〈2014早大・教育
問1 下線部a10世紀の時代についての説明として正しいものはどれか。
ア 藤原道長の全盛を編年体で描いた『栄華物語』が書かれた
イ 漢文学の教養に基づき『凌雲集』などの勅撰の漢詩文集が編纂された
ウ 後一条天皇の時代までに詠まれた漢詩文を集めて「本朝文粋」が編まれた
エ 漢字の草書体などを崩した平仮名を使って『土佐日記』や『伊勢物語』が書かれた
オ のちに三筆と呼ばれた書の達人たちが肉太の力強い書を発展させた
(答:エ ※ア『栄華物語』は11世紀に成立した、イ『凌雲集』は9世紀に成立した、ウ『本朝文粋』は11世紀に成立した、オ三筆が活躍したのは9世紀である)
〈2014近大・法
問9 下線部dかな文学についての文として誤りを含んでいるものはどれか。次の1~4のうち一つを選べ。
1.かな文学が発達する前の9世紀前半には、漢文学の隆盛で和歌はまったく作られなかった。
2.かな文学に用いられた平がなは、万葉がなの草書体を簡略化して成立した。
3.広くかな文字が使用されるようになると、『竹取物語』や『伊勢物語』などのかな文学の作品も次々と著されるようになった。
4.かな文字で著された宮廷女流文学の代表的な作品には、清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』がある。」
(答:1)
〈2015関西大・法
(I)9世紀後半から10世紀にかけては、日本と大陸の関係が大きく変化することから、日本的な文化が発展するといわれる。ただし、『枕草子』にみえる「香炉峰の雪」の逸話からもうかがわれるように、当時の貴族や女房は『( 9 )』をはじめとする中国の詩文や書跡を愛好しており、中国文化をよく踏まえた上での日本文化ということができる。」
(答:9白氏文集※選択肢が25語あり)〉
〈2012同志社大学・文経済
【設問11】清原氏からは『後撰和歌集』の編集に関わった清原元輔など多くの歌人を輩出しているが、元輔の娘も一条天皇の中宮藤原定子に仕えた女房で、歌人でもあった。その人物名を解答欄に漢字で記せ。」
(答:清少納言)
〈2014立大・現代心理・コミュ福祉・経営
6.この10~11世紀の時期に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.今様などの歌謡集『梁塵秘抄』が編纂された
b.菅原孝標女が『更級日記』を著した
c.平仮名や片仮名の字形がほぼ一定した
d.藤原明衡が漢詩文集『本朝文粋』を編纂した
(答:a※治承年間1180年前後成立、b1059年以降、c11世紀の初めにはほぼ一定、d1037年頃成)
〈2015法大・文人間関係経営
問1 下線部、道長はb6人の娘を入内させ3代の天皇の外祖父となり権勢をほしいままにしたに関して、一条天皇の中宮となり、後一条・後朱雀天皇の母となった人物を、以下のア~オのなかから一人選べ。
ア寛子 イ盛子
ウ嬉子 エ彰子
オ妍子
問2 下線部bに関連して、一条天皇の中宮(彰子)に仕えた人物のうち、越前守藤原為時の娘を、以下のア~オのなかから一人選べ。
ア小野小町 イ清少納言
ウ和泉式部 エ赤染衛門
オ紫式郎
問3 下線部bに関連して、道長の娘(彰子)が一条天皇の中宮となったために、中宮から皇后にかわった人物(定子)の父を、以下のア~オのなかから一人選べ。
ア道隆 イ道兼
ウ兼家 エ兼通 オ頼忠
(答:1エ、2オ、3ア)
〈2015明治大・国語・政経
和泉式部と同じ一条天皇の后である彰子に仕えた女房を次の中から一つ選べ。
1菅原孝標女 2清少納言 3建礼門院 4紫式部 5藤原孝標母」
(答:4)〉