ココアのhappy palette

小さなしあわせさがして…

10年前、3月11日の記憶

2021年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

明日で東日本大震災から、10年経ちます。

3月11日の記憶を呼び戻してみました。

 

あの日は、会社のある中野で午前中仕事をしたあと

同僚と遅めのランチをして、

お店で会計を済まそうと思っていたところに

グラッと揺れ始めました。

このお店は、古いビルの上に地下だったので

急いで会計を済ませて、アーケードのある商店街に出ると

アーケードの屋根は、波を打つように揺れていて

コートのフードを被って、中野通り側に避難。

駐車している車は前後左右、上下にも激しく揺れていました。

何が起こっているのか、とにかく確認。

携帯のTVで、東北で大きな地震が起こったことを知りました。

東京は震度5強、初めての体験。

地震が起こらなければ、同僚と新宿に

ブランドセールに行く予定でした。

なので、この日の通勤は自転車ではなかったので

急いでバスに乗って、家路を急ぎます。

それでも、余震がくるたびに、信号でなくてもバスは止まります。

何度も止まりながら、家に着くと

おかげさまで、被害は少なかった。

 

食器棚は、しっかりと扉のロックがかかり、何も落ちず

ガスは安全ロックで止まっていたので、解除。

それでも3階に行くと、いくつも物が落ちていましたが

割れたり壊れたりはしていなかった。

 

家族が元気なことを確認。

次男は、北千住の勤務先で一晩泊まることになり

主人は、夜中に銀座線が走り出し、神田から赤坂見附までは来れた。

その先は動かないので、なじみのバーでお酒を飲んで朝帰宅(笑)。

家族が無事で安心しましたが、

 

私は乳がんの手術をして、2か月経過をしていて

次の週から、放射線治療の予定でした。

御茶ノ水の大学病院まで、25日間通わなくてはいけなかった。

計画停電も叫ばれていて、中止になったらどうしよう。

放射線は1ミリたりとて、ずれてはいけないもので、

治療台の上で揺れたらどうしようと心配はつのりましたが

無事に25日間通うことができました。 

ブログの友達からは、乾電池やお野菜などを送ってもらったり

心配をしてもらったりと、ありがたかった。

 

10年はあっという間のように感じます。

被害に遭われた方は、10年前に時間が止まったままの方も

いらっしゃることでしょう。

それに追い打ちをかけるような、コロナ禍。

これも10年後は、終息もしてこんなことがあったよねと

話せる日も来るといいですね。

 

気分を変えて、

最近の癒しは、このニベア缶。

去年の年末に買った、ニベア缶。

毎晩お風呂上りの乾燥した肌に、つけていますが、

山田花菜さんの「秘密のパーティ」という限定デザイン。

こっそりとパパの誕生パーティの準備中のイラストみたいです。

可愛くて、お気に入りです。

今販売されているのは普通の青缶ですが、

蓋だけこれを使おうと思っています。

毎年、限定のデザイン缶が出ているみたいなので

今年も楽しみです。

 


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26 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (チョコレーゼ)
2021-03-10 21:02:26
ココアさんが乳がんの手術を受けてから10年経ったのは知ってましたが、
あの震災の後だったとは、ビックリでした。
これはココアさんには絶対に忘れられない年になりますよね。
うちの父の誕生日が3月11日で、この日におめでとうって
言うのが震災後はちょっと気が引けたりもしましたねー
あの日は横浜はずーっと停電が続いていたし
夫を迎えに行くのに3時間かかって夜中の4時頃
やっと夫と会えて大変だった事を覚えています。
災害時はまずは家族の確認ですよね。
来年はコロナが昔話になっている事を願います><
返信する
チョコレーゼさんへ (ココア)
2021-03-10 21:47:52
乳がんの手術は1月でした。
放射線治療が3月の中旬だったんです。
福島の原発のこともあり、
放射線治療は少し怖かったです。

コロナ禍、まだまだ続きそうです。
コロナによって、生活が変わりつつあります。
以前の生活には戻れないのかも。
返信する
東京、それほど揺れたのですね (くちかずこ)
2021-03-10 22:24:35
くちこは、治験管理室の自分の机で仕事をしていたら、同僚が飛び込むように部屋に走り込んできて、
「大変なことになってる、テレビつけて!」と。
会議室のテレビを付けたら、ビックリな映像!
これが、本当に現実なのかと。
信じられない光景が。
日本が削り取られたと思いました。

