山王日枝神社

2015年04月12日 | 
山王日枝神社は、江戸氏が江戸郷の鎮守として祀っていた山王宮に
太田道灌が江戸城築城にあたって川越の寿量無寺鎮守である
川越(河越)日枝神社を勧進したのが始まりと言われています。



德川家康入府後は、江戸城西の丸紅葉山に遷され
家康の没後、紅葉山に家康の霊廟である東照宮が建立されるに際し
山王日枝神社は麹町に遷されます。

これは現在の隼町で、国立劇場が建っている場所になります。

(国立劇場)

明暦の大火で社殿が焼失すると、当時の将軍であった家綱の命により
赤坂・星が丘の深溝松平家屋敷地に遷されます。
この場所は、江戸城の裏鬼門になります。

(境内から溜池方向を望む)

また、この社地の麓には、赤坂や六本木の谷から湧く水を集めた溜池がありました。
これは、東京湾からの海水が満潮時に遡上しないよう
虎ノ門の現在の特許庁付近にあった洗堰によって
赤坂門から下流の外濠を堰き止めて造られた
飲料水確保のための人工のダムでした。

(弁慶橋から赤坂門を望む。右手が下流)

山王日枝神社は、そんなダムの底だった場所を走る外堀通りから
かなりの比高があるために現在ではエスカレーターで登り
お詣りすることができます。

(参道のエスカレーター)

新しいもの好きな江戸っ子が誇りにした山王日枝神社は
今でも時代の先端を行く神社です。

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