山王日枝神社は、江戸氏が江戸郷の鎮守として祀っていた山王宮に
太田道灌が江戸城築城にあたって川越の寿量無寺鎮守である
川越(河越)日枝神社を勧進したのが始まりと言われています。
德川家康入府後は、江戸城西の丸紅葉山に遷され
家康の没後、紅葉山に家康の霊廟である東照宮が建立されるに際し
山王日枝神社は麹町に遷されます。
これは現在の隼町で、国立劇場が建っている場所になります。
(国立劇場)
明暦の大火で社殿が焼失すると、当時の将軍であった家綱の命により
赤坂・星が丘の深溝松平家屋敷地に遷されます。
この場所は、江戸城の裏鬼門になります。
(境内から溜池方向を望む)
また、この社地の麓には、赤坂や六本木の谷から湧く水を集めた溜池がありました。
これは、東京湾からの海水が満潮時に遡上しないよう
虎ノ門の現在の特許庁付近にあった洗堰によって
赤坂門から下流の外濠を堰き止めて造られた
飲料水確保のための人工のダムでした。
(弁慶橋から赤坂門を望む。右手が下流)
山王日枝神社は、そんなダムの底だった場所を走る外堀通りから
かなりの比高があるために現在ではエスカレーターで登り
お詣りすることができます。
(参道のエスカレーター)
新しいもの好きな江戸っ子が誇りにした山王日枝神社は
今でも時代の先端を行く神社です。
太田道灌が江戸城築城にあたって川越の寿量無寺鎮守である
川越(河越)日枝神社を勧進したのが始まりと言われています。
德川家康入府後は、江戸城西の丸紅葉山に遷され
家康の没後、紅葉山に家康の霊廟である東照宮が建立されるに際し
山王日枝神社は麹町に遷されます。
これは現在の隼町で、国立劇場が建っている場所になります。
(国立劇場)
明暦の大火で社殿が焼失すると、当時の将軍であった家綱の命により
赤坂・星が丘の深溝松平家屋敷地に遷されます。
この場所は、江戸城の裏鬼門になります。
(境内から溜池方向を望む)
また、この社地の麓には、赤坂や六本木の谷から湧く水を集めた溜池がありました。
これは、東京湾からの海水が満潮時に遡上しないよう
虎ノ門の現在の特許庁付近にあった洗堰によって
赤坂門から下流の外濠を堰き止めて造られた
飲料水確保のための人工のダムでした。
(弁慶橋から赤坂門を望む。右手が下流)
山王日枝神社は、そんなダムの底だった場所を走る外堀通りから
かなりの比高があるために現在ではエスカレーターで登り
お詣りすることができます。
(参道のエスカレーター)
新しいもの好きな江戸っ子が誇りにした山王日枝神社は
今でも時代の先端を行く神社です。