ココアさんは、オペ後二か月だったのですね。
くちこは、くちこ自身が知らない間に災害派遣チーム員の候補になり、それを上司が却下していたのでした。

コロナ禍、
十年後、どうなんだろう・・・・
いたちごっこみたいな、
もぐらたたきみたいな、
どうも、冴えないですよね。
返信する
東日本大震災 (ケイ)
2021-03-10 23:44:13
10年の歳月って 長いですけど
あっという間だったような・・・・
ココアさんと 新宿ランチで 乳がんを告げられたのが 10年前でしたね。
ちょっと前だったような気がします。
忘れられない年ですよね。
私も 孫王子が 生まれて4日後の地震で
アタフタして 大変でした^^

コロナは 変異ウイルスとか 出て来ているので
この先 どうなるのでしょうね~
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10年 (mcnj)
2021-03-11 10:00:55
お早うございます。

東京も、かなり揺れたのですね。
TVを見ていたら、四日市も揺れました。
大きくはなかったのですが、ゆっくりと長い波長の揺れでした。
地震情報が出る程の揺れではなかったようです。
阪神淡路大震災の時は、震度4の揺れでしたが。
今まで経験した中では、最高の揺れでした。
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東日本大震災 (お福)
2021-03-11 11:11:55
ココアさん、乳がん手術の二か月後だったんですね。
随分心配されたでしょう。
ご子息様もご主人様も大変でしたね。
ご家族様もお家の方もおおきな被害はなくてほんとによかったです。

私は、地下鉄大江戸線の改札で地震にあいました。
突然気分が悪くなり、うずくまりました。うずくまる瞬間、救急車、死というものが頭をよぎった記憶があります。
お茶のお稽古で東京道場に行った帰りでした。
一瞬意識がなくなったようで、連れの方から、地震のようです、とおおきな声で気が付き、とにかく上にでましょう、というのでささえていただきながら地上にでました。
運よくタクシーが来たので新宿まで行ったのですが、もう新宿は帰宅難民でいっぱいでした。
小田急線もストップでしたので、私も帰宅難民になってしまいました。
携帯に息子宅から、連絡ください、とはいるのですが、私の方からは連絡できなかったので、随分息子達は心配したようです。

あら、とってもかわいいニベア缶ですね。
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テレビ (hirorin)
2021-03-11 14:20:27
テレビの津波の映像が怖かったのを覚えています。
どうなるんだろう?と思ったことも。
仙台空港で、息子の知り合いが犠牲になったり、東北の水産会社に内定が出てた友達が取り消しになったことやら。

関西では被害はなかったけれど、自衛隊や警察が災害救助に向かうのを高速で見たことがあります。

一瞬で当たり前が変わってしまいますから、それほど怖いことはないですよね。
今のコロナもいつかは収束するのだろうけど、どうなるのかな?と思います。

ニベア缶、可愛いですね。
やっぱり、可愛いカンカンのは買いたくなります。
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Unknown (やっこ)
2021-03-11 18:04:49
10年前の今日は夜、仲間の人たちとの飲み会の予定だったので、ちょっと昼寝をしていたんです。
そしたら大揺れで、思わず買ったばかりのテレビがテレビ台からずれ落ちないよう必死に押さえました。
その後、電話も不通、携帯も不通。
主人は一晩会社で泊まり次の日のお昼くらいに電車を乗り継いで帰ってきました。
その後も何度も揺れて恐かったですね~。
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くちこさんへ (ココア)
2021-03-12 16:49:32
放射線治療が混んでいて、やっと始まるという時だったので
延期になったらどうしようと思いました。
東京は、それほどの被害がなくてよかったですが
しばらく余震があって母が怖がっていました。
昨日は、津波の映像を何度も見て、
心が痛みました。
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ケイさんへ (ココア)
2021-03-12 16:53:40
3.11を思い出して、記事を書きました。
乳がんとともに、忘れられない年でした。
10年、いろいろありましたが、あっという間に感じます。
関東も直下型地震がいつあっても、おかしくないようです。
それにコロナと、心配事が絶えません。
緊急事態宣言も、3月いっぱいになりそうな気配。
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