夜半に雨が降ったようで朝方も小雨が残っていた。
秋冷となればいいのだが蒸し暑さが残る。
7時過ぎに傘持参で散歩に出る。
今日は大栗川沿いに歩いてから府中四谷橋を渡り関戸橋から再び多摩に戻り交通公園へ。
関戸橋から交通公園あたりで雨が降り出したので傘を差す。
出がけのタイミングで雨が降っていれば取りやめるのだがいったん出てしまえば雨具などの用意さえあればどうでも良くなる。
散歩続行で聖ヶ丘遊歩道を上がり多摩東公園から団地街の遊歩道を歩いて富士見通りへ。
そこから多摩センター方面に下り11時過ぎに帰宅する。
雨が時折降っていたが本降りにならなくて幸いだった。
そこそこ満足の行く散歩であった。
お昼はそうめんを作って食べる。
具を買ってこなかったので刻み葱のみの素そうめん。
昨夜見た「イーオン・フラックス」。
アニメの実写映画化作品のようでCG使いまくりに辟易したのは事実だ。
でも、散歩しながら映画の内容を反芻して思ったのだが、
「不老不死」というのは個人の記憶を可搬することで実現できるのでは?、と。
自然妊娠させないで保管したDNAでクローンを生成することで世代交代させるということは、そこに記憶の移し替えができれば実質的な「不老不死」の実現になるのではなかろうか。
こうなれば、もはや肉体は記憶の乗り物に過ぎなくなり、乗り換えることで記憶は継続できる。
否、肉体すら不要であろう。記憶を継承できさえすればいいのだから無機物でも問題ない。
そうすると記憶の共有化なんて簡単なものである。
記憶の共有化はすなわち単一の記憶となる。その時点で個人とか個性は消滅する。
なんだか小説『ソラリスの陽のもとに』の世界そのものではないか。
そんな埒もないことを考えながら夫婦別姓のことも。
姓の同一記載を戸籍に求めないなら現行の戸籍制度の仕組みを抜本的に見直す必要があるように思う。
つまり、夫婦とか家族とかは姓の同一性で外見で認識できないのなら、そのような情報で戸籍制度を維持できない。
夫婦別姓を唱導する人たちは別姓でも婚姻関係を戸籍制度に求めている。この矛盾に気づかないのか、気づかないふりしてのことなのかは知らない。
いずれにせよ「戸籍制度」を維持するためには現行の仕組みでは困難とわりきることだ。
私は、戸籍制度の目的を維持するには、個人に割り振られた管理番号と個人を識別するDNA情報のようなもので再構築するのがいいように思う。
もう、姓名なんてハンドルネームみたいなもので好きにすればよい。
その代り法的な証明が必要なら戸籍に登録された「管理番号とDNA情報」と本人の提示する「管理番号とDNA情報」の照合で本人確認をすればいいだろう。
夫婦別姓は国民総背番号制度によって担保できることになりそうだ。
これでなりすましとか国民の義務の回避は不可能となろう。
国民全体がガラス張りになれば統治もしやすかろうて。
権力は予期せぬ動きの中から人心を掌握統制していく。
夫婦別姓の動きが反権力から出ているとも思えない。
そんな妄想じみたことも散歩の中でちっとだけ思っても見た。
ところで、東京五輪の開催が決まっておめでたいことだ。
阿波踊りのように踊るも踊らないも人それぞれ。
-追記-
何でこんなことを考えたかと、つらつら思いめぐらしていたら散歩中に河島英五の「てんびんばかり」を聞いたからだ。
歌詞の一部に
「うちの仔犬はとても臆病で一人では街を歩けない
首輪をつけるととても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう♪」
と、これに触発されたようだ。
彼の精いっぱいの皮肉はどこまで届いているのだろうか?
