THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

LUCILLE

2015-05-16 23:39:52 | free form space

B・B・キングのトレードマークといえば、言わずとしれたギブソンのES335シェイプの「ルシール」です。

長年弾き続けて15代目以上の歴史を持つ「ルシール」

「BBは歌い、ルシールも歌う」と言われたほどに、一心同体の相棒、愛器、恋女房ともいえるのでしょうね。

長年愛用し続けている中で、色々なアイディアやマイナーチェンジを盛り込んでその姿を変えてもきました。

基本ギブソンなのですが、第1号は小さめのアコースティックにディアモンド・ピックアップを1つ搭載。fホールではなくSホールが開けられていたシングルカッタウェイ。

その後はES-335やES-345シェイプにフィンガーボード・インレイ、テイルピースなどの変更も行っていますが、ホロウボディからソリッドボディに大幅チェンジ。

本人いわく「特別なギターにしたくてね(笑)」

実際、サウンドホールがあると簡単にフィードバックしてしまうそうです。(たしかに。私はこのソリッドギターMODELを持ったことがありますが、半端じゃあないくらいにズッシリと重たかったよ!!)

BBはセミホロウもソリッドボデイもサウンドに変化はない!ときっぱりと言い切っていますが、このくらい神の域に達している御大だとそういうものなのでしょうね。

あとはジャックの位置がそれまではボディトップにあったものをサイドに移動。

本人いわく「他の性能は文句なしだったんだけど、弾き方が悪いのか、引っ掛かりがあった」とのこと。ボディサイドに移ったことでこの問題も解消。

これで文句なし最高のお気に入りギターの完成。

ギター選びも伴侶選びも同じ事だそうで、世の中に数多く存在する中からめぐり合って選ぶのだからね!とは本人の弁。

以前に、何代目のルシールだったかは覚えていないそうですが、このギターを膝に置いたまま車に乗っていたら交通事故に巻き込まれたのだとか。しかしギターのおかげで脚が守られて無事だったという逸話もあります。

さあ、この「ルシール」という名称由来について。

通なブルースマンならば皆、ご存知だとおもいますが。

1949年、B・Bがアーカンソー州ツイスト・アーカンソーという100~150人ほど収容の小さなナイトクラブで演奏中のこと。

とても寒いところなので暖をとるためにダンスフロア中央には大きなゴミバケツを置き、中に灯油を入れて燃やし皆はその周りで踊っていたそうです。

ある日、2人の男が喧嘩をはじめて一人がその燃え盛るゴミバケツに転倒。店は大火事になりBBはじめ客たちは逃げ出したわけなんだけど、ふと気づいたら自分のギターを置き忘れていた。

慌てて燃え盛る炎の中にBBは飛び込んでギターを探しに戻り危うく死ぬところ。

次の朝になって知った事だけど、その男達の喧嘩の原因は店員の女の子をめぐる争いだったと判明。

BBとは無関係だったけど、その女の子の名前が「ルシール」

自分がそういう馬鹿な真似をしないように言い聞かせるために、ギターに「ルシール」と名づけたそうです。

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B,B,KING 死去

2015-05-16 22:46:03 | free form space

5月14日、アメリカ・ブルース・ギタリスト&シンガーの巨人、B、B、KINGが亡くなりました。享年89歳・・・。

長年患っていた糖尿病の悪化により体調不良を理由にツアーをキャンセル、ラスベガスの自宅で息を引き取ったそうです。

B・Bキングは絶対に引退なんかしないで、最後の最後までミュージシャンライフを全うすると個人的にも思っていましたが、まさにそのとおりの人生でしたね。

貧しい幼少期は綿花摘みで生計を立てていたそうで、その後はブルースアーティストとしてヒット曲を連発。

グラミー賞も15回受賞、ブルースの殿堂入りも果たしています。

我々が知る大御所、伝説のギタリスト達にも多大なる影響を与えていて

ロック、ポップス、ジャズなどジャンルの壁を超越して数多くの名演を残しています。

U2の映画「魂の叫び」の中でもゲスト出演。この時にはすでにU2自身スーパーバンドに成長しているのですが、B・Bの前では初々しいロックミュージシャン達に見えちゃうのですからBBの貫禄は凄まじいものです。

共演曲「ラブ・カムズ・トゥ・タウン」もヒットしました。

B・Bはまた幾度も来日公演を行っていますが、ここ北海道にもたびたび訪れてくれました。(夕張にも来てます!)

私は1994年5月30日(月)札幌ファクトリーホールで、彼の雄姿を目の当たりにしました(9th japan blues carnival special)。

すでに、イスに座ってのプレイでしたが出てくる音は筋金入り、年季の入ったご本家ブルース真骨頂を思い切り堪能させていただきました。

先述のU2「ラブ・カムズ・トゥ・タウン」がヒットしたちょっと後だった事もあって、この曲が聴けたことも嬉しかったですね。

サービス精神も旺盛で、とにかく押し寄せる観客達に握手はもとより、ピックからアクセサリーまでどんどんと配りまくるシーンには驚きました(笑)。

彼の奏法、スタイルはギンギンに弾きまくるわけではなく、バックバンドが延々かもしだすサウンドの合間にここぞというタイミングで飛び出すピッキングがメチャクチャにかっこよくてスリリング、説得力満点です。派手な音数とアクロバティックなテクニックで自己陶酔しているギター小僧達も一瞬で消し飛んでしまいますね。

特に売りはあの超過激な入魂ビブラート!これでもかというほどのセクシーなピッキング音の揺れは絶品。唯一無二。

エリック・クラプトンとも幾度となく共演、2000年にはアルバム「RIDING WITH THE KING」も発表。大きな話題をふりまきました。

教則ビデオも数種類発売されてもいますよ。ブルースギターの真髄を惜しげもなく解説、これ必見ですよ。

フレディー、アルバートと3大ブルースギター・キングが皆、天に召されました(キングといえばギタリストではありませんが、シンガーのベンEキングもこの間なく亡くなりましたね)。

 

 

 

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