本郷・東片町の金龍山大圓寺(大円寺)は、上州館林の茂林寺十二世である
久山正雄大和尚によって、慶長二年(1597)神田柳原に開山しました。
半世紀ほどのちの慶安二年(1649)に現在地に移転し、以来「駒込大円寺」と呼ばれています。
この寺には焙烙(ほうろく)地蔵が安置されており、頭痛や悩み事などにご利益があるとされ
多くの人が地蔵尊に焙烙をお供えしています。
また、焙烙が俸禄に通じるとして、サラリーマンなども多く訪れているようです。
焙烙地蔵は、この寺が出火元となってしまった「お七火事(天和の大火)」で
最初の騒ぎの元である小火(これは消し止められた)を起こした八百屋お七が
鈴ヶ森で火炙り刑に処されたことに対して、その罪の身代わりとして建てられた地蔵尊で
享保四年(1719)の寄進と言われています。
境内には、最寄駅の一つである白山駅を通る都営三田線の終点である高島平の地名由来となった
高島秋帆の墓などがあります。
久山正雄大和尚によって、慶長二年(1597)神田柳原に開山しました。
半世紀ほどのちの慶安二年(1649)に現在地に移転し、以来「駒込大円寺」と呼ばれています。
この寺には焙烙(ほうろく)地蔵が安置されており、頭痛や悩み事などにご利益があるとされ
多くの人が地蔵尊に焙烙をお供えしています。
また、焙烙が俸禄に通じるとして、サラリーマンなども多く訪れているようです。
焙烙地蔵は、この寺が出火元となってしまった「お七火事(天和の大火)」で
最初の騒ぎの元である小火(これは消し止められた)を起こした八百屋お七が
鈴ヶ森で火炙り刑に処されたことに対して、その罪の身代わりとして建てられた地蔵尊で
享保四年(1719)の寄進と言われています。
境内には、最寄駅の一つである白山駅を通る都営三田線の終点である高島平の地名由来となった
高島秋帆の墓などがあります。