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▲ガージャール朝の領土縮小と英露の勢力圏画定
●イラン(カージャール朝)
Treaty of Turkmenchay: Russia captures Eastern Armenia from Persia.
いやに捗(はかど)る 違いある。
1828年 カージャール朝 トルコマンチャーイ条約 治外法権 イラン アルメニア
18世紀末、イランにテヘランを都とするカージャール朝がおこった。
しかし、19世紀に入ると、南下政策をとるロシアとカフカスの領有をめぐって戦ったがロシア軍にタブリーズを陥とされ敗北、1828年にはタブリーズ近郊のトルコマンチャーイでトルコマンチャーイ条約を結んでロシアにアルメニアを割譲し治外法権を認めた。
イランはこの失地を回復するためアフガニスタンに侵入したが、ロシアの進出に対抗するイギリスの介入を受けた。
そして外国の進出や経済的混乱を背景に、政治や社会の改革を訴えるバーブ教徒の乱(1848~1850年)がおこる。
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