく犬が出来上がり、となってしまったのだ。

 一方、このしつけ法は、他ならぬ「日本人」にも全く向いていなかった。なぜか?日本人は「リーダー」なんぞになれるタマじゃない、人が大多数だから。これがさらにトラブルと混乱を生むようになった。やりつけない事を無理してやると、ろくなことにならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問題行動

2018年03月17日 | 仕事
といわれているものについて、じゃあそれがどのような要因で「つくられるのか?」を考えてみると、こんな感じになりそう。



くくりは3つ。「犬」「飼い主」「環境」ですね。1つづつ検証してみましょう。

1)「犬」

 もうシンプル。何しろ動物です。単純なのだ。品種・ガタイ・本来の性格ーこれはかなり、そもそもの品種に依存しています・それに「今までされてきた事」が加わる。今までされてきた事に対して、前3つに基づいて行動しているわけ。

 例の「訓練所」にいた犬に、ある「品種」的な特徴がありそうなんだけど、お気づきでしょうか?原則「柴犬」あるいは「柴犬の雑種」というのが一番多い。若干ポメラニアンとかシェパードとかもいたけど、ほとんどが「雑種」というか、日本犬チックな外見の犬で、サイズ的には10㎏越えというところか。

 今までの自分の経験上も、トラブルになるのは、圧倒的に柴犬・または柴系の雑種が多い。次がゴールデンレトリバーの雄。追加してフレンチブルドッグやブルテリアのような犬。これには、明確な理由があるのだ。

 柴犬や日本犬の雑種については、他の犬種とはバックグラウンドの事情がだいぶ違うので、後で述べるとして。

 ゴールデンレトリバーなる品種は、シベリアンハスキーが大流行(これは、「動物のお医者さん」という罪作りな漫画の影響ですけど)から廃れてきて、保健所がハスキーだらけになった頃、でも、大型犬を飼いたい人たちが飛びついた犬だ。これの親戚のラブラドルレトリバーが盲導犬やら介助犬やらできびきび働いているのを見て、もうちょっと見てくれのいい犬、という事でゴールデンがはやったんじゃないかと思う。「おとなしくて躾がしやすくて」という見込みもあったでしょう。
 しかーし、それが大外れ、で困り果てるというケースが相次いだ。日本の一般家庭に大型犬は、基本的に「無理筋」なのだ。

 どういう事か?ここで「ガタイ」の問題が出てくる。ゴールデンやラブラドルという犬は欧米では、まだ「中型犬」扱いされちゃうんだけど、その理由は欧米人がグローブみたいな馬鹿でかい手を持ってて、そもそも欧米人のガタイが全然我々アジア人と違う、から。彼らは従って、犬に力負けしない。それから、背も高いから、犬に飛びつかれる程度でひっくり返るなんてことはないのだ。それに、土足で家を出入りして一日中靴を履いている彼らは、犬の「土足」にたいしても極めて鷹揚である。同じ理由で、彼らは床に物を置いたり、床にじかに座ったり、という事はしない。背が高いから、テーブルや椅子も背が高い。犬の顔も届きにくい。うまい具合に生活圏を分けることができる。

 ところが、日本人は違う。いいとこ170㎝位しかない我々にゴールデンの雄(30㎏以上ある)がワ~~イと飛びつくとどうなるかというと、後ろにひっくり返って頭を打つ。3㎏位の犬なら飛びついたって「まあ可愛い」で済むのに、30㎏の犬が同じことをすると「悪行」になってしまうのだ。
 ゴールデンには立派な尻尾がある。それを嬉しくて振り回すとどうなるかというと、コタツの上の物がすーべーてーなぎ倒される。コタツの上に食べ物を置くと、犬の真ん前に旨そうな食べ物が陳列されることになってしまう。誘惑が山ほど、やってはいけないことが小型犬の数十倍になるわけ。

 まあ、なんという理不尽

 それから、これは「品種」としての特徴になるが。「レトリーバー」という言葉の意味だが「retrieve:レトリーブ:回収する」からきている。狩りの獲物を回収するのが本来の仕事で、そのためなのか、とにかく何でもくわえてしまう。それだけならいいが、必ず齧る・壊す・家中をかじり倒してメッチャクチャにしてしまうのだ。子犬は基本的になんでも齧りたがるが、レトリーバー系の犬はそのレベルが最大級。大型犬だけに、やる事が凄まじい、と判断される。
 そのために犬に家をぶっ壊されて怒り心頭、という人が多く出た。元々そういう犬なんだからしょうがないでしょう、と言うのだが、そんなこと知らなかった、おとなしいと思ってたのに、と言い募った人たちが犬とケンカして、険悪になった挙句、犬を庭に追い出すそしたら今度は庭の土を掘り返しまくって南半球まで掘り進もうかって勢いになる。立派な芝生をめちゃくちゃにされて、さらに怒りが爆発、というパターンでしょうか。庭にも彼の安住の地はなくなって、で、最後は飼い主に咬みつくことになる。

 フレンチブルドッグやブルテリアの場合はどうだろうか。サイズ的には、日本人の手にぎりぎり負えそうなのだが、そうはいかない点がある。元々「闘犬」だったということ。闘犬上がりの犬だから、カッとなると手に負えなくなる。ブルテリアは、困ったことにその「カッとなる」のが表情から把握しづらい。熊もそうなのだが、無表情で怒る。ので、飼い主側からすると「いきなり本気で咬んできた」ということになるのだ。ピットブルテリアはその最終型。根っからの闘犬でケンカ慣れしてしているところへもってきて、テリア系の犬に特有の敏捷さがあるので(テリアからすれば、我々人間はスローモーションで動いているように見えるでしょうなあ)出し抜くのも上手い。これもね、そもそもそういう犬なんだから、しょうがないでしょ、となっちゃうんだけども。フレンチブルドッグの厄介な点は体形にある。ずんぐりむっくり、というガタイは可愛らしいのだが、取り押さえようとすると、あれほど難しい犬はない。なにしろエリザベスカラーを付けられないのだから。で、口がやたら大きいので、いざ攻撃モードに入られると、飼い主がどうにかするのは至難の業なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする