今日は七夕。
夕方の一雨とその後も雲が途切れる事もなく生憎の七夕の夜だ。
子供たちが小さい頃、一度だけ近くの竹林から竹を失敬してきて、
それに短冊やらの飾りをつけて玄関先に取り付けたことがある。
子供たちは覚えているだろうか?
七夕といえば、秋田の竿灯や仙台や平塚の賑やかなお祭りが
有名だが、平塚のそれには昼間出かけたことがある。
夜はもっと多くの人出だそうだが、それでも多くの人波で子供たち
を連れての見物は難儀であった。
ああいう大規模なお祭り、賑わいもいいのだろうが、なんだか
「電車男」の周りの注視、声援みたいで彦星・織姫も大変だな、
という感じである。
七夕はもっと静かなもの、そっと見守るあたりが風情があって
よろしい。
私が子供の頃、近くの地区で七夕祭りがあった。
山あいの川を挟んだ二つの地区の山腹の双方から、竹に多くの小ぶりな
提灯と短冊を付けた行列が下りてくる。
やがて、双方の行列は川にかかる橋にさしかかり橋の中央で相まみえる。
そして、橋の欄干から竹を川中に投げ落とす。
まぁ、そんな感じの行事なのだが。
灯りの少ない山村で、暗闇の中を山腹から多くの提灯の明かりが
ゆらめきながら、ゆっくりと移動していく様は、子供心に幻想的な
ものを感じた。
それは、牛飼いと機織りの二人の度重なる逢瀬が天上人の怒りにふれ、
年1回の出あいにされたという悲しい物語を強く印象付ける行事でも
あった。
今は、子供も少なく、田舎ではその行事も廃れて久しい。
翌朝、小学校へと向かう橋の欄干から下をのぞくと、昨夜の竹が
残っていた。
それも、やがて降雨による増水で海へと流され、その行事の感動も
薄れて日々の経験の中に埋没していった。
夕方の一雨とその後も雲が途切れる事もなく生憎の七夕の夜だ。
子供たちが小さい頃、一度だけ近くの竹林から竹を失敬してきて、
それに短冊やらの飾りをつけて玄関先に取り付けたことがある。
子供たちは覚えているだろうか?
七夕といえば、秋田の竿灯や仙台や平塚の賑やかなお祭りが
有名だが、平塚のそれには昼間出かけたことがある。
夜はもっと多くの人出だそうだが、それでも多くの人波で子供たち
を連れての見物は難儀であった。
ああいう大規模なお祭り、賑わいもいいのだろうが、なんだか
「電車男」の周りの注視、声援みたいで彦星・織姫も大変だな、
という感じである。
七夕はもっと静かなもの、そっと見守るあたりが風情があって
よろしい。
私が子供の頃、近くの地区で七夕祭りがあった。
山あいの川を挟んだ二つの地区の山腹の双方から、竹に多くの小ぶりな
提灯と短冊を付けた行列が下りてくる。
やがて、双方の行列は川にかかる橋にさしかかり橋の中央で相まみえる。
そして、橋の欄干から竹を川中に投げ落とす。
まぁ、そんな感じの行事なのだが。
灯りの少ない山村で、暗闇の中を山腹から多くの提灯の明かりが
ゆらめきながら、ゆっくりと移動していく様は、子供心に幻想的な
ものを感じた。
それは、牛飼いと機織りの二人の度重なる逢瀬が天上人の怒りにふれ、
年1回の出あいにされたという悲しい物語を強く印象付ける行事でも
あった。
今は、子供も少なく、田舎ではその行事も廃れて久しい。
翌朝、小学校へと向かう橋の欄干から下をのぞくと、昨夜の竹が
残っていた。
それも、やがて降雨による増水で海へと流され、その行事の感動も
薄れて日々の経験の中に埋没していった。
>翌朝、小学校へと向かう橋の欄干から
これも夏休みに入ってからのことですので、
盆休み前までのラジオ体操が小学校の校庭で
行っていたので、その時橋の上から見たのです。
あの頃は、朝のラジオ体操の帰りに地区の子供たちは
地元の神社の広間で集団学習を10時頃まで行い、
その後お昼までチャンバラごっこやあり地獄に
蟻を投げ込んでみたりとか、他愛もない遊びの時間を
過ごし、昼食後はお昼ねしたり、小学校の旗の掲揚ポールに
川で水泳可能の白旗を確認し川遊びしたり、
または、百草(もぐさ)刈(学校備品整備資金稼ぎ)を
したりと、
今思うと、それなりに計画的な夏休みだったような。
夜は夜で花火とか蛍狩りとかで秋の農作業前のそれなりの
忙しい一日のうちに熟睡していたような気がします。