半蔵門

2015年04月18日 | 
半蔵門は江戸城の西側に有って、甲州街道に通じる門です。
一般的には、德川家康家臣である服部半蔵正成率いる伊賀同心や
与力の組屋敷が門外にあって、四谷見附までの甲州街道一帯を警護していたのが
半蔵門の名の由来と言われています。
江戸時代初期には、糀町口と呼ばれていました。糀町は、今の麹町のことです。

江戸時代には、隠居した前将軍つまり大御所と、継嗣が住む吹上の門で
現在では、陛下のお住まいである御所に通じる門として
陛下と内廷皇族だけが利用される、いわゆる天皇家の私的な玄関でもあります。
そのため今昔にわたって、最高レベルの警備が施されている門なのです。

(半蔵門)

元々あった旧来の門は、空襲で焼失してしまいました。
文献によっては、焼失した門の代わりに和田倉門を移築したとされますが
実際には、関東大震災直後に、倒壊焼失を免れた和田倉門を
現在の半蔵門の内側、かつて玉川上水を引き入れていた堀割に面して移築保存し、
戦災で本来の半蔵門が焼失したためこの門を半蔵門として再度移築した
と考えられます。また一説には和田倉門ではなく山吹門とも言われています。

(和田倉門跡)

これは、陛下のご幼少期の
「門が焼けてしまったので内側の小さな門を移した」というご記憶にも合致しています。

この簡素ながら剛直な現在の半蔵門は、皇室の玄関として充分な貫禄を持って
今日も陛下を護っているのです。

(桜田濠から半蔵門遠望)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする