生意気盛りのこどもは、なかなか言うことを聞かない
(頃があった)。
苦笑いしながら、このこは選択性難聴のようだ、と評した。
夏の日盛りに散歩をして汗だくになるものだから
私の体やバッグや帽子、衣類が強烈に汗臭いという。
汗臭いというより一種異様な、強いて言えば「饐えた」臭い
らしい。
私は動き回れば汗もかくし私を含め持ち物、衣類が汗臭く
なるのは当然だろうが耐えられない悪臭というものでも
なかろう、と反論する。
が、私の嗅覚は鋭くないので反論はそこまで。
でも、朝の今川焼の甘ったるい匂いは扇風機の風上で
あってもちゃんと感じている。
五感というのは安全に生命を維持するために備わっている
能力なのだろうが、飽食の時代にあっては美意識の
ひとつなのかも知れぬ。
したがって、ある程度の不快な臭いであっても危険が
なければ無視することが快適である。
どうやら私はそういう嗅覚に進化したようだ。
私はこれを「選択性嗅覚」と称することにしている。
難聴とか選択性難聴は困ったものであるが
「選択性嗅覚」は困らない。
こういう得手勝手な能力のために「鋭い嗅覚」の持ち主との
コンフリクトはままあるのは仕方ないと諦めている。
そいうわけで今日もバッグを洗濯するようだ。
(頃があった)。
苦笑いしながら、このこは選択性難聴のようだ、と評した。
夏の日盛りに散歩をして汗だくになるものだから
私の体やバッグや帽子、衣類が強烈に汗臭いという。
汗臭いというより一種異様な、強いて言えば「饐えた」臭い
らしい。
私は動き回れば汗もかくし私を含め持ち物、衣類が汗臭く
なるのは当然だろうが耐えられない悪臭というものでも
なかろう、と反論する。
が、私の嗅覚は鋭くないので反論はそこまで。
でも、朝の今川焼の甘ったるい匂いは扇風機の風上で
あってもちゃんと感じている。
五感というのは安全に生命を維持するために備わっている
能力なのだろうが、飽食の時代にあっては美意識の
ひとつなのかも知れぬ。
したがって、ある程度の不快な臭いであっても危険が
なければ無視することが快適である。
どうやら私はそういう嗅覚に進化したようだ。
私はこれを「選択性嗅覚」と称することにしている。
難聴とか選択性難聴は困ったものであるが
「選択性嗅覚」は困らない。
こういう得手勝手な能力のために「鋭い嗅覚」の持ち主との
コンフリクトはままあるのは仕方ないと諦めている。
そいうわけで今日もバッグを洗濯するようだ。
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