1250年 アイユーブ朝滅び、マムルーク朝興る(~1517):都、カイロ。
人に号令 守るかい?
1250年 マムルーク朝 カイロ
1250年、アイユーブ朝の軍司令官によって建てられたスンナ派の( a )朝は
は、1517年にオスマン帝国の( b )によって滅ぼされた。
a アイユーブ b セリム1世
このマムルーク朝を滅ぼした際に、セリム1世が始めたのがスルタン=カリフ制です。
カリフは「宗教的権威」、スルタンは「世俗的権力」を持っており、イスラム世界で宗教上と世俗の権力者は長い間それぞれ分立していました。
マムルーク朝にはアッバース朝のカリフが亡命していたため、オスマン帝国によるマムルーク朝の撃破で、セリム1世がカリフの地位を奪い、スルタン=カリフ制が成立したとされています。