---------------------
本日の歩行:23,853歩
歩行距離:18.0㎞
消費カロリー:971kcal
脂肪燃焼量:69g
歩行時間:2時間35分
活動量:17.1Ex
秋冷となればいいのだが蒸し暑さが残る。
7時過ぎに傘持参で散歩に出る。
今日は大栗川沿いに歩いてから府中四谷橋を渡り関戸橋から再び多摩に戻り交通公園へ。
関戸橋から交通公園あたりで雨が降り出したので傘を差す。
出がけのタイミングで雨が降っていれば取りやめるのだがいったん出てしまえば雨具などの用意さえあればどうでも良くなる。
散歩続行で聖ヶ丘遊歩道を上がり多摩東公園から団地街の遊歩道を歩いて富士見通りへ。
そこから多摩センター方面に下り11時過ぎに帰宅する。
雨が時折降っていたが本降りにならなくて幸いだった。
そこそこ満足の行く散歩であった。
お昼はそうめんを作って食べる。
具を買ってこなかったので刻み葱のみの素そうめん。
昨夜見た「イーオン・フラックス」。
アニメの実写映画化作品のようでCG使いまくりに辟易したのは事実だ。
でも、散歩しながら映画の内容を反芻して思ったのだが、
「不老不死」というのは個人の記憶を可搬することで実現できるのでは?、と。
自然妊娠させないで保管したDNAでクローンを生成することで世代交代させるということは、そこに記憶の移し替えができれば実質的な「不老不死」の実現になるのではなかろうか。
こうなれば、もはや肉体は記憶の乗り物に過ぎなくなり、乗り換えることで記憶は継続できる。
否、肉体すら不要であろう。記憶を継承できさえすればいいのだから無機物でも問題ない。
そうすると記憶の共有化なんて簡単なものである。
記憶の共有化はすなわち単一の記憶となる。その時点で個人とか個性は消滅する。
なんだか小説『ソラリスの陽のもとに』の世界そのものではないか。
そんな埒もないことを考えながら夫婦別姓のことも。
姓の同一記載を戸籍に求めないなら現行の戸籍制度の仕組みを抜本的に見直す必要があるように思う。
つまり、夫婦とか家族とかは姓の同一性で外見で認識できないのなら、そのような情報で戸籍制度を維持できない。
夫婦別姓を唱導する人たちは別姓でも婚姻関係を戸籍制度に求めている。この矛盾に気づかないのか、気づかないふりしてのことなのかは知らない。
いずれにせよ「戸籍制度」を維持するためには現行の仕組みでは困難とわりきることだ。
私は、戸籍制度の目的を維持するには、個人に割り振られた管理番号と個人を識別するDNA情報のようなもので再構築するのがいいように思う。
もう、姓名なんてハンドルネームみたいなもので好きにすればよい。
その代り法的な証明が必要なら戸籍に登録された「管理番号とDNA情報」と本人の提示する「管理番号とDNA情報」の照合で本人確認をすればいいだろう。
夫婦別姓は国民総背番号制度によって担保できることになりそうだ。
これでなりすましとか国民の義務の回避は不可能となろう。
国民全体がガラス張りになれば統治もしやすかろうて。
権力は予期せぬ動きの中から人心を掌握統制していく。
夫婦別姓の動きが反権力から出ているとも思えない。
そんな妄想じみたことも散歩の中でちっとだけ思っても見た。
ところで、東京五輪の開催が決まっておめでたいことだ。
阿波踊りのように踊るも踊らないも人それぞれ。
-追記-
何でこんなことを考えたかと、つらつら思いめぐらしていたら散歩中に河島英五の「てんびんばかり」を聞いたからだ。
歌詞の一部に
「うちの仔犬はとても臆病で一人では街を歩けない
首輪をつけるととても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう♪」
と、これに触発されたようだ。
彼の精いっぱいの皮肉はどこまで届いているのだろうか?
---------------------
本日の歩行:23,853歩
歩行距離:18.0㎞
消費カロリー:971kcal
脂肪燃焼量:69g
歩行時間:2時間35分
活動量:17.1Ex
南大沢から八王子までのサイクリングコースを教えてください。
私見ですが、
1)地図などを参考にして自ら走ってみてナットこのコースを決める
2)早く八王子(駅)に行くなら、尾根緑道に出てフィットハウスのところから16号を北上し野猿街道を右折するコース
3)自転車乗りは最短距離を選んではいけません。その意味では、尾根幹線で多摩川CRに出て府中四谷橋から浅川CR経由の八王子ですね。
ご参考にどうぞ。
ところで南大沢でまったりと飲める場所を見つけましたかね?3,4つくらいは候補をあげれますよね?(笑
期末でお忙しいようでしたらその内ということでお待ちしてます。ヒマ全開なので・・・
馬刺しとか色々とあります。
電車で八王子に出るのは辛いですね…
野猿街道、まっすぐ、一度、試してみます。
ここは屋外でまったりとしたいものです。
八王子ですが、鉄道だと橋本乗換300円、バスだと南口から「八60」で350円がありますね。
自転車乗りは自転車で行くのがよろしいですね。
気楽な散歩者は6月23日に北野まで歩いたので時間と道路事情を気にしなければ八王子なんて近いもんですよ。(南大沢からなら猶更ですね)
飲み屋、もう、少し偵察してきます。
いいとこでしょ。
大学があるので緑が多いのですが、坂が多いのが味噌です。まだ、道を把握していないので、探検に行かないと行けないと思っています。
飲み屋、焼き肉屋が良さそうです。