平川門

2015年04月19日 | 
平川門(平河門)は、江戸城つまり現在の皇居の北東側に作られた搦手門です。
家康公入府以前、つまり太田道灌がこの地に江戸城を築城した頃から
平川門はあったとされています。

(平川門)

太田道灌入城の頃は、神田川(平川)の河口がこの付近であり
街場が形成され賑やかな門前であったとされています。

(新旧神田川の分岐点)

家光の時代以降は、大奥に一番近い門であったので
大奥に詰める女中などの通用門として使われたと言われています。
また、吉宗の時代以降は、御三卿の登城口としても使用されたようです。

(天守石垣から大奥付近を望む)

平川門は、不浄門とも呼ばれています。
これは、城内での死者や罪人を城外へ出す為に平川門が使われたことに由来し
桝形にある櫓門の西隣の高麗門が、その為の門だったとも言われています。

(付属の高麗門)

この(城内から城外への)一方通行の門を出た有名どころでは
絵島(江島)生島事件の絵島や元禄赤穂事件の浅野内匠頭長矩です。
平川門から出た罪人は、大手濠側で舟に載せられ、江戸城を後にしたとされています。

また、門の北西方向には竹橋に向けて帯曲輪が伸びていて
かつての江戸城の面影を遺しています。

(帯曲輪と平川門)

現在は、皇居東御苑の参観者入り口として、多くの観光客が出入りしています。

(平川門)
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