文京区本駒込にある天台宗の大聖山東朝院南谷寺は
目赤不動尊として知られた寺院です。
(目赤不動尊)
言い伝えによれば、元和二(1616)年に比叡山南谷の萬行律師が、
霊夢により伊賀の赤目山で祈願し、天から不動明王像を授かり
これを後に江戸近郊下駒込(現在の駒込病院近く)に結んだ庵に安置し
不動堂としたことに始まるとされています。
この事は、駒込病院の北東側にある「動坂(不動坂、堂坂とも言われた)」に
名残りをとどめています。
(動坂上)
この頃は「赤目不動」と呼ばれていましたが、
德川家光によって、「目白・目黒に倣って目赤と呼ぶように」とされ
目赤不動尊と名乗るようになりました。
近くには、吉祥寺や御茶ノ水泉水の高林寺、江戸三大市場の駒込土物店など
江戸の歴史を語るには外せない寺院が建ち並んでいます。
(土物店跡)
目赤不動尊として知られた寺院です。
(目赤不動尊)
言い伝えによれば、元和二(1616)年に比叡山南谷の萬行律師が、
霊夢により伊賀の赤目山で祈願し、天から不動明王像を授かり
これを後に江戸近郊下駒込(現在の駒込病院近く)に結んだ庵に安置し
不動堂としたことに始まるとされています。
この事は、駒込病院の北東側にある「動坂(不動坂、堂坂とも言われた)」に
名残りをとどめています。
(動坂上)
この頃は「赤目不動」と呼ばれていましたが、
德川家光によって、「目白・目黒に倣って目赤と呼ぶように」とされ
目赤不動尊と名乗るようになりました。
近くには、吉祥寺や御茶ノ水泉水の高林寺、江戸三大市場の駒込土物店など
江戸の歴史を語るには外せない寺院が建ち並んでいます。
(土物店跡)