1266~1301
オゴタイ=ハンの孫のハイドゥがフビライ=ハンの即位に反対して起こした反乱。
ハイドゥは3代グユク=ハンの死後、モンケ=ハン、フビライ=ハンとトゥルイ家の即位が続き、オゴタイ家が圧迫されことに反発。
1259年にモンケが急死し弟のフビライとアリクブケが後継者争いを始めるとアリクブケに与し、アリクブケが敗北すると、帰順を要求するフビライの求めを拒否した。
1266年、ハイドゥは西北モンゴリアにいたクビライ配下の軍を攻撃して反抗の意図を明確にした。
80年頃には「ハイドゥ王国」を築き、ハイドゥはキプチャク・チャガタイ両ハン国と同盟して反抗を続け、1301年ハイドゥの戦傷死まで乱は40年余り続いた。ハイドゥの乱は皇位継承をめぐって亀裂の入っていたモンゴル帝国を,決定的に分裂させ,元朝の積極的な対外活動はこれによって大いに妨げられ、第3次元寇が計画倒れになる一因ともなった。
●ハイドゥの乱
ベック式ゴロ合わせ!
人にムムっと 不備排除。
1266年 フビライの即位に反対
ハイドゥの乱