今日は午後1時に横浜中華街で関東在住の大学同期の集まりがあった。
時間丁度に着いたら既に皆さん集まってメニューを思案していた。
飲茶と飲み物の食べ放題で存分に飲食と歓談した。
この時間でもまだお腹がすいていない。恐るべし中国3000年の中華料理。
11名も集まり盛況のうちに3時過ぎにお開きになる。
昨夜、したのこが友達と会食し、内定もらえてよかったね、とお祝いの花束を頂いた。
今朝、家内が出窓に飾った。
【したのこが内定祝いを頂いたとのこと】
直接会場に行くのは、久々の横浜でもったいないと思い少し早めに出かける。
多摩は小雨が降っていたが、横浜桜木町では止んでいた。
で、赤レンガ地区に行く途中の遊歩道を散策することにした。
【港みらい地区】
途中からランドマークタワーがしっかり捉えられる位置にきたので写す。
【ランドマークタワー】
赤レンガ倉庫街は横浜開港150年祭とのことでお祭り広場になっていた。
【赤レンガ倉庫街】
倉庫街の先端からは大桟橋が見え、ランチクルーズが今まさに出港するところであった。
【ランチクルーズ】
倉庫街では、特設の施設でワイヤで引っ張るサーフィンやあちこちでライブ演奏をしていた。
【ライブ】
しばらく遊歩道が続き大桟橋の下の道路に「あかいくつ」のバスだ。
この歌の発祥の地だと納得する。
【あかいくつのバス】
大桟橋地区ではボート競技をしていた。山下公園沿いに氷川丸近くまで漕いでいく。
賑やかなことである。
【大桟橋とドラゴンレース】
そんな山下公園に「赤い靴の少女」像を見つける。
こどもの頃、田舎から横浜に移った少女がたまたま帰省してきた。
垢抜けた清楚な感じの少女に眩しいものを感じたのもとっくの昔の事だ。
【赤い靴の少女】
氷川丸が稼働を止めてここに繋留されてどのくらいの年月が経たのだろう。
船に感情があるなら、外洋を走ることをやめてどう思っているのだろう。
【氷川丸】
山下公園から中華街へはこの東門から入る。
週末のお昼時ということもあり多くの人で賑わっていた。
修学旅行とおぼしき生徒らの姿も多く見かけた。
【中華街東門】
今日は飲茶と飲み物が食べ放題とのことで、飲茶を目一杯頼んだら一気に山のように運ばれてきた。
11人がせっせと食べたのは言うまでもない。みな元気で旺盛な食欲で喜ばしい。
【飲茶の山】
3時過ぎにお開きとなりみなと再会を約して別れる。
私は、外人墓地方面の急坂を登る。娘さんが元気の良い足取りで私を追い越していく。
坂を登りきって左折するとフエリス女学院の校舎である。
さらに行くと外人墓地があり、その先は港が見える丘公園である。
そこからマリンタワーやみらい地区が遠望できるし、眼下には横浜港が広がる。
【港が見える丘公園】
この公園を歌った歌碑がある。
帰宅してしたのこどもに、この公園知ってる?この公園の歌があるんだよ、聞かせようか?
別に本人が求めもしないのにこの歌碑の部分を歌う。実に身勝手なオヤジだ。
【「港が見える丘♪」の歌碑 】
そろそろ帰ろうかと歩いて行くと木立のなかに母親と二人のこどもの像が。
近寄ると、昔、米軍機が墜落事故を起こしその犠牲になった親子を偲んで制作された。
もう、あれから35年前後も前になる。
私の入社した頃で、墜落地点は寮の近くの新興住宅地である。
パイロットは墜落前に脱出。いたましいことだ。
【横浜市緑区米軍機墜落事故犠牲者の碑】
横浜スタジアムの横を通りながら関内駅から乗車し6時半頃帰宅する。
雨も小康状態でおおいに、かつ、久々に横浜を散策し、
皆と談笑、大いに飲食し楽しいひと時が過ごせて大満足な一日であった。
時間丁度に着いたら既に皆さん集まってメニューを思案していた。
飲茶と飲み物の食べ放題で存分に飲食と歓談した。
この時間でもまだお腹がすいていない。恐るべし中国3000年の中華料理。
11名も集まり盛況のうちに3時過ぎにお開きになる。
昨夜、したのこが友達と会食し、内定もらえてよかったね、とお祝いの花束を頂いた。
今朝、家内が出窓に飾った。
【したのこが内定祝いを頂いたとのこと】
直接会場に行くのは、久々の横浜でもったいないと思い少し早めに出かける。
多摩は小雨が降っていたが、横浜桜木町では止んでいた。
で、赤レンガ地区に行く途中の遊歩道を散策することにした。
【港みらい地区】
途中からランドマークタワーがしっかり捉えられる位置にきたので写す。
【ランドマークタワー】
赤レンガ倉庫街は横浜開港150年祭とのことでお祭り広場になっていた。
【赤レンガ倉庫街】
倉庫街の先端からは大桟橋が見え、ランチクルーズが今まさに出港するところであった。
【ランチクルーズ】
倉庫街では、特設の施設でワイヤで引っ張るサーフィンやあちこちでライブ演奏をしていた。
【ライブ】
しばらく遊歩道が続き大桟橋の下の道路に「あかいくつ」のバスだ。
この歌の発祥の地だと納得する。
【あかいくつのバス】
大桟橋地区ではボート競技をしていた。山下公園沿いに氷川丸近くまで漕いでいく。
賑やかなことである。
【大桟橋とドラゴンレース】
そんな山下公園に「赤い靴の少女」像を見つける。
こどもの頃、田舎から横浜に移った少女がたまたま帰省してきた。
垢抜けた清楚な感じの少女に眩しいものを感じたのもとっくの昔の事だ。
【赤い靴の少女】
氷川丸が稼働を止めてここに繋留されてどのくらいの年月が経たのだろう。
船に感情があるなら、外洋を走ることをやめてどう思っているのだろう。
【氷川丸】
山下公園から中華街へはこの東門から入る。
週末のお昼時ということもあり多くの人で賑わっていた。
修学旅行とおぼしき生徒らの姿も多く見かけた。
【中華街東門】
今日は飲茶と飲み物が食べ放題とのことで、飲茶を目一杯頼んだら一気に山のように運ばれてきた。
11人がせっせと食べたのは言うまでもない。みな元気で旺盛な食欲で喜ばしい。
【飲茶の山】
3時過ぎにお開きとなりみなと再会を約して別れる。
私は、外人墓地方面の急坂を登る。娘さんが元気の良い足取りで私を追い越していく。
坂を登りきって左折するとフエリス女学院の校舎である。
さらに行くと外人墓地があり、その先は港が見える丘公園である。
そこからマリンタワーやみらい地区が遠望できるし、眼下には横浜港が広がる。
【港が見える丘公園】
この公園を歌った歌碑がある。
帰宅してしたのこどもに、この公園知ってる?この公園の歌があるんだよ、聞かせようか?
別に本人が求めもしないのにこの歌碑の部分を歌う。実に身勝手なオヤジだ。
【「港が見える丘♪」の歌碑 】
そろそろ帰ろうかと歩いて行くと木立のなかに母親と二人のこどもの像が。
近寄ると、昔、米軍機が墜落事故を起こしその犠牲になった親子を偲んで制作された。
もう、あれから35年前後も前になる。
私の入社した頃で、墜落地点は寮の近くの新興住宅地である。
パイロットは墜落前に脱出。いたましいことだ。
【横浜市緑区米軍機墜落事故犠牲者の碑】
横浜スタジアムの横を通りながら関内駅から乗車し6時半頃帰宅する。
雨も小康状態でおおいに、かつ、久々に横浜を散策し、
皆と談笑、大いに飲食し楽しいひと時が過ごせて大満足な一日であった。
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