江戸五色不動は、五行思想の五色に基づく名称や伝説をもった不動尊を
まとめて称した5色6箇寺を指す総称です。
その総てにおいて、目「某」不動と呼ばれています。
実際には、江戸時代から呼ばれていたものではなく
明治以降に江戸の噂話や伝説を合わせて、名所的にまとめたものと考えられています。
よく言われるのは、黒衣の宰相天海が五寺を決め
それぞれを繋ぐと星の形になり、それが江戸城の結界であるというもの。
5つの点を結べば星の形になるのは当たり前ですし、
天海の没後に明暦の大火が起こり、多くの寺院が移転しているので
あまり意味のない「都市伝説」なのです。
目白不動尊は、そのうちの「白」、五行説の「木・火・土・金・水」の「金」にあたる不動尊です。
正式名称を神霊山金乗院慈眼寺と言い、天正年間の創建とされています。
最初は中野の宝仙寺の末寺でしたが、後に護国寺の末寺となりました。
(目白不動尊)
目白不動尊は、もともと文京区関口にあった、新長谷寺という
金乗院と同じく真言宗豊山派の寺院にあったもので
戦災で廃寺になったために、金乗院に移されました。
目白の地名・駅名は、この元の新長谷寺の目白不動尊に由来しています。
(金乗院本堂)
まとめて称した5色6箇寺を指す総称です。
その総てにおいて、目「某」不動と呼ばれています。
実際には、江戸時代から呼ばれていたものではなく
明治以降に江戸の噂話や伝説を合わせて、名所的にまとめたものと考えられています。
よく言われるのは、黒衣の宰相天海が五寺を決め
それぞれを繋ぐと星の形になり、それが江戸城の結界であるというもの。
5つの点を結べば星の形になるのは当たり前ですし、
天海の没後に明暦の大火が起こり、多くの寺院が移転しているので
あまり意味のない「都市伝説」なのです。
目白不動尊は、そのうちの「白」、五行説の「木・火・土・金・水」の「金」にあたる不動尊です。
正式名称を神霊山金乗院慈眼寺と言い、天正年間の創建とされています。
最初は中野の宝仙寺の末寺でしたが、後に護国寺の末寺となりました。
(目白不動尊)
目白不動尊は、もともと文京区関口にあった、新長谷寺という
金乗院と同じく真言宗豊山派の寺院にあったもので
戦災で廃寺になったために、金乗院に移されました。
目白の地名・駅名は、この元の新長谷寺の目白不動尊に由来しています。
(金乗院本堂)