アメリカのラテン・ロック・バンド・ギタリスト、カルロス・サンタナの懐かしい作品からごく最近の盤などを写真紹介。
1966年サンフランシスコにて結成されたサンタナ・ブルース・バンドからサンタナに改名後、1969年にコロンビアよりデビュー。
伝説のウッドストックでのパフォーマンスを経て名盤を立て続けに発表していきます。
1969年デビュー作「サンタナ(9曲入り)」は白黒によるライオンの正面アップ・イラストですが、よくよく見ると数人の隠し絵となっているのですよ。
1970年のセカンドアルバム「天の守護神(9曲入り)」はビルボード・アルバムチャート第1位を獲得。
1971年発表「サンタナⅢ(9曲入り)」からは「孤独のリズム」が大ヒット。
1972年ジャズロック色濃厚なる「キャラバンサライ(10曲入り)」ではあのニール・ショーンとのツインギターを披露。
1973年「ウェルカム」発表後には大幅なるメンバーチェンジを敢行。ちなみに私個人的にはこのアルバム・ジャケットはサンタナ風「ホワイトアルバム・デザイン」と勝手に認識しています!
1973年発表、バンド名義としては初のライブアルバム「ロータスの伝説」は当時音楽界の話題を独占しました。
1973年7月3~4日の大阪厚生年金会館における音源。LPでは3枚組、CDでは2枚組(全22曲入り)というボリューム。
2006年紙ジャケット発売時にはオリジナル盤どおりの3枚組に。
ジャケット・デザインは日本が世界の誇るアーティスト横尾忠則氏が担当。
なんと見開き22面という超豪華で壮大なるもの。
この頃、同じレーベルに所属していたシカゴは先立ってカーネギー・ホールでの4枚組ライブ盤を発表。中にはパンフレット風写真集と共にポスター3枚封入。内訳は白黒のカーネギー・ホール、メンバー7人のフォトもの。そして広げるのがたいへんなほどの1畳分くらいの大きさのライブジャンボ・ポスター!
ついで2度目の来日公演ではサンタナと同じ大阪厚生年金会館での名盤「ライブ・イン・ジャパン」を先に発売していたのですよ。
話を戻して1974年サンタナはスタジオ6作目「不死蝶(12曲入り。収録時間49分57秒)」を発売。
ジャズ・フュージョンからの影響を色濃く繁栄していてスタンリー・クラーク、アイアート・モレイラらがゲスト参加。
1976年の「アミーゴ(7曲入り。収録時間41分19秒)」には代表曲「哀愁のヨーロッパ」が収録されています。
引き続き同年12月「フェスティヴァル(11曲入り。収録時間45分43秒)」ではオリジナル・メンバーのホセ・チェピート・アリアスが復帰。
私のような世代にとっての思い出深きサンタナはこのあたりまででしょうね・・・・。
音楽性の転換期を何度も迎え、低迷期を乗り越えてなんとシカゴよりもずっと先の1998年「ロックの殿堂入り」を遂に果たします。
翌1999年にはアルバム「スーパーナチュラル」で28年ぶりの全米1位を獲得。アメリカだけで1500万枚、全世界では3000万枚以上の売り上げ記録をマーク。
グラミー賞史上最多の9部門を受賞。シングル「スムース」はビルボード・ホット100で12週連続1位を記録。これはサンタナ初のシングル1位。
続く2002年のアルバム「シャーマン」も全米1位と奇跡の大復活となりました。
順風満帆ノリにノッたサンタナはその後も数多くのコラボレーションを実現。
2010年発表の「ギター・ヘブン ザ・グレーテスト・ギター・クラシックス・オブ・オール・タイム(12曲入り)」ではツエッペリン、クリーム、ビートルズ、デフレパード(!)、AC/DC(!!),ディープ・パープルなどのロック・アンセムを嬉々として演じております。
最新アルバムはデビュー45周年、通算23作目となる2014年発表の「コラソン(12曲入り)」」
メキシコ出身のカルロスが自身のルーツである「ラテン」に敬意を表して、中南米を中心としたアーティスト達との共演を記録した音源です。
相変わらず元気一杯のトーンを発しています。
愛妻のシンディ・ブラックマン・サンタナもデニス・チェンバースとレパートリーを分け合って叩きまくっております。
ちなみに私はシンディをレニー・クラヴィッツ2度目の来日でもある札幌初の真駒内コンサートで目撃しています。彼女が紹介された時には一際大きな拍手が沸き起こっていたのが今でも鮮烈に思い出されます。またデニスもビリー・シーンのプロジェクト、ナイアシン初来日東京ブルーノートで目前にて鑑賞しました。とにかく大砲のような爆音とうねりまくりのビリーとの極上グルーブにはやられっぱなしでしたね!