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北前船と内海船

2017-04-24 | 『新世界史頻出年代暗記』

酒田来たまえ鬱終わり。

[ポイント]

1.18世紀末から、日本海側の北前船(主寄港地酒田)と尾張発祥の内海船が大いに発展した。

[解説]

1.海運で菱垣廻船や樽廻船を凌駕する存在になったものに北前船(きたまえぶね)と内海船(うつみぶね)(尾州(びしゆう)廻船)がある。菱垣・樽廻船が運賃方式であったのに対し、買積船(かいづみぶね)方式(荷物を買い取り、他でそれを売って利ざやをえる)であった。また菱垣・樽廻船のように株仲間に従属していない、船主が荷主であるため、難破など事故がなければ大儲けできるハイリスク・ハイリターンだった。しかしこの自由な立場が政治・経済の変化への柔軟な対応を可能にし、明治時代に入り鉄道輸送にとって変わられるまで繁栄を続けることにつながった。

2.北前船は、河村瑞賢が開拓した西廻り航路を通って、蝦夷地(昆布・魚粉など)や本州日本海岸の物資(米など、主な寄港地は出羽国酒田(山形県))を運ぶ大動脈として発展した。敦賀・小浜(おばま)(ともに福井県)商人をはじめ各地の商人が参入したが最後は近江商人が覇権をにぎった。

3.内海船尾張国(愛知県)出身の商人たちがつくった廻船業組織で次第に菱垣廻船・樽廻船を凌駕するようになった。北前船とともに商船の拠点・終点は上方市場で、両者ともに18世紀末から明治の初めにかけて最盛期を迎えた。

4.その他、京坂間の淀川の運輸に従事した幕府公許の貨客船に過書船(かしょぶね)があった。業者仲間は幕府に運上金を納めた。

〈2016明大・情報〉
問1 下線部ア17世紀後半の時期の説明として、もっとも正しいものを、つぎの1~4のうちから1つ選べ。

 1.幕府は、糸割符制度を設けて、貿易統制を始めた

 2.上方を拠点とする井原西鶴が『好色一代男』を刊行した
 3.角倉了以は西廻り航路を整備し、北前船が就航しはじめた
 4.江戸の山東京伝が『仕懸文庫』を著した

(答:2 ※1×糸割符制度(1604)、3×角倉了以→河村瑞賢、4×山東京伝(1761~1816))〉


〈2014明大・農(食料環境政策):「

問10 下線部キ松前藩に関連して、江戸時代の日本国内における海上交通および流通経済に関して記述した文章として、適切でないものを一つ選べ。

 A 江戸では、米や雑穀をはじめとする地廻り物を扱う問屋が結成され、江戸地廻り経済圏が形成された。

 B 17世紀後半になると、河村瑞賢によって南海路が整備され、全国的な海上交通網が完成した。
 C 18世紀末ごろに、日本海の北前船や尾張の内海船などの廻船業が各地で発達した。
 D 大坂・江戸間には、菱垣廻船や樽廻船が定期的に運航され、大坂から木綿・油・酒などを江戸へ運んだ。」

(答:B×河村瑞賢は江戸~大坂間の南海路の整備はしていない)〉


〈2014立大・現代心理(映像身体)・社会・コミュ福祉(福祉)

問9.これ廻船に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.北前船は、三陸沿岸を経由して江戸に物資を輸送した

 b.樽廻船は、酒以外の商品も上積み荷物として低廉な運賃で輸送した
 c.日本海では、内海船と呼ばれる廻船が活躍していた
 d.菱垣廻船は、酒・油などを下関から大坂に定期輸送した」

(答:b樽廻船のスピードが評価されるにつれ、積載の余裕部分に樽以外の貨物も載せるようになった)〉


〈2013成城大学・経済:「

   このほか、18世紀末ごろに、蝦夷地や日本海沿岸の産物を扱う[ 10 ]や瀬戸内海沿岸と江戸を結ぶ尾張の内海船などの新興の海上輸送が各地で発達した。[ 10 ]や内海船は、しだいに力をのばし、明治時代の前半まで日本の海上輸送を支える主力として活躍した。」

(答:10北前船)〉


〈2013明治大学・商

とくに経済、物流の拠点だった大坂では、瀬戸内の豊かな魚介類や近郊で作られた野菜だけでなく、全国の産物も集められた。そのため「天下の台所」と評されるほど食材に恵まれていた。とくに、加工した昆布を用いただしの文化が、船場を中心に発展した。この関西風のだしの決め手である松前の昆布を上方に輸送した主要な定期航路はC[1高瀬船 2樽廻船 3北前船 4内海船 5菱垣廻船]と呼ばれている。一方江戸では、濃口醤油を使用した独自の料理文化が花開いていく。天ぷら、にぎり寿司や蕎麦などの屋台による料理が発達した。」

(答:3)〉


〈2013早大・文化構想

問7 下線f江戸時代になると太平洋・日本海にも広く廻船による海運が発達するに関連する説明として、正しいものはどれか。1つ選べ。

 ア 蝦夷地・東北の物資を、松前・日本海沿岸・下関を経由して上方に運ぶ松前船が盛んに往来した。

 イ 江戸時代初期に堺商人によって樽廻船が創始され、上方と江戸の間を回漕した。
 ウ 樽廻船は十組問屋と提携して酒荷を上方から江戸へ輸送して菱垣廻船を圧倒した。
 エ 江戸の商人河村瑞賢は、諸藩による海運整備の動きの高まるなか、東廻り・西廻り両航路を改良・整備した。
 オ 南海道を通じて上方から江戸にもたらされる物資は「下り物」とも呼ばれた。」

(答:エ ※ア松前船→北前船、イ×江戸時代初期→中期、ウ×十組問屋→二十四組問屋〈樽〉の中に西〉、オ×南海道→南海路)〉